物語の欠片 鶯色の芽吹篇 18
-レン-
宵闇の空からひとり舞い降りてくる族長の姿を、レンは美しいと思った。隣を飛んでいる時には感じたことの無い感覚だ。そういえば、族長がひとりで飛んでいる姿を見る機会はあまり無かったかも知れない。マカニの村の中では族長は大抵歩いて移動していた。移動ついでに村の様子を見て回る目的もあるのだろう。そして、そんな機会もほとんど無かったが、族長が何処かへ出かける時には必ず誰かが側に居た。レンが成人してからは、レン自身がその役目を負うことがほとんどで、常に隣か後ろを飛んでいた。マカニ族の誰かと一緒に居る時の族長は、側に居る誰よりも存在感が大きくて、ただただ圧倒されるばかりだったが、ひとりで飛んでいる時の族長は、とても自由で優雅で美しく、まるで一羽の大きな鴉のようだ。鷲や鷹のように威風堂々という雰囲気というよりは、静かに、それでいて存在感のある大きな鴉。美しい鴉は空から舞い降りると、たちまちいつもどおりの族長に姿を変えた。
「いつから此処で待っていたのだ」
パキラの館の裏庭で待っていた三人に、族長は呆れる様子でもなく穏やかに尋ねる。
「それほど長い時間此処でお待ちしていたわけではありません。アグィーラからマカニへの書簡は早朝の決まった時間に出ます。今の時期ならば七時。それでもマカニへ到着するのは十六時頃。書簡を受け取ってすぐに発たれたとして、幾ら族長様の翼でもポハクまで二時限と半刻はかかる。つまり、早くて十九時だろうと思って、つい先程よりお待ちしていました」
カリンの説明に、「飲み物片手に」とイベリスがグラスを掲げて補足する。
族長は微笑んで頷いた。
「外での一杯も楽しそうではあるが、いずれにせよ、ご苦労であった。いっそのこと夕食が終わる時間に来ようかとも思ったのだが、待たれていると困ると思い、早めに出てきた」
「ふふ。正解です。族長様の分も、夕食の支度は整っていますよ」
「まさかおひとりででは無いですよね? 途中まで誰かと?」
レンは別のことが気になって族長に尋ねた。
「ああ、そこまでスグリを連れてきた」
「え?」
レンはカリンと顔を見合わせ、イベリスが「そんなに驚くことなのか?」と首を傾げる。レンは族長を送ってきたのがスグリだということにも、一名だということにも驚いた。確かに少人数の方が良いであろうが、一名だとスグリは夜間にひとりでマカニまで戻らねばならない。例えば最初から一名しか同行できないという条件ならば、その人選がスグリであることは納得がいくが、今回の場合そうでは無い筈だ。目立たない方が良いとはいえ、同行するのはポハクの町の手前までなのだから、最低限、目立たない位置までは複数名連れてくるのが道理ではないだろうか。族長はそんなレンの顔を見て口元に笑いを浮かべた。
「風来坊の族長に、風来坊の供だ。ちょうど良かろう? 今頃、何処を飛んでいるやら」
「寄り道、してるでしょうね」
言いながら、レンもなんとなく楽しい気分になってしまった。カリンもくすくすと笑っている。族長が供を命じたとしても、あのスグリが素直に頷くとは思えないのだが、どのようなやりとりがあったのだろうか。そして、二人は道中、何を話したのだろう。いや、もしかしたら無言だったのかも知れない。それでも、お互いに考えていることは分かったのかも知れない。全てレンの想像であったが、そのことが、とても羨ましく感じた。族長とスグリの間には、族長とシヴァの間の信頼関係とは違う何かがあるように思う。
「なあ。スグリさんが族長殿に同行したとして、何でそんなに驚くんだよ」
「イベリスは知らないかも知れないけどさ、スグリさんって、時々信じられないくらい族長の指示に従わないんだ。例の、族長の継承の準備のことだって……」
言いかけて、あれ、と思う。
「何だよ」
「いや、うん。とにかく、スグリさんは族長の言葉に素直に従わないことが多いんだ。族長との接触を極力避けてる風ですらある。だから、ひとりで族長に同行したっていうだけで驚きだよ」
「ふうん。そうなのか」
違う。スグリは族長の「指示」には従うのだ。族長がスグリの意向を尋ねた時にのみ、それに従わないことが多い。そしてそれは、族長も最初からスグリの反応を分かってのことなのかも知れない。今回は指示だったのだろうか、それとも……。
「夜空の散策をする気はないかと誘ったら、散策ならひとりの方が楽しいが悪くないと言ってついてきた」
「へぇ。スグリさん、本当に族長殿にそんな口の利き方するんですね。なんだか親近感」
「親近感? なんで?」
レンは思わずイベリスに訊き返す。
「昔の俺みたいじゃないか。きっと素直になれないんだよ」
「あはは。イベリスが言うと説得力あるね。ただ、スグリさんのは少し違うような気もするんだけど、親子じゃないし。……まあいいか。そろそろ行かないとパキラ様がお待ちかねだよ」
「おっと、そうだった。あんまり此処で足止めしてたら俺が叱られる」
イベリスは器用に三人分のグラスを両手に持つと、先頭に立って歩き始めた。
「先ずはこちらの調査の結果を話そう、その後に答え合わせといこうじゃないか。勿論、食事も楽しみながら」
乾杯を終えるとパキラが機嫌の良さそうな表情で宣言した。
「ひとつ目は、水脈の話からいこう」
水脈と聞いても、族長は驚いたり怪訝な顔をしたりしない。やはり族長も、似たようなことを考えていたのだろう。
「かなり掘らせたんだが、残念ながら水脈は見つからなかった」
「そうか」
「しかし、あの室の下辺りは、他の場所より砂が湿っていたらしい。それに、少し下あたりに、分厚くはないが硬い岩盤が広がっているようだ」
それで十分だろう? と言うと、パキラは杯を干した。
「二つ目と三つ目は合わせて話す。ポハク内での駝鳥の取り扱いに関する記録周りのことだ。商人会に入ってきた量と出ていった量は大方一致している。駝鳥は随分丈夫らしくてな。生きたまま取引されて、売れる前に死んでしまう個体は殆どいないらしい。寧ろ屠殺されてから入ってきた物の中に、鮮度が保てず処分された個体が幾らかあるから、完全には一致しないが、まあ想定の範囲内といったところだろう。骨の処理業者の記録も、不自然に多すぎたり少なすぎたりということはなかった」
「なるほど。それではあの場所の駝鳥は、正式な取引の外から出たものか、あるいは……」
「正式な取引の中の、何らかの不正な行いから出てきたもの、ということになるな」
族長の空いた杯をパキラが満たし、イベリスが慌てて口の中の食べ物を飲み込んだ。二人の話について行くのと食事とに一生懸命だったようだ。
「気が利かずにすみません!」
「いや、構わずとも良い。その代わりしっかり話についてこいよ」
パキラはそう言ってにやりと笑った。よく見ると、族長もパキラもずっと話をしているにも関わらず、食事も酒も進んでいる。レンは頻繁に二人の表情を観察していたつもりだったが、食事を口に運ぶ瞬間は見逃しているのだろうか。いや、昨夜パキラがイベリスに言ったように、レンも観察が足りないのだと反省する。族長やパキラは、一体一度に幾つのことを考えながら生きているのだろう。
「辺境の動きの前に闇市についてだが……」此処でパキラは初めて視線を族長からカリンへと動かした。「法務局長、シェフレラ殿と言ったな」
カリンは「はい」と返事しながらも、小さく首を傾げた。
「口外するなと言ったそうだが、結局は自らの力を使わず、俺に収めさせたかったのだろうよ」
「あ……」
「ひとつ摘発したところで、おそらく似たようなものが次々と生まれる。ポハクとして根本から法で縛るなりなんなりして収めよ、ということだな」
「申し訳ありません」
「カリン殿が悪いわけではない。シェフレラ殿の言い分も真っ当だ。ポハク族が関わっているのではという疑いの段階で俺に対してなんとかしろというわけにも行くまい。俺に調べさせて、ポハク族の関与が確定した段階で、そのまま俺自身の意思でなんとかさせようとしたのだろう。アグィーラが摘発してから俺が調べたのでは、証拠隠滅を謀る奴らが出て来かねない。至極効率的で賢いやり方だが、城には本当に猛者が沢山居るのだな」
パキラはくつくつと笑い、カリンは更に申し訳なさそうな表情を浮かべた。カリンの悪い癖だな、とレンは思う。きっと、城を代表しているような気持ちで申し訳なく感じているに違いない。
「幸いなことに、根っこは腐ってない」
「商人会は関わっていなかった、ということでしょうか?」
パキラの言葉に、カリンが質問を挟む。
「そう。細かい話は本編に関係ないから省くが、ある程度俺が信頼する筋から調べたからそこは間違いない。それどころか、元々は、商人会が認可していない者たちが町の外で移動式の個人商店を営んだことに端を発しているようだ」
彼らは最初、ポハクと他の土地や町を繋ぐ動線上で商売をしていたらしい。パキラが族長になるよりも昔のことだ。当然商人会の認可を受けずに商売をすることは犯罪で、固定した店舗を持てばすぐに摘発されてしまうので、自らも旅人だという風に見せかけ、さも休憩しているかのように足を止めては数時間から半日くらいの間商売をし、また場所を移動する、というような生活を送っている。実は正規の商人の中にも行商を行うものは少なくない。だから、買う側からすると区別がつかないことも多いのだという。歴代の族長はこれを見逃してきた。損や得をするのは実際そこで買い物をした者がほとんどであったし、ポハクの大きな市場には大した実害が無かったからである。要は摘発する手間に比べて実利が少なく、面倒だったのだ。
ところがパキラが族長になって後、商人会の認可を受けた行商人には、商売の間それと分かるように公式の印を掲示するよう求めた。それにより摘発も進み、不正は随分と減った……ように見えた。が、実は不正の輩は闇に姿を隠したのだった。商売をするのは夕刻から夜にかけてと決め、最初のうちは夜間の旅道中、店が無く困っている旅人を相手に商売していたが、そのうち正規の市場では売れない物なども扱って黒い商売をし始めるようになる。
「そうなると、今度はその市場自体にポハクの正規の市場とは別の魅力を感じて目をつける輩も出てくる、というわけだ」
全く、何処までも性根逞しい。と言ってパキラは軽く溜息を吐いた。
「そうして、更にはラプラヤの中には止まらず、アグィーラの領地でも商売をする者が出てきたというわけですね。しかし、ラプラヤの外で商人会の認可を受けない者が商売をしたら、それこそ大きな問題なのではないですか?」
「カリン殿の言うとおり、大罪だ。しかも、商人だけの問題だけではなくなってくる」
「あの、もしかして……」
「俺の責になるのを知っていて、けしかけた奴がいるのかも知れないな。あるいは、自棄になって俺と一蓮托生を狙ったか」
他人事のように話すパキラの代わりに、イベリスが憤った声を上げた。レンは随分とポハクの内情に詳しくなったし、何度かこのような場にも居合わせたから、そのような行動に出る人々が居るということも、パキラが打ち出す施策を掻い潜るようにしてすぐに次の悪事の芽が芽生える不毛さも理解できてしまった。本当にきりが無い。
イベリスの憤りを軽くいなすパキラの声を聞きながら、レンは次に話されるであろう辺境の人々の暮らしを思った。ポハクの町の外の暮らしを選んだ彼らの暮らしは、果たして穏やかなのか、それとも、壮絶なのだろうか。
