エッセイ小説「はみ出しもん」7
「ピ」リオドの向こう側
シュガーさんがタイから帰国した。
私達はいつもの職場の休憩室で2人こっそり報告会をする。
「僕もね、タイでなんか嫌な予感がして涅槃像の足の裏を見ながら祈りましたよ!」
タイのあの大きな涅槃像は、足の裏にとても素晴らしいことが書かれているそうだ。
が、私はあれを見るとサガットしか浮かばない。
頭の中は「タイガー!タイガーニー!」なのだ。わかる人だけ笑ってください。
「どうにか2人で乗り越えましたよ」
キヨと、という意味で“2人“と言って少し警戒する。
シュガーさんがいなかったのは1週間程度だが、この話題を出すのも久しぶりな気がした。
報告を一通り終えてシュガーさんのお土産の、超絶細かい粉砂糖をギュッと固めてブロックみたいにした、謎のお菓子をフォークで突き崩そうとするが、びくともしない。
名前はあるが忘れてしまった、大きさは無印良品のブロックメモくらいある。
どうやって食べるのが正解か?
と、言うか本当にタイに行ったのか?
実はエジプトでピラミットを刮いで持ち帰ったんやないか?
バレたらやばいから証拠隠滅に砂糖まぶして私の胃の中に隠そうとしてるんか?
和三盆糖でもないそれは、見た目のまんまの脅威の硬さを誇っている。
キメの細かさを見ると、ハイパー泥団子・・・の方が正しいかもしれん。
「でも、なみさんの体調は戻らないんですね?」
一緒に端っこをガツガツ削りながらシュガーさんはチラッと私を見る。
「え?あ、あぁ、これはもう何というか。これは今までの無理が祟ったんでしょうね、自分で自分を祟ってたんです」
「そう解釈しますか、強くなりましたね」
「そうですね、弱くないと強くなれないですから、やっと一人前かもしれません」
せっかくの手術の甲斐もなく、私のお腹の中で子宮は侵食されていた。
残して手術をすることも出来たが、この先も定期的に手術を繰り返すことになると言われ、全摘出を決心した。
「自分で決めたんですね」
シュガーさんの視線をなぞって下腹を撫でた。自分で触るより優しい気がした。
「無くても問題のない臓器ですから、いいんです、もう」
「まだ若いのに」
「シュガーさんの心臓と違って、あってもなくても命に別状はありません。でも、あっては困るものになってしまったら、無くすしかないです」
急に生きている時間が惜しくなった私は、これを機にぼんやりと生きるのをやめようと思った。
入院し、子宮の摘出する手術を受けて社会復帰をするとともに、退職を決意した。
全ての根源が忙しすぎる職場ではないが、自分に合っていなかったのは事実。
15年我慢して「なぁなぁにしてきた全て」を一度全部捨ててしまいたい。
「子宮をとったらついに生態系からもはずれるんか。はみ出て孤立した私になるのかな」
「どうでしょうね、解釈はそれぞれです。
でも、はみ出しても生きれます。1日でも長く生きて、1日でも早く幸せになって、1日でも多く笑ってください。
僕にはそれしか言えません」
受け入れろ。
何もないことを一度受け入れろ。
持っていても無駄な過去は捨てれるなら捨てて、欲しいときだけ拾えばいい。
私は幼い頃からずっと母親になりたかった私にとって、子宮をなくすのは、もう、言葉に出来ない。
でも、あっても私は結局子供など産めなかったのも事実だった。
それを思い出しながら生きるには人生は長すぎる。
シュガーさんのように無くしたものを受け入れて生きよう。
私の子宮は、キヨが私を助けた代償として、持っていかれたのだ。
そうやって生きろ。
辛さを誰かのせいにして生きることも大切だ。
かた焼き煎餅についているみたいな、木で出来た小さいハンマーが付いている事に今更2人で気がついて、それを奮ってハイパー泥団子を叩き崩す。
一欠片ずつ分けて、コーラで乾杯した。
タイのハイパー泥団子は、砂糖の甘さと一緒にピラミッドを噛んだような埃っぽい味がした。
術後、体力が戻ると私は1人で思い出の旅に出た。
キヨを探す旅だ。
レンタル屋で一緒だったミホは早くに結婚して、もう大きくなった3人の子供の肝っ玉母ちゃんになっていた。
でも、キヨのことは全く覚えていなかった。
本屋の店長にも会った。
当時キヨと全く連絡が取れず、一緒に苦労した話に花が咲いたが、それ以上は分からなかった。
お姉さんと連絡は取れたそうだが、そんな個人情報を私に教えられないし、そもそも手元に残ってなどいない。
「ご結婚されてて苗字が違った事しか覚えてないな、確か苗字は・・・」
色々探ってみたものの、結局お姉さんの苗字が「トキワ」さんである事しかわからないまま、時間だけが過ぎていった。
私自身も物書きになりたい夢を確立させて、色んな事に奔走していた時期だったから、少しずつキヨも薄れて消えていった。
自分のやりたい事に向かい出すと、体の不調は日に日に薄らいで、怖い経験も減っていき、順調とも言えないがまぁ、まずまずと言ったところだろう。
シュガーさんとなんやかんやしてたのが、コロナ前〜私の退職が3年程前になる。
少し間が空いて、ここからはつい先月の話になります。

午前中から少し遠出し、大阪に戻って遅いランチの店を探していた。
久しぶりにパスタなんか食べようか、と普段は入らない某チェーン店のパスタ屋に入る。
1名でカウンター席に通され、注文を済ませた。
料理が来るまでの間に本を読もうとカバンから文庫を引っ張り出すと、財布が引っかかったのか、鞄の中にカード類が散らばった。
とはいえ、病院の診察券数枚だけだし、と財布を出して鞄の底のカードをテーブルに拾い出す。
「お待たせしました、お先に付け合わせのサラダでございます」
女性の声がして、慌ててテーブルの上に置いた物を横によけ「ここに置いてください!」と笑いかけると、彼女はサラダを置いてしばらく私の診察券の名前を見ていた。
「ごゆっくりどうぞ」
何事もない顔をしてそのままスッと仕事に戻る。
若くない、と言ってしまうと失礼だが、私と同じか少し上くらいかな?
身だしなみでかぶった帽子のフチから見えた後毛に白いものが混ざっていた。
診察券をまとめて財布に片して、本は諦めサラダを食べていると、すぐにメインのパスタが運ばれた。
伝票を置き「ごゆっくりどうぞ」と去るのかと思いきや、彼女は私の後ろに立ち止まった。
そして意を決したようにこそっと声をかけてきた。
「あの、間違っていたら無視してください」
「はい?」
彼女は緊張を拭うようにエプロンの膝を擦った。
そして揉み手をしながらソワソワとカウンターの奥にから緑のダスターを持ってきてテーブルを拭き出した。
「〇〇って男を知っていますか。大阪の〇〇地域に住んでいたあなたと年は変わらないと思います」
「ん?」
まるでスパイがこっそり情報を交換しているようだ。
しばらく考える。
聞いたことのある苗字で、ピンとこないが引っかかる。
しばらく考えていると彼女は違った、と思ったのか少し迷って隣の椅子にずれて、それを直す。
少しずつ視界から離れる彼女を意識しながら古い記憶をこじ開けた。
「もしかして、キヨハル?ですか?」
「あ!」
彼女は思わず大きな声を出し、慌ててそのまま「ぃらっしゃいませ〜」と年季の入った声出しで誤魔化した。
ちなみに店内の客は私と、テーブル席についたサラリーマン2人連れだけだ。
彼女はいそいそとカウンターの奥に入ると、ペーパーナプキンやタバスコ、オリーブオイルをたくさん入れたトレーを持ってきて、後ろのテーブルの補充をしながら話しを続けた。
「そ、そうです!よかった、やっぱり!私の弟なんです!」
「えッ?!」
驚き過ぎて次の言葉が浮かばない。
「あの、伝言がありますのでお伝えしたいんですが、この後お時間大丈夫ですか?後2時間で仕事上がりなんです」
「大丈夫です」
「向かいの〇〇ホテルの中にあるコーヒーショップで」
「分かりました」
彼女は自然な流れ?で仕事に戻った、名札をチラッと見たらカタカナで「トキワ」と書かれていて、店長の情報と重なる。
今まで散々色んな体験をしてきたが、この瞬間に1番トリハダがたった。
スパイ映画でよく見るやつ、トム・クルーズってこんな気分なんやろか。
ゆっくり食事し、会計の際に彼女と目配せをもう一度して私はパスタ屋をでた。
その足でホテルに入る。
指定されたロビーのコーヒーショップで、私はイーサン・ハントじゃないから急に狙撃される心配もないのに窓際を避けた席を選んでコーヒーを頼み、ここでやっと本を開いて気持ちを落ち着かせた。
スパイごっこ、悪くない。
仕事あがりのトキワさんは大慌てで来てくれたのか、帽子を止めていたヘアピンが頭に不自然に残ったままだった。
向かいに座ると使い込んだキャンバスのトートバックを置いて、はぁ、と一息ついて「コーヒー買ってきます!」とまた慌ただしくカウンターに向かった。
自分のホットのブレンドと、チョコレートチップのホームメイドクッキーを2つ買って戻り、1つを私にくれた。
「急にすみません、こんな事あるのか私も驚いてしまって」
「いえ、こちらこそキヨ、弟さんの事を探していたので助かりました」
偶然、必然、たまたま、運命。
色んなあやふやな言葉が2人の間に浮かんでは消え、だけど口にしなかった。
「率直に言いますと、弟は病気でこの世を、去りました、病名はちょっと言いにくいのですが、その合併症です」
チェーン店とはいえ、三つ星ホテルのロビー併設のここで言うには不穏な話題だった。
隣では結婚式を終えたのであろう、正装した一団が大きな紙袋をソファに置いてタクシーを待ちながら騒いでいる。
「病名は存じ上げております、やはり助からなかったんですね」
キヨはあの後、京都の彼の元に本当に向かい、1ヶ月ほど一緒に過ごした。
お姉さんとはたまに連絡をとっていたが、その彼のスマホなのか友達のものなのか、知らない番号で突然かかってきて元気にしている事を伝えると、甥の成長を聞いてきた。
退職の手続きを代わりにしてもらった事に「申し訳ない」と言い、それ以外は心配をかけないように危惧したのか分からないが「友達の家にお世話になっている」としか教えてくれなかった。
病気のことを知らなかったお姉さんは、奔放な弟がプラプラしてる程度にしか思わず、自分も初めての子育てに追われていた。
そこに突然、警察から連絡がくる。
続けて知らない番号からも電話があり、それはキヨの友人だった。
友人が言うには、自分が住み込みのリゾートバイトで半年ほど家を空ける間、アパートをキヨに貸したそうだ。
バイトを終えて帰宅するとキヨはリビングで布団に包まって息絶えていたそうだ。
変死扱いで解剖に回された。
HIV感染で合併症を起こし、免疫が弱っていたところをウイルスに蝕まれていった、らしい。
隣の一段が、わぁ!と大きな声をあげる、中の誰かの懐妊の知らせだった。
釣られて私達も隣を見て微笑んだが、詳しい事言うのが憚られた。
一旦黙って隣の幸せな一団がタクシーに乗り込むのを何でもない話で待ち、少し静かになった店内でトキワさんは仕切り直しと共に、不思議なことを言い出した。
「1週間くらい前でしょうか、変な夢をみましてね。観覧車に乗っている夢です」
観覧車の夢。
自分も見た、少し不思議な夢の光景を思い出す。
カラフルなゴンドラ、妙な拍子の音楽、丁寧だけど変な係員。
「観覧車の夢、私も見ました!なんか変な音楽鳴ってませんでしたか?」
「音楽は蛍の光?でした「本日の営業は終了しました」って放送が流れてた気がします」
私の時と同じようで違う。
「観覧車はほとんど終わりで、下の係員の男性が見えてました。
そしていつの間にか向かいにキヨハルが座ってました、穏やかないい顔してました」
私はこっそり鳥肌を立てた、でも、息を飲むのはまだ早い、と思って紙コップの水を一口飲む。
「退職手続きと、自分の身の回りの処理を全てしてくれてありがとう、と言われました。
たった2人の姉弟やし、家族の役目を果たしただけや、って言ってあげたら笑ってました。
ちょうど観覧車が下について、2人で観覧車降りたんです。
私は懐かしい気持ちで色々話したくてもう一周乗らないか?と誘いましたが、断られましたまぁ。もう営業終了でしたしね」
トキワさんのコーヒーから湯気は消えていた。
私は次の言葉を待ちながら、無意識に握っていた拳を解いた、緊張していたのかもしれない。
「この人に会ってほしい、と言われてなみさんの名前を告げられました。
聞き馴染みのない名前だったのですぐに覚えました。
でも口頭やったんで漢字は分からないし、外国の人かもしれんと思ったんですが、さっきお店で診察券を見た時に、そうとしか読めない名前やったんで失礼承知で声をかけました」
それでテーブルの診察券を見ていたのか。
私の苗字は全国で40世帯しかなく、日本語だけど、英単語にも同じ発音のものがあるのでしばしば外国人と思われる。
「なみって名前も、ありふれていそうで意外といないので、これはきっとそうやと声をかけました。
正解でよかったです、違ったらクレームものですから」
私と不思議な話が共有出来た安心からか、トキワさんは頬を緩めた。
「なんか、ずっとアホみたいなこと言ってますね、私」
手短に私が見た夢の内容だけ伝えると、さらにホッとしたようにトキワさんは声を出して短く笑って、やっとコーヒーに口をつけた。
「そうそう、伝言!弟からの伝言なんですけどね」
トキワさんは笑うとキヨにそっくりで、今すぐシュガーさんを呼んで顔を見てもらいたかった。
だが、16時。
鬼嫁の関門を突破するのは不可能だろう。

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