物語の欠片 緋色の山篇 22
-レン-
ポハクの近くまで来た時、遠くに馬に乗った人影が見えた。レンにはそれがイベリスであるとすぐに分かった。
レンはポハクの門を通り過ぎ、その人影に向かって飛んだ。イベリスもレンの姿に気がついたらしく、馬上から大きく手を振った。高度を下げながら真っ直ぐに近づき、小さく旋回してイベリスに平行に飛ぶ。
「もしかしてフエゴに行っていたの?」
「よく分かったな。」
「イベリスが南から来たからね。」
「アグィーラかもしれないだろう?」
「それは何となく。」
「冴えてるな。」
「カリンは?」
「ポハクで待ってる。」
イベリスがひとりでフエゴへ行った理由が全く浮かばなかった。いや、選択肢がありすぎて分からなかった。何かを確かめに行ったのかもしれないし、解決した知らせを持って行ったのかもしれない。
自分で考えることを諦めてイベリスに尋ねると、ポハクに到着してパキラの館へ向かう道すがら、昨日あったことを話してくれた。
やはり組織ぐるみの犯罪だった。ただし、商人ではなく採掘工の。パキラも悔しいだろうがイベリスもやりきれないのではないかと思う。自分が属する組織で起こった犯罪だったのだ。
しかし、レンが見る限りイベリスの表情は比較的明るかった。無理しているようにも見えない。
「その割には落胆してないみたいだね。」
「それはなあ…まあ後は父上と一緒に話を聞いてくれ。」
「なんだ。…まあいいや。じゃあ早くパキラ様の所へ行こう。」
レンとイベリスは、遅かったじゃないか、というパキラの声で迎えられた。どうやらレンが来る前に戻っている予定だったらしい。近くで静かに本を読んでいたカリンは二人にそっと微笑む。
「遅くなって申し訳ありません。思ったよりも色々あって。」
「ほう。もしやあのアキレア殿がとうとうお怒りになったかと思ったが…では話を聞こうか。」
「はい。先ずはこちらを見ていただきたく。」
イベリスはおもむろに書簡を取り出すとパキラに差し出す。その仕草は芝居がかっていて、表情はいたずらっ子のようだった。
受け取ったパキラは封を解き、紙を広げる。読んでいる間は終始無表情だったが、読み終えるとばさりと紙を傍らのテーブルに伏せ、口元に手を当てて下を向いてしまった。
カリンが眉根をきゅっと寄せてその様子を眺める。
イベリスの表情からするとそう悪い内容には思えなかったのだが、レンも若干不安を覚えた。思わずイベリスに声を掛けようかと思ったが、イベリスは相変わらずいたずらっ子のような表情でじっとパキラを見詰めていた。
下を向いたままのパキラの肩が僅かに揺れる。
その揺れが次第に大きくなり、やがてパキラの口からくつくつと笑いが漏れた。
レンとカリンは顔を見合わせた。
パキラはついに顔を上げたが、その瞬間笑いを引っ込め、真面目な表情でイベリスに向き直った。
「お前、アヒで何をした?」
「何も。父上からお預かりした書簡をアキレア殿にお渡しし、丁重に詫びて参りました。そうしたら、一晩泊ってゆけと。」
「それで夜通しアキレア殿と語り明かしたわけか。」
「アキレア殿もかなりいける口でして…。」
どうやらアキレアはたいそうイベリスのことを気に入ったようだ。そういえば以前アヒへ行った際にもアキレアはイベリスのことを面白い男だと評していた。今回初めて二人でじっくり話をして意気投合したのだろう。イベリスは人の気持ちを楽にするのが得意だ。パキラには委縮してしまうアキレアも、息子のイベリスには腹を割って話をしたに違いない。
詳しく話を聞くと、アキレアはイベリスを気に入って今回のことを水に流したというだけではなく、あることを提案していた。正式にフエゴ火山の鉄鉱石の採掘および流通をポハク族の採掘工と商人に委託したいというのだ。
アヒ族の土木師が掘った穴をイベリスはすぐに素人のものだと見破った。やはりそれなりの技術が必要ということだ。ポハク族の採掘工が掘った方が効率が良い。
鉄鉱石の目利きや巧みな販売交渉なども、ポハクの商人の方が優れている。その上で、アヒ族に対して幾らかのお金を入れてくれれば良いというのがアキレアの言い分だった。
当面の間は、ポハクの商人がアヒ族の土木師を安く買い叩いたのと同じ割合で働いてもらう。今回の負債を返し終わった後は正当な割合に戻そうと、そこまで提案してきたそうだが、失礼ながらレンにはあのアキレアが理路整然とその提案を語っている様子が全く浮かばなかった。
しかし酒に酔って理想を語ったにしては名案だった。元々アヒ族の土木師たちは本業の傍ら鉄鉱石の採掘を行っていただけだ。それより本格的にポハク族の採掘工が採掘してくれた方がアヒに入る金額も大きくなる可能性がある。アヒ族が危険な火山に近づく頻度も下がる。
勿論それはポハク族がフエゴ火山の危険性を認識した上で成り立つ契約ではある。
「確認するが、これはツバキ殿の入れ知恵ではなくアキレア殿ご本人の意思なのだな?」
「そうだと思います。夜の席、ツバキ殿がいらしたのはほんの最初の方だけで、この話になったのは随分夜が更けてからでした。アキレア殿に尋ねられるままにポハクの死の砂漠での採掘の大変さについてひと通り説明した後でした。アキレア殿は最初自信なさそうに、『正式にポハク族に依頼するわけにはいかぬのだろうか』と。俺が、それはポハク族としては有り難いご提案ですが良いのですかと問うた所、堰を切ったように話し始めたのです。」
「ふん。アキレア殿もやるではないか。これは面白くなってきた。」
やはりアキレアもあの時何かを決意したのだとレンは思った。カリンは嬉しそうな笑みを浮かべてイベリスとパキラのやり取りを眺めていた。レンの視線に気がつくとこちらを向き、良かったね、という風に頷いた。レンも同じように頷き返す。
「イベリス、手柄だ。礼を言う。」
「いや、俺は何も…。」
「お前これ読んだか?アキレア殿のお前の評価は相当なものだぞ。これはお前だから成立した話だ。俺が行っていたら台無しにするところだった。お前のおかげだ。」
「…父上にまともに褒められたのは初めてかもしれない。」
「それはお前…それだけ褒められることをしていないってことだ。精進しろ。」
「ああ、良かった。やはりいつもの父上だ。」
パキラは愉快そうに笑った。イベリスもまんざらでもなさそうに笑顔を浮かべている。
「レン殿とカリン殿も…それからエンジュにも、また借りができたな。返す暇がない。」
「いえ。族長なら、そのうち返してもらうと言うでしょう。それとも、お互い様だ…かな。少なくとも私自身はイベリスに随分助けられています。」
レンの言葉にカリンも頷く。
「エンジュにくれぐれもよろしく頼む。俺はこれからアキレア殿のご厚意を無駄にしないように、さっさと手続きを済ませてしまおう。イベリス、お前も手伝え。お二人をお送りしたら役所に来い。」
颯爽と部屋を出て行ったパキラを見送り、レンたちも町の入口へ向かった。イベリスが誇らしげな表情であったことがレンには何よりも嬉しかった。
マカニへ戻る途中、レンは向かいの峰の間から吹く風が和らいでいることに気がついた。つい先日感じた切るような鋭さが無い。その風に、自然と声が漏れた。
「春が来る。」
「言われてみると確かに少し風が冷たくないかもしれない。」
レンの背中でカリンも言う。気配で、少し身を乗り出していることが分かった。レンはそのまま難なく向かいの双子の峰の間を抜ける。
「ああ、本当。新しい芽吹きの香りがする。」
今度はカリンが嬉しそうに声を上げた。やはり春が来るのだ。長く厳しかった今年の冬がようやく終わりを告げる。
どんな冬でもいずれ終わるのだなとレンは当たり前のことを思った。
水面下で続いていたポハク族の不正は正された。アキレアとツバキの関係性もいい方向に進んだように思う。ホオズキは戦士を辞めてしまうが、族長補佐という新たな役目を得てきっとこの後また大きく羽ばたくだろう。
つい数年前まで歪だったイベリスとパキラ親子の関係は、最早レンが心配する必要などないくらい良好だ。
レン自身も少し前まで悩んでいたが、今は進むべき道を見つけた。いや。実のところ、ずっと悩んだり進んだりを繰り返してきたのだ。子供の頃からずっと。
そういうものなのかもしれない。
森も風も大地も湖も山も砂漠も少しずつ変化している。季節は同じように移り変わるが、実は毎年少しずつ違うのだ。良くなった悪くなったではなく、単純に違うだけだ。良かったかもしれない過去を思って憂うのではなく、今を如何により良く過ごすかを考えた方がずっと建設的だ。
個々の人間だって、人と人との関係だって同じだ。いつの時点の何が正解かなど誰にも分るものではない。
今を見ろ。レンは再び自分自身に言い聞かせた。今の自分を、大切な人たちの今を見ろ。常に今の風を感じて、今感じているものを信じろ。
東の森の近くを通る時、一陣の風が渦を巻いた。今度はレンもその風に新たな命の芽吹きを感じることができた。
春が来る。
春が来たら、大雪の中見合わせていた大吊り橋の建設が始まる。新しい橋が架かるのだ。その頃には、ホオズキは族長補佐の座についているだろう。
そういえばまだ数日ではあるが、あれ以来ココが以前より真面目に訓練に臨んでいる。コキオもココも、ホオズキから受け取ったものをしっかり生かしてくれるように思う。
レンはやはりマカニが好きだ。これまでのマカニも、これからのマカニも。自分は相変わらずマカニのためにできることをやろう。
族長は既に春の風を感じているだろうか。族長の家に着いたらまず春が来たことを報告しよう。
レンは、柔らかな風の中を第五飛行台に向かってゆっくりと下って行った。
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