物語の欠片 鶯色の芽吹篇 19
-カリン-
カリンが子供の頃、魔物に家を壊されるまで、カリンの家族はアグィーラの城壁の外に暮らしていた。理由は、カリンの母親が由緒正しき薬師の家の出であり、薬草を育てるために比較的広い敷地が必要だったからだ。また、城壁の中の土よりも、カリンの家のあった辺りの土壌の方が薬草には適していたということもある。ただ、城壁の外とは言ってもアグィーラの城下町からそれ程離れていたわけではなく、子供の足でも十分歩いて行ったり来たりできる距離だった。ローゼルなどは平気で城壁内の自分の家とカリンの家を行き来していたし、カリンも、随分と幼い頃から母親について城まで歩いてゆくことがよくあった。とても辺境と呼べるような場所ではない。アグィーラの辺境といえば、エルアグアとの境にリクニスの牧場が在る他は、古い遺跡が多いように思う。アグィーラにも町の外に集落を作って住んでいる人は居るが、それほど多くはないだろう。アルカンの森の主の話によると、六百年前に大地の化身が途切れる前までは、城壁の外の草原はもっと潤っており、住んでいる人々も多かったのだという。アグィーラでは、領内の土地は建築局が管理していて、領内の土地に何かを造る場合には申請が必要だ。固定の建築物を建てるわけではなく、通行や一時的な利用であれば申請は不要。ただし、建物を建てなくても土地の利用が営利目的の場合には、今度は法務局に申請が必要になる。
パキラの話によると、ラプラヤの土地は旧来余すところなく族長の持ち物という位置づけであるらしい。族長が族長の権限で、土地の利用方法を定めている。特にポハクの町の中は、大まかにいうと商売をして良い商業地区と居住地区、それからラプラヤを維持するための施設が置かれている官舎地区に分けられており、商売をして良い場所はまとめて商人会に管理が委託されている。商人会は商業地区を更に、固定店舗の敷地として土地ごと販売する地区と、自由市場地区とに分けており、購入価格や利用価格がそれぞれ設定されている。自由市場地区の利用料は比較的安価だが、その中で固定の店舗を持つことは禁じられており、人々はその日その日で空いた場所に天幕を張ったり布を敷いたりして商売の場所を確保する。また、商業地区での寝泊まりは禁止されている。つまり、ポハクの町の中で生活しようと思ったら、居住地区に土地を購入する必要がある。土地の値段は場所によって様々だが、貧富の差が激しく富裕層はごく一部であるため、財力のない多くの者が安い土地に殺到する。結果、あぶれるものもおり、そういった者たちは、必然的に町の外で暮らすこととなるのだった。
一方でポハクの町の外の土地も、当然ラプラヤ領内であるから族長の土地である。その中で居住を許されるのはポハクの町から離れた場所のみだった。これは、ポハクの町に住めなかった者たちが族長を恨んで徒党を組んだり、町の近くで粗野な集団が何かおかしなことをしでかしたりするのを防止する目的があった。しかしポハクの町の中よりは不便であるため、土地の価格は町の中よりも格段に安い。結果、進んで辺境の地に居を構える者たちも一定数居るようだった。また、例えばアグィーラであれば一部の例外を除いて辺境よりも中央の方が土地そのものが潤っている。一部の例外はワイと接する辺りで、リクニスの牧場はこの地の利を生かして牧場を営んでいるのだった。一方のラプラヤでは、地都であるポハクのすぐ西側が死の砂漠であり、実はポハクから離れた辺境の方が、土地自体は潤っていることが多い。特にアグィーラとの境の辺りは、ポハクの町へ物資を仕入れに行くよりもアグィーラの城下町へ行く方がやや近く、馬を飛ばせば日帰りで往復できることもあり、ポハク内に住めない者たちにとっては、暮らしやすい場所と言えるかもしれない。
「そういう棲み分けだから、これまであまり辺境には注目してこなかった。不満の声も聞こえてこないし、年に一度の見回りの際には特に問題を感じることも無かったのだ。確かに暮らしは豊かではなかったが、それほど荒んでいる風にも感じられなかった。土地の利用料も滞りなく収められいたから、なんとか暮らしているのだろうと考えていたのだが……」
パキラは表情を曇らせて杯を干し、細く長い指で鮮やかに次の葡萄酒の瓶を開封した。その瓶を真っ先にカリンのグラスに向かって差し出したので、カリンは思わずグラスを手前に引いた。
「パキラ様からお先に。私は自分で」
「そう畏ることはない。他種族であるマカニ族の客人とは言いたくないが、俺にとって大切な客人であることには変わりがない。酌ぐらいさせてくれ。イベリスが同じことをしたら断るまい?」
「あの、お断りしたわけでは……」カリンは気持ちを切り替えて笑顔を浮かべた。「では、ありがたくいただきます」
にやりと口元を歪めたパキラは、目元がイベリスに似ていて、本心の歓迎であることが伝わってきた。カリンはイベリスとパキラが和解して時間が経った今でも、このような些細なことに心が動かされてしまう。
パキラはカリンの後、族長のグラスを経由して自らのグラスを満たした。
「どんな口実で調査した?」
族長の問いにパキラは不適な笑みを浮かべた。
「闇市ではなく、駝鳥の方で正面から」
「なるほど。で、何が出た?」
「辺境の地の一部で、駝鳥の骨の処理を二次請け負いしているのは知っていたんだ。ポハクの町でなくともできる商売だし、なんなら販路であるアグィーラやワイまでも近い」
「需要と供給の均衡が壊れたか、あるいは、もっと良い商売に目が眩んだか」
「両方だな」
ポハク内での流通の整合性はとれていたが、ポハクで処理されているであろう駝鳥の骨の量と、アグィーラやワイへの加工品の輸出量に乖離があるようだから調査しているとかまをかけたら、対応した者は「そんなことがある筈はない」と言いつつ顔色を変えたそうだ。「不正を働いていないならば良い」と、その場は深く追求せず引き上げ、密かに見張りを立てておいたら動きがあった。行く先は、契約先であるポハク内の大手処理業者。
「すぐにカメリアの手先にでも繋がっていてくれれば分かりやすいんだが、まあそんな安易な真似はしまい」
カメリアの名にイベリスが反応する。
「やっぱりカメリアが関わっているんですか!」
「さあな。まだ判らないんだよ」
それでもパキラはその可能性を疑っているのだろう。そのパキラは族長に向かって「繋がったか?」と尋ねた。
「ああ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。俺は何が何だか全く分かりません!」
「ん? ああ、まあ、分からないだろうな」
「いや、え? そんな。説明してくださいよう」イベリスは眉を下げて情けない表情になり、縋るような目をカリンに向けた。「カリンは分かってるのか?」
「大筋は……多分。でも……」カリンはイベリスの縋る目線を受け渡すかのように族長を見た。「族長様がこちらにいらした意味が、まだ分からなくて」
「え?」
「族長が此処にきた意味?」
イベリスとレンがほとんど同時に声を上げた。三人の視線を受けた族長は穏やかに微笑む。そのまま三人に乾杯をするようにグラスを傾けて葡萄酒を口に含むと、穏やかな声で驚くべきことを告げた。
「どうやらカメリア殿は私に会いたかったらしい」
カリンは軽く息を呑み、レンは目を丸くし、イベリスは一瞬の沈黙の後大きな声を上げた。
「はあぁっ? 何なのですか、それは!」
「ああ、説明したくもない」
パキラは苦笑のような、呆れているのと怒っているのとが合わさったような表情をして天井を仰いだ。
「そんなの駄目です。説明してくださいよ。そうじゃないと何が何だか分かりません」
驚きはしたものの、カリンの中でも漸く全てがつながり、でしゃばってはいけないと思いつつ控えめに声を出す。
「あの、ご迷惑でなければ私が代わりに」
「迷惑でなどあるものか。おそらくカリン殿の説明が一番丁寧で聞きやすいだろう。いや、途中が面倒で端折るのは俺くらいなものか。エンジュに語らせるのも面白そうだがどうする?」
尋ねられたイベリスは族長とカリンの顔を暫く交互に眺めていたが、やがてカリンの方を向いて止まり、そのままにっと笑う。
「好奇心より、礼儀が優った」
カリンはイベリスに笑顔を返してから、簡単に頭の中で流れを確認し、呼吸を整えてから口を開いた。
時計は、丁度二十一時を指していた。
