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物語の欠片 金糸雀色の午篇 3

-カリン-

 食事をあらかた食べ終えた頃、ネメシアはカップをひとつとポットを載せた盆を持ってやってきた。
 特にゆっくり食べていた実感はないのだが、殆どの客は食事を済ませ、おそらくはそれぞれの仕事場へと去っていた。確かに食堂としての朝の一番忙しい時間帯は過ぎたのだろう。
「珈琲のおかわりをサービスしてあげるからもう少し居なさいよ」
 ネメシアはそう言って返事も聞かずにイベリスの隣の席に腰かけ、自分の分を含む四つのカップに珈琲を注ぐ。
 イベリスは諦めたように、好きにしろとそっぽを向いた。
「私はネメシア。この食堂の娘よ。イベリスとの付き合いはもう十年くらいになるかな。初めてこの店に来た時は随分とやさぐれていたけど、少しは大人になってまともになったわよね」
「うるさいな。俺のことはどうでもいいだろう?」
「貴方との関係を説明しないと分からないでしょう? ……でね、いつの頃から時々貴方たちの話が出るようになったの。どうやら単に英雄の仲間という訳でも無い話しぶりに興味津々でね、連れて来てよってお願いしたんだけど全然聞いてくれなくて。漸く望みが叶ったというわけ」
「別にお前の為に連れてきたわけじゃない。今回は偶々滞在期間が長くて、カリンがポハクの町を見たいと言ったから……」
「今回はゆっくりできるのね? 良かった。何度でも遊びに来て頂戴。貴女、カリンというのね? アグィーラからマカニへ嫁いだのよね。もうそれだけで聞きたいことが山程ある」
 ネメシアの勢いにやや圧倒されながら、カリンとレンは簡単に挨拶を済ませる。
 ネメシアはそれを聞きながら満足そうに皿に残っていた乾燥ナツメヤシをひとつ頬張ると、珈琲を口に含んだ。
「ねぇ、翼に触ってみてもいい?」
「構いませんよ」
 レンが承諾するとネメシアは立ち上がり、レンの背中側へと回った。
「ふぅん。不思議。これ、作り物なのでしょう? 私が触れても触れられている感覚は無いのよね?」
「翼自体に感覚器はありませんが、振動は伝わるので分かります。特に飛んでいる時の風の抵抗は微妙なものでも翼で感じています」
「へぇ。面白い。飛ぶところも是非見てみたいわ。本当に飛べるのよね?」
「おい。幾らなんでも初対面で馴れ馴れし過ぎる」
「貴方に言われるとは思わなかったわ」
「俺はお前程じゃない……レン、お前何笑ってるんだよ」
「いや、イベリス、初対面の時、僕に同じこと訊いてたよ。翼を指差して、これ本当に飛べるのか? って」
 ネメシアは大笑いし、イベリスに悪いと思いつつも、カリンも思い出して思わず笑いが漏れた。
 イベリスは気まずそうにカップの珈琲を飲み干した後、何かに気が付いたかのようにふと片手を挙げる。振り返ると、一人の恰幅のいい男がゆったりと近づいて来ていた。
「楽しそうにやってるな」
「おお、親父さん、おはよう。紹介するよ。レンとカリン。二人とも俺の大切な友人だ」
「何よ私には紹介してくれなかったくせに」
「紹介する暇も与えなかったくせに」
「お前たちが話を始めると先に進まないからそれくらいにしておけ。……私はヒソップといいます。お二人の話は時々イベリスから聞いていました。お会いできて嬉しい。この店はイベリスのおかげで繁盛したようなものでね、大いに感謝しているんですよ」
「親父さん止めてよ。俺は何もしてないって」
 隣の席の椅子を引き寄せて座ったヒソップが話してくれたところによると、当時この店は開店したばかりで無名。既に族長のひとり息子として有名だったイベリスが店を訪れたのは偶々だったらしい。
 店には他に誰も居なかった。当然ヒソップはイベリスのことを知っていたが、なるべく平然と接客しようと努めたという。
 注文を取る際に見たイベリスの表情は、いつもの大勢の人に囲まれている時とは異なり、何処か翳があった。思わず、どうかしましたかと声を掛けた。

ーー何が?
ーーいえ、このような無名な店におひとりでいらっしゃるのを不思議に思いまして。
ーー誰も居ないのがいいんだよ。
ーーそうですか。ではごゆっくりしていらしてください。

 食事を終えたイベリスは、美味しかったよと笑顔を見せた。ヒソップは礼を言い、またいらしてくださいと笑顔を返した。
 イベリスはその後も何度かまたひとりで訪れた後、ヒソップに尋ねた。

ーー本当は誰にも教えたくないんだけど、店としては繁盛した方がいいよね。
ーーそれは、まあ…。

「……イベリスが次々と連れて来てくれた人たちから噂が広がり、あっという間に繁盛店になったんだ。頭が上がらんよ」
 話しているうちにすっかり口調が砕けたヒソップは、イベリスの背中を力強く叩く。
「あのさ、親父さん。いつも言ってるけど、幾ら俺が人を連れて来たって、食事が不味けりゃその後人は来ないし噂にもならない。せいぜい、族長の息子は贅沢している割には悪食だっていう噂が広がるくらいだ。親父さんの実力だよ。少なくとも俺は本気で美味いと思ってるからこうして通ってるんだし」
「いいんだよ。俺が勝手に感謝してるだけなんだから」
 カリンは、イベリスにも以前から心を許していた人が居たのだということが分かり、嬉しくなった。あの時までずっとただひとりで苦しんでいたわけではなかったのだ。しあわせな気持ちで二人のやり取りを見ていたら、突然ネメシアに話しかけられた。
「貴女はマカニ族になったのに翼は持たないの?」
「何度か考えたことがあるのだけれど、私はただでさえひとりで先走ってしまうから、翼が無いくらいの不自由さがちょうどいいみたい」
「あはは。何それ面白い。貴女と私は正反対かと思ったけれど、仲良くなれそうな気がして来たわ」
「うふふ。そうならば嬉しい」
「おいおい、頼むからカリンをお前みたいに粗野な奴にしないでくれよ」
「あら、大丈夫よ。だって今まで貴方と仲良くしていてそうならなかったのでしょう? レンだって族長の息子である貴方よりずっと品性が感じられるわよ」
「俺は族長の息子だが族長の跡継ぎじゃない。それにな、お前あの族長を近くで見たことないだろう。俺よりずっと野蛮だぜ?」
「パキラ様は、なさることは豪快だけど野蛮という感じではないよね。品性はあると思うよ」
「レンお前、どっちの味方してるんだよ」
「どちらの味方でもないよ。素直な意見」
「はあ。お前はそういう奴だよな……」
 イベリスは大きく肩を落として溜息をついてから、気を取り直したように、さて、と続ける。
「随分長居しちまったけど、そろそろ行かないと陽が高くなるぜ?」
「そうだね」
 カリンとレンも頷いて立ち上がるそぶりを見せると、ネメシアがあからさまに残念そうな表情をしたので、カリンは思わずマカニへ帰るまでにまた来ることを約束してしまう。途端に表情が輝くのを見て、ココを思い出してしまった。

「気を遣わせちまってすまなかったな」
 店を出てからイベリスが言う。カリンは首を振ってそれを否定した。
「私ももう少しお話してみたかったから。なんだかね、ポハクにもイベリスが心を許せる人が居るということが嬉しくて」
「心を許してる……のとは少し違うかもしれないけどな。」
「そうなの?」
「うーん。少なくとも、お前たちとは違う」
 更に言葉を重ねようと思った矢先に、彼方此方あちらこちらから客引きの威勢の良い声が響く。とてもではないが話をしていられる雰囲気ではなかった。
 動き始めたポハクの町は朝の比ではない程賑やかだった。
 人の往来が多い上に、ポハク族は皆早足だ。横並びに並べないのでイベリスを先頭に縦一列に並んで歩くのだが、少しでもイベリスから離れると途端に客引きに声を掛けられる。その度にイベリスは引き返してきて、自分の連れだと告げる。その繰り返しだった。
 しかし、暫く歩いていると人の流れにはある程度の規則性があることが分かり、両脇の店を眺めながらでも上手くイベリスから離れずに歩けるようになってきた。
 レンも同様だったようで、珍しい品物に時折声を上げるようになった。
 ポハクの特産品である石や貴石、それらでできた加工品を売る店が多い。その他、様々な地域から仕入れてきた工芸品や、カエデが言っていたような乾物を売る店、当然ポハク族の日々の食卓を支えている食料品や生活雑貨を売る店もある。
 町歩きが楽しくなった頃、ふと人だかりができている場所に出くわした。
「そんな馬鹿な!」
 鋭い女の声と、それを諫める男の声。しかし次第に男の声も大きくなる。
 イベリスはその声を聞いて眉間に皺を寄せると、人だかりに向かって歩いて行った。カリンとレンは顔を見合わせ、イベリスの後を追う。
 突然現れたマカニ族に驚き、人だかりは簡単に道を開けてくれた。
 人だかりの向こうではひとりの女が、店の人と思わしき男数名と言い争っていた。どうやらつい数日前と品物の値段が大幅に違うことに納得がいかないようだ。
「そんなこと言われたって、こっちだって生活が懸かってるんだ!」
 ついに我慢しきれなくなったらしい男が大声をあげて女の身体を押したのと、イベリスが「おばさん!」と叫ぶのが同時だった。
 イベリスの声に気を取られた女の身体が、男の力に押されて大きくよろめく。女の抱えていた荷物が落ち、中身が辺りに散乱した。
 女の身体ももう少しで地面に倒れそうなところを、ぎりぎりのところでイベリスが抱き止めた。
 女も争っていた男も驚いた表情でイベリスを見る。
「おばさん、ごめん。大丈夫だった?」
「え? ああ、有難う。私は大丈夫だけど、どうして此処へ?」
「偶々通りかかっただけだよ。何があった?」
 女が振り返ると男は気まずそうに顔を伏せた。おそらくイベリスが誰だか知っているのだろう。
「珈琲豆の値段がね、つい五日前の倍になっているのよ。他の食材もここのところ値上がりが激しいんだけど、倍はないんじゃないかって。……ああ、でも、なんだかもう疲れちゃったわ。イベリス、悪いけど店まで……」
 女はそこで初めてカリンとレンの存在に気が付いたようで言葉を止める。
「ああ、ごめんなさい。お客様を案内していたのね」
 カリンとレンはひとまず散乱していた荷物を回収し、袋に収めた。周囲を取り囲んでいた人々は身動きせずに成り行きを見守っている。
「イベリス、あのお店の人なんだろう? 送って行こうよ」
 レンが自分が荷物を持つという意志表示をしながら声を掛けると、イベリスは少し迷った後で頷いて礼を言った。
 人だかりはひとりまたひとりと散らばって行く。暫くしてカリンが後ろを振り返ると、何事もなかったような町の喧騒が戻っていた。

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