物語の欠片 鶯色の芽吹篇 11
-カリン-
夕刻にパキラの館へ戻ると、驚いたことに裏庭でイベリスが待っていた。不機嫌そうな表情である。もっとも、出逢ったばかりの頃のイベリスは、不機嫌そうな表情の欠片も見せずいつも戯けた表情を浮かべていたから、その頃よりはましだな、とカリンは思う。
それでも、レンの背中から降りるのももどかしくイベリスへと駆け寄り、ぎゅっと抱擁する。
「ごめんね。お待たせ」
「遅い」
怒った風を装ってはいるがそれ程硬くはない声に、カリンは少し安堵した。レンも同じだったのだろう。呆れたような声でイベリスに声をかけた。
「もしかして、ずっと此処で待っていたの?」
「んなわきゃないだろ。そろそろだろうと思って待ってたんだよ」
パキラの館は、普段は人の立ち寄らない裏庭であっても綺麗に整えられており、そこに置かれた美しい大きな石のひとつに腰掛けていたイベリスは、のろのろと立ち上がった。それから、長い間腰掛けていたことにより固まった身体をほぐすかのように大きく伸びをして腕を回すと、大袈裟に溜息をついた。
「パキラ様と族長様は中に?」
おそらくそうだろうと思いながらも尋ねると、イベリスは頷く。
「あの二人は結構早く戻って来たけど、お前らが戻ってこないと話の続きをする気はないらしく、今回のこととは関係のない話ばかりしてるんだ。それをずっと聞いているのもなんだか気まずくてさ。とはいえ、好きなことをしてろと言われても落ち着かないじゃないか。こんなことなら仕事に行きゃ良かった」
イベリスは早くそれぞれの話を聞きたい、という風に応接の間へと早足で進んでゆく。と、開け放たれたままの応接の間からパキラの声が聴こえた。
「酒は身体に毒だというが、本当だとしたら大層頼りない毒だな。これだけ飲んでいるのに、ちっとも死にやしない」
「死」という響きにどきりとしてイベリスの表情を伺うと、ほんの一瞬だけ顔をこわばらせたイベリスは、すぐに戯けた表情になって部屋の中に入った。
夕食の準備は既に整っていて、パキラと族長の前には食前酒なのか、小さめのグラスに琥珀色のとろりとした液体が満たされていた。部屋の外へ漏れ聞こえてきた台詞に反して、二人はまだその液体には手をつけていないようだ。
「父上! なんてことを言うんですか。毒だと思いながら毎日あれだけ良い酒を空けているのですか?」
「お。イベリス戻ったか。いや、それはレン殿とカリン殿に言うべきだな。ご協力に心から感謝する」
カリンとレンはその言葉に一礼したが、イベリスはそれで終わりにはしなかった。
「はぐらかさないでください。父上は毎日酒を飲んで、緩やかな自害でもなさるおつもりですか」
イベリスの表情は戯けたままだったが、目が笑っていなかった。一方のパキラはいつもの余裕の表情だ。
二人きりの時には訊けないのかも知れない、とカリンは思った。
そう思うと、パキラが「うっかりイベリスに聞かれてしまった」という状況も、可能性としては低いような気がしてくる。パキラは、イベリスが常々疑問に思っているであろうことを、明らかにする機会を与えたのかも知れない。しかしそれはどちらもカリンの想像でしかなかった。
「お前なあ。俺がこのちっとも酔えもしない酒を、何のために飲んでいると思っていたんだ?」
イベリスは、その問いを聞くと突然芝居がかった口調になった。悪い傾向だ、と思う。
「そりゃあ、美味いからですよ。酒の味が好きなんだ。ちなみに俺の場合は、酒を飲んでいれば周囲が緩い雰囲気になるのが楽でいいのですが、父上が相手の場合はそうもいかない。それでも、父上と酒を飲むのは好きです。それは、父上も酒が好きだから、だと思っていました。それが、酒が毒だと思って飲んでいたとは酷いじゃないですか」
イベリスは、自身も相当酒に強い。パキラは目の前のグラスに視線を移した。
「そうだな。味は、嫌いではない。美味い酒はやはり美味い。それとな、酒という存在が良い。お前は知らないだろうが、ポハクの古い時代にな、毎晩酒ばかり飲んで、飲んでいる間に浮かんだよしなしごとをつらつらと詩にした男が居たんだ」
「勿論知りません。それがどう関係するのですか?」
「その詩が、まあ、良いのだ。酒を飲んでいる筈なのに妙に冷静でな。世の無情を嘆いたかと思えば、急に真理をついたりする。それでも、おそらく酔っているのだろうことは伝わってくる」
ああ、そうか。いつも理路整然としているパキラは、時には酔いに任せた眼で世界を見てみたいのかも知れない。カリンは、その詩人の本が読んでみたくなった。きっとこの館の書庫に在るのではないか。
イベリスは、黙ってしまった。
「絵でも、描いてみたらどうだ」
黙ってしまったイベリスの代わりというわけでもないであろうが、族長が口を開いた。パキラは驚いたような表情で族長を見詰めた。
「絵……だと?」
「そう。お前のような言葉が巧みな人間は、詩のような言葉の芸術よりも絵の方が向いておるのではないか?」
パキラは、珍しく長い時間呆気に取られたように族長を見詰めたままだったが、やがてくつくつと愉快そうに笑った。
「なるほどな。お前は面白いことを考える。そうか、絵か」
それから徐に、空いていた三つのグラスに自ら琥珀色の液体を注ぎ始めた。鮮やかな手つきであっという間に全てのグラスを満たしたパキラは、自らの前のグラスを手に取ると、とりあえず乾杯しよう、と言った。
カリンたちは慌てて自分たちの席に着く。話に聞き入って、夕食を待たせていたのを忘れていた。
五人のグラスが軽く合わさり、清らかな音がした。
琥珀色の液体は、最初こそ喉に絡みつくように甘く、強い酒だったが、驚くほど美味しかった。身体の内側がほんのり暖かくなる代わりに肌の表面からすぅと熱が引いていく感じがする。ポハクによく似合う酒だ。
「お気に召したかな?」
パキラの問いに、カリンは頷く。
「ええ、とても美味しい。初めて飲みました」
「杏の種の核から作る珍しい酒なのだ。甘いから多くは飲めないが、こうして食前に少し飲む分には良いだろう」
「疲労が溶けてゆくようです」
とレンが言ったので、これは長距離を移動してきた自分たちのためにパキラが用意してくれたのだと気がついた。
改めて礼を言おうかと思ったが、カリンが口を開くよりも早く「忘れないうちに」とパキラは視線を族長に移した。イベリスはすっかり無口になってしまっている。カリンは少しだけ心配になった。
「エンジュ。俺が絵ならば、お前は何か楽器をやるといい」
ふ、と族長の口元が緩む。
「口数が少ない分、さぞかし雄弁に音楽を紡ぎ出すだろう、ということか」
「そのとおり」
「悪くないな」
初めて見る族長の表情だ、とカリンは思った。元々表情の変化はそれ程大きくはないが、カリンやその他村人に向ける穏やかな笑顔とは少し違う。口調も、機知に富みながらも相手を緊張させないいつもの話しぶりに、更に品のあるおかしみが加わったような、ややくだけた口調だった。
問題の渦中で在る筈なのに、ついつい族長ばかりを観察してしまう。やはり族長が共に渦中に居ることによって、自分は問題の中心から少し離れたところで観察しているような気持ちになっているのだろう。
パキラもいつもより寛いでいるような雰囲気である。まさかとは思うが、族長をポハクへ呼んだのはこのためだったのではないかと思うくらいだ。それでもいいな、と思ってしまう自分が居る。先程の強い杏仁酒の影響もあってか、やや気持ちがふわふわしていた。
そんな中、なかなか本題に入らない皆に痺れを切らしたイベリスが、ついに声を上げた。
「そろそろ、話を聞かせてくださっても良いのではないですか?」
「毒の話はもう終わった」
「違います。駝鳥の骨の話です。俺は今日一日留守番をしていた、いや、留守番をする必要さえなかったんです。骨を見つけたのは俺だ。それなのに……」
「何も無かった」
「は?」
「骨を全てどかしても骨以外は何も出て来なかった。だからあれをアグィーラへ運んで何の骨なのか確かめない限りは話はこれ以上進まないんだよ」
「これ以上って、えっと……」
「あの、パキラ様。アグィーラの方は問題なく受け入れてくれそうですが、その前にわたくしから幾つかご質問差し上げてもよろしいですか?」
イベリスに同情したわけではなかったのだが、カリンが口を挟むとイベリスは安堵したような顔をし、パキラは愉快そうな表情になった。
「勿論だ、カリン殿。さらりと重要な結果を先に聞かせてくれるあたり、気が利いているな。これで明日の朝までやることは無くなったから、ゆっくりと話をしようではないか」
カリンは、レンがイベリスをそっと慰めているのを視界の端に捉えながら、パキラと向き合った。
食事はゆっくりと進み、イベリスによって葡萄酒の封が切られた。それぞれのグラスを満たしながらも、イベリスの意識はカリンとパキラに向いているようだった。
「順を追って質問します。先ず、お二人が坑道へ到着した際の状況は、ポハクの戦士のご報告どおりだったと思ってよろしいですか?」
「そうだな。確かに、駝鳥の部屋から溢れるようにして、いや、実際溢れていたが、骨が増えていた」
「その骨は、どのように運び出したのですか?」
その質問を聞くと、パキラは機嫌良さそうに微笑みながら杯を干した。
「うむ。そこが大切なところだ。さすがカリン殿」
パキラの空いた杯に新たな葡萄酒を注ぎながら、イベリスは気まずそうな表情である。
「俺は長居するわけにはいかないから、先ず、その場に居た戦士たちに、できるだけ駝鳥の部屋の隅々が見えるようになるように、骨を坑道の内部の別の場所に移させた……と言っても坑道の出入り口に向かって並べていっただけだが」
「大切なのは二点。ひとつは骨の山の中に何か他のものが埋もれていないか確認すること。もうひとつは骨をどけた後に、わたくしたちが使っていたのとは別の出入り口がないかを確認すること」
「そのとおり」
「骨以外のものは無かった、とおっしゃいました。では、出入り口はいかがでした?」
「想定通り、反対側、正確に言うとやや上方に道が繋がっていた」
「道の先がどこに繋がっているかは……」
「ほぼ真上」
「つまり、そのためだけの出入り口?」
「おそらくは、な」
ほぅ。とカリンはひとつ息を吐いて続けた。
「最後の質問です。パキラ様は、骨が積まれていた下の地面に何かお感じになりませんでしたか?」
パキラは、ふっと笑って族長の方を見た。
「残念ながら俺はそういう勘が利く方ではないのだが、エンジュは何か感じたようだ」
カリンの視線も、自然と族長の方へ移った。族長はいつもの穏やかな瞳でカリンを見詰めた。
「私とて何かを感じたわけではない。思考の過程で、自然と地面に触れてみたくなっただけのこと」
「うん。その違いが、興味深いのだ」
これにはカリンも思わずふふふ、と声が出た。それで気がつく。自分は、族長にパキラのような相手がいることが嬉しいのだと。パキラは、カリンにはできない方法で、昏い昏い湖の底へ光を届けてくれるかも知れない。
「あのぅ」
イベリスの、情けない声が上がる。
「何だ?」
「さっぱり状況が掴めないのですが……」
パキラが呆れたように大きく溜息を吐いた。
「俺たちは必要事項を確かめたらすぐにこちらへ戻ったが、リオンにはあそこにある骨を全てポハクとアグィーラの間のとある地点まで運ぶように指示してある。明日の朝、有難いことにマカニ族の戦士たちがそこへ合流し、アグィーラまで骨を運んでくれるそうだ。あとはその結果次第。これまでのことで分からないことがあるならば後でカリン殿に説明してもらうんだな」
「はい」と項垂れながら返事をしたイベリスは、しかしその次の瞬間には気持ちを切り替えたように明るい表情になり、「よし、とりあえず飲んで食べよう」と言ったのだった。
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