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修辞技法✕心理描写でキルトのように綴られる小さな総合芸術「song」……100曲訳して見えてきたこと(2)

このnoteを始めた経緯を振り返る

筆者がテネシー州ナッシュビルにおいて songwriting のシーンを目の当たりにしたのは2010年のこと(その時の模様はコチラ)。その衝撃の実態が何なのかわからないまま日本に持ち帰り、しばらく様々な情報を見聞きしたり、自分の音楽活動として洋楽カヴァーを続けているうちに、おぼろげに見えてきた仮説。それは……
私たち日本人が聴き馴染んでいる「うた」と英語の「song」は似て非なるものである、ということ。

そう思うきっかけになったのは、改めて様々な洋楽の英語詞と向き合ううちに、ライミング等、その修辞技法の驚くべき巧妙さに気づいたことでした。「Strawberry Wine」「Will You Love Me Tomorrow」「Take Me Home, Country Roads」…etc。どれも歌詞に巧みなライミングが施され、メロディを伴わなくても音楽的語感を感じさせます。

そんな英語詞の魅力を知ると、多くの日本人がそれを知らない、そもそも英語詞にライミングが仕込まれていることを知らずに洋楽を聴いていたりするのが実にもったいない!と思うように。
そんな折、ちょっとした弾き語り出演の機会を頂きまして、試しに自作の和訳付き歌詞カードを配布して、史上初?「歌詞カードを見ながら鑑賞する洋楽ライブ」を行ったところ……「こんなふうにライミングしているなんて知らなかった!」「こんな意味があるんだ!」等、大きな反響を頂くことに。それを機に、英語詞の魅力をもっと広めたい、その魅力の根幹となる「songwriting」について自分自身もっと深く知りたい!と思うようになった、というのが、2023年9月に本note「うたに無くてsongにあるもの」を開始した経緯です。

songとは何か?見えてきた輪郭

song のもっと奥深い世界を知るには、とりあえず100曲訳せば何かが見えてくるだろう!ということで週1ペースで翻訳を続け、2025年5月の時点で第一目標の100曲を達成。前回の振り返り記事で「これだ!という真理には結局辿り着けなかった」とお伝えしてはいますが、songとは何か?という点で曖昧だった輪郭がはっきり見えてきたというのは、あるにはあります。

songとは、ライミングなどの修辞技法を縦糸に、心理描写やストーリー展開を横糸に、キルトのように綴る小さな総合芸術。
例えるなら、五七五のルールの元で言葉を紡いで深みを出す俳句や短歌に通じます。本ブログで筆者が songwriter=「歌人」と訳すのも、そのことに基づいています。

こうして振り返ってみると、本note開始時に最初に投稿したプロフィール記事からは、考えのブレは概ね無かったわけですが、アリタレイションやキアスムスなどライミング以外の修辞技法をたくさん知り、筆者の考えの裏付けになったことは、数多くの翻訳をしたことによる成果です。
一方で、他にも日本語の「うた」には無い英語詞特有の表現技巧の存在を感じ取っているんですが、それらは以降の記事数を増やして確証を得てから、改めて取りまとめて報告したいと思います。

これからのこと

英語ネイティブレベルの人はsongをどう聴き、受け入れるのか

翻訳記事を書く度に疑問に思うことがあります。それは「自分は何故この曲を翻訳しようと思ったのか」
特に選曲の基準は無いのですが、基本的に単に音を聴いて「いい曲だなあ」と思ったものを選定。歌唱から歌詞を聴き取り、意味をその場で理解した上で翻訳している、といったものは実は一つもありません。だから訳してみて予想通りだったり期待外れだったり、意味不明だったり色々です。
こんなnoteを書きながらアレですが、筆者は英会話は全くできません(汗)。それ故にネイティブレベルの人にとって英語詞はどう聴かれ、どう受け入れられているのか、ということに興味があります。songwritingの世界をさらに深堀りするのに不可欠な感覚なのだろうと推測しています。
なので次なる目標は、1年後の2026年6月を目標にそれなりに英語ペラペラになるように英会話能力(スピーキング&リスニング)をアップさせること!あーあ、宣言しちゃった。しかしながら、songwriting の世界を深堀りしたいという以上に強い動機付けは無い!ということで、頑張ってみます。

英語のsongに対し、日本語の「うた」はどうなのか

ライミングが巧みに織り込まれているのが英語詞の特徴、と本noteで主張してはいますが、実際には日本語の「うた」にだってライミングは多用されていますし、ダブルミーニングなど類似した技法も多々見られ、実は本質的に同じ要素があるのでは?といった疑問が湧いています。
最近、細野晴臣さんの影響下にある、とあるアーティストさんの活動のお手伝いをする機会があり、その方の書く歌詞や、細野さんからはっぴいえんどに遡って日本語の歌詞に向き合った結果として、歌謡曲以降の日本語詞(演歌含む)にも興味が出てきたところです。
また筆者の友人が、音楽AIの活用を通じてシニア世代の音楽活動を支援する取り組みを進めており、その友人との意見交換を通じて「歌詞が人生にもたらす影響」について真剣に考えてみたくなった次第。
そんなわけで、英語詞を理解するには日本語詞の理解も必要ということで、今後の研究のサブテーマとしていきたいと思います。本noteの記事としてはこれまで通り洋楽和訳中心でいきますが、折を見て日本語詞についても、研究論文的なまとめ記事としてリリースしていければと思っています。

次なる200曲目・300曲目に向けて

翻訳記事の投稿を2年近く続けていると、記事を1本アップしないと何となく翌週を迎えられないような体質になってしまいました(笑)。また自分自身の音楽活動において洋楽カヴァーを歌う際に「訳さないと歌えない」という思わぬ副作用まで出てしまい、すっかり筆者にとってのライフワークになったという気がしています。
本noteにつきましては、おかげさまで少しずつフォロワーも増え、記事に対し毎回コメントをくださる熱心な読者様もいらっしゃったり、とてもやりがいを感じるものになっています。とりとめなく書いていると、まとまらないまとめになってしまうのでこの辺で締めますが、今後も地道に翻訳を続け、songwritingの世界をさらに掘り下げていきたいと思いますので、読者の皆様につきましては、引き続きコメントなどで応援して頂ければ幸いです。

カバー写真は筆者がナッシュビルを去る際、友人Toddが筆者に託したカントリーのsongbook。この写真はその目次。これだけで100曲近くあるので翻訳ネタには事欠かない(笑)。

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