物語の欠片 金糸雀色の午篇 2
-レン-
イベリスはポハクの入口の石垣にもたれかかり、大きく手を振っていた。上空からでも、満面の笑みを浮かべていることが分かるようだった。
カリンもレンの背中で手を振り返しているようで、振動が伝わってくる。
少し手前で着陸すると、カリンはひらりと背中から飛び降り、イベリスはこちらへ向かって駆けてきた。
「よぉ。よく来たな」
「お待たせ。こんな暑い中、よく外で待っていられるね」
「俺にはこれが普通だからな」
イベリスはいつものように軽やかな綿のシャツ一枚で白い歯を見せて笑う。レンはと言えば、マカニでは既に長袖を着ているが、今日はポハク用に半袖の上に薄い上着を羽織ってきた。それを脱いで陽射し対策の為に頭から被る。
「僕もだいぶ慣れたけどね」
「そういや、すっかり熱射病でぶっ倒れなくなったな」
「もう二度とごめんだよ」
いつもの軽口を交わしながらポハクの門を通り抜け、パキラの館へ向かう。途中、カリンがイベリスに、今回は町を見てみたいと話しかけた。
「おお、お安い御用だ。今回は少しゆっくりできるんだろう?明日の涼しい時間帯にでも出かけるとしよう」
「有難う。嬉しい」
初めてポハクに来た際は、当時イベリスの住んでいたサフィニアの館に滞在した。広大な敷地に贅を尽くしたサフィニアの館は比較的奥まったところに在るので、ポハクの町を通り抜けていく感じだったのだが、パキラの館は元々住居の為に建てられたのではなく、族長の執務用として建てられたものであるため、繁華街からは少し離れているものの、町の入口付近の官舎が集まる地域に在り、町を通り抜ける必要がない。
レンたちがポハクを訪れる目的は主にイベリスに会うためであったので、これまでは敢えて町へ出かけることもせず殆どの時間をパキラの館で過ごしていた。
「町を見たいだなんて、珍しいね」
「カエデさんに話を聞いたら、見てみたくなったの。よく考えたらアヒもワイも町中を歩いたことがあるけれど、ポハクはこんなに沢山訪れているのにきちんと見たことが無かったなと思って」
「僕は基本的に賑やかな場所は苦手だから、何処も似たようなものだけどね」
「お前は家に居てもいいぞ。カリンと二人で出かけるから」
にやにやと笑いながら言うイベリスを軽く睨む。
「折角の機会だから行くよ。確かにこんな時でもないとゆっくり町を見るなんてできそうにないからね」
「それは残念。無理しなくていいんだぞ」
「してないよ」
パキラはいつもの中庭に面した応接用の部屋に居り、イベリスがレンたちの到着を告げると読んでいた分厚い本を脇の小さな机へ置いた。
「ポハクに対する様々な気遣い、感謝する。とはいえ、今回は私的な訪問だ。ゆっくりしていってくれ。この館内はいつも通り自由に使ってくれて構わない」
パキラは、レンが族長から預かった書簡を渡すとその場で目を通したが、特にその内容には触れずにそう言った。
レンたちも礼を返しただけで部屋を出る。
何度か来ているうちに、レンとカリンが泊まる部屋は決まっていて、案内されずとも自然に足が向いた。
客室は全て二階に集まっているが、その中でも広めの部屋で、大きな窓から広いテラスに繋がっている。そこには花をつける種類のサボテンなどが多く植えられていて、二階にも小さな中庭があるようなものだった。
カリンはすっかりテラスの植物たちとは仲良しで、再会の挨拶をして回っている。それを眺めながらレンはイベリスに話しかけた。
「パキラ様からカメリアさんの話は聞いてる?」
「聞いたよ。全く、今度は何を企んでいるんだか」
「パキラ様は何か言ってた?」
「特に何も。表面上は興味無さそうな表情で書簡をそのまま俺に渡してくれただけだ。考えてはいるんだろうがな」
「イベリスの考えは?」
「俺に訊くか? 誰かの策略とかそういうの考えるの苦手なんだよ。何か仕掛けてきたら受けて立つまでだ」
「まあ、そうだね。僕も似たようなものだ」
「マカニの皆は元気か?」
「うん。マカニは相変わらず。水車の不具合とかそういう細かい問題は色々あるけど」
「そりゃあ良かった。……さて、明日は町に出るとして今日はどうするかな」
「いつもどおりじゃない?」
「じゃあとりあえず、茶でも持って来よう。それとも酒がいいか?」
「お茶でいいよ。先は長いしね」
「了解」
いつもどおり。それはただ話をしたり一緒に食事をしたりしながら過ごすだけだった。カリンは時々本を読む。ポハクに居るとそれだけであっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
今回は滞在が長いので、レンも珍しく族長から借りた本を持ってきているが、それが登場する時間は果たしてあるだろうか。
朝早くのポハクの町は、これから何かが生まれようとしているような活気があった。この砂漠の町は夜には死して、毎朝新しく生まれ変わっているのかもしれない。
飲食店は仕事前の人々に朝食を供するために早朝から店を開け、食料品店や雑貨屋は商品の陳列に余念がない。石造りのしっかりした店舗、布を敷いて天幕を張っただけの簡単な店舗が入り混じる町には、昼間の、客で賑わっている時とはまた違った掛け声が飛び交っている。
折角だからと、今朝は朝食をイベリスの行きつけだという店で摂ることにした。昨晩パキラも誘ったのだが、丁重に断られた。今朝三人を見送った表情は、何処か愉快そうだった。
イベリスがよく行くというその店は、古い石造りの建物の一角にあった。店の前に数席だけテラス席がある。開け放してあった扉から中へ入ると、店は細長く奥へと続いていた。左側がカウンター、右側に小さな二人掛けのテーブルが通路に沿って並んでいる。
「いらっしゃい。ああ、何だイベリスか」
カウンターに居たポハク族の若い女がすぐに声を掛けてきた。随分な挨拶だがイベリスは気にする様子もなく、慣れているというように片手を挙げて挨拶を返す。続いて女は後から入ってきたレンの翼に目が止まったのか、マカニ族! と声を上げた。店の中に居た数名の客がレンたちの方を振り返る。
「相変わらず騒々しいなあ。そうだ、マカニ族だ。二人とも俺の友人だよ」
「以前話していた人たちね? 連れて来てくれたの? 会いたかったのよ。いらっしゃい。奥でゆっくりしていって」
繁盛しているらしく、レンたちの後ろにも客が続いている。急かされるように店の奥へ向かうと、細長い通路の奥は広々とした空間が広がっており、大人数でも使えるような大きめのテーブルが並んでいた。二階部分を抜いているのか天井も高く、室内ながら開放感がある。
「いつもはカウンターか、包んでもらって持ち帰るだけなんだけどな」
イベリスはそう言いながらも慣れた様子で四人掛けのテーブルに席を取ると、品書きの紙を渡してくれる。紙には裏表に渡ってぎっしりと食べ物や飲み物の名前と簡単な説明が書かれてあったが、すぐに何が何かは分からない。
「最初にポハクに来た時に、俺が外から昼食を買って帰ったの憶えてるか? あれも此処のだったんだ。此処の親父さんがいい人でさ、ずっと前から懇意にさせてもらってる。俺が外食する時は大抵此処だな。何を食べても美味いよ」
最初にポハクに来た時、それはイベリスが今のようにパキラと共に暮らす前だった。イベリスが今よりもずっと苦しかった時だ。それ以前から関係が続いているということは、イベリスが本当に心を許している珍しい人なのだろう。レンは俄に興味が湧いた。
先程カウンターに居た女は娘なのか、ただの雇われ店員なのか。年の頃はレンやイベリスとそう変わらないように見えた。
以前イベリスが買ってきてくれたのは、ポハク特有の薄く平らに焼いたパンに肉や野菜が包まれているものだった。香辛料が程よく効いていて、確かに美味しかったのを憶えている。
先程の女がこちらへ歩いてくるのが目に留まったので、イベリスに注文は任せる旨伝えると、カリンも同意するように頷いた。
「マカニ族って可愛らしいわね。お人形みたい。男の子も綺麗だわ」
注文を取り終えた女は遠慮なくレンとカリンを交互に見ながら言う。
「マカニ族も色々だよ。まあ色は白いがな。レンが童顔なだけだ。それに、カリンは元々アグィーラ人だからな」
「まあいいわ。ゆっくりしていてね。もう少ししたら朝食の波がおさまるから」
「おい、勝手に参加する気になるなよ」
「いいじゃない。滅多に無いことなんだから」
「俺たちにも都合ってものがあるんだよ」
「どんな都合よ」
「それは色々さ」
「イベリス、私は構わないよ。町を見るのも楽しいだろうけれど、イベリスのお知り合いとお話するのもきっと楽しい」
女はカリンの一声に勝ち誇ったような表情をしながら、軽やかに手を振って去って行った。イベリスは大げさに溜息をつく。
やがて運ばれてきたのは、レンズ豆のスープ、平たいパンと豆や野菜でできたペースト、果物、そしてカップに入った黒い液体だった。
見慣れないが香ばしい良い香りのする液体を指差して何かと尋ねると、イベリスはにやりと笑う。
「珈琲さ」
「こーひー?」
「珈琲って、あのコーヒーの木のコーヒー?」
レンとカリンは揃って首を傾げたが、カリンの方が一歩進んでいた。確かにコーヒーの木というものが存在することはレンも知っている。
「そう。この春にアルカンの森が燃えただろう? 商魂逞しいポハク族はな、何か事件があると商売の種が無いか探しに出かけて行くんだ。そして、何とも良い香りのする燃えたコーヒーの木を見つけた。香りの正体は燃えたこの実だったという訳さ。で、その商人は考えた。コーヒーの木の実を焙煎して粉にしたら茶のように飲用にできるんじゃないかと」
「へえ」
レンは改めてカップを手に取り鼻を近づける。これまで飲んだことのあるどんなお茶とも違った香りが鼻孔を掠めた。興味を惹かれるがままにひと口含むと、苦みと微かな酸味が口の中に広がる。後味は意外なほどすっきりしていた。
「どうだ?」
「うん。美味しいと思う」
「そりゃ良かった。まだ店で飲めるのは此処だけなんだぜ? 此処のおばさんは凄腕の食材の目利きで、珈琲豆が市場に出回ると同時に店で出すことを決めたんだ」
「このお店って、家族経営なの? さっきのは娘さん?」
「あ? ああ、ネメシアっていうんだ。お前と同じ年。少し見て分かるとおり、かなり面倒な奴だよ」
「仲良さそうに見えたけど」
「どんな目してるんだよ。相変わらず人を見る目が無いな」
「余計なお世話だ」
「とりあえず食べようぜ。冷めちまう」
異論はなかったのでしばし食べることに専念する。普段パキラの館で美味しいものを食べ慣れているイベリスが薦めるだけあって、どれもシンプルな料理ながら美味しかった。きっと素材がいいのだろう。
普段は粗野に振舞っているイベリスの育ちの良さを久しぶりに垣間見た気がした。
