見出し画像

物語の欠片 鶯色の芽吹篇 23

-カリン-

 族長とカメリアが最初に顔を合わせたのは、金色の馬の事件の時だ。族長がポハクへ赴いた表向きの理由は、背中に深い傷を負ったカリンの付き添いであったが、本当の理由はパキラの枷を外すためだったのだろうと後から思った。そのことを機に、パキラは長年の禍根から自由になり、イベリスと復縁した反面、アベリア、カメリア、カンナという、パキラがサフィニアとの間に設けた三人の娘たちとは疎遠となった。三女のカンナはそのことで、カリンに対して恨みを露わにしているが、次女のカメリアは、これまでそのことに言及したことはない。イベリス曰く、そもそも上の二人は経済的にも精神的にもとっくに自立していたのだそうで、パキラとの縁が薄くなったところで生活に変わりがないのだろう。しかし、カリンやレンに好意的な態度を示しているアベリアとは異なり、カメリアの気持ちは現在に至るまで不明だった。アグィーラのヨシュアの工房を訪れてみたり、商人を唆してマカニで騒動を起こしてみたり、恨みに思っているのではないかと感じられる点もあるのだが、周到なカメリアにしてみると計画は緻密ではなく、あわよくば、という雰囲気が感じられるところを、不思議にも不気味にも感じていた。あれは、カリンが狙いだったというよりは、族長に対する何らかの示唆だったのだろうか。
「あちらの湖は、それぞれ四代前のポハクとマカニの族長が、協定を結んだものだと聞いていますが、カメリア殿も認識は同じでしょうか?」
 カメリアが腰を下ろすとすぐに、族長が口を開いた。
「ええ。わたくしは新しい商いの種を得るために、これまでポハク族があまり足を踏み入れていない地域を色々と調べている際に知りました」
 四代前。族長もパキラも比較的若くして族長になったが、大抵の族長の任期は二十年から長くとも二十五年であろうから、まだ百年も経っていない。
 エルビエントとアグィーラの境はアルカンの森である。アルカン湖までがエルビエント、アルカンの森からがアグィーラ。六百年前まで、マカニ族はアルカン湖の畔に暮らしていたが、時の王に迫害され、エルビエント山脈の奥地へと追いやられてしまった。それでも、王の目的は土地の拡大ではなかったため、アルカン湖周辺の土地の持ち主は未だにマカニ族なのである。アグィーラ、エルアグア、フエゴ、ラプラヤ、エルビエント。この境目は、どんな経緯があったのか何処にも記されていないが昔から不可侵だ。時の王にさえ、領地そのものを没収することはできなかったのかも知れない。故に、アルカン湖の遥か西、ラプラヤと接するこの土地の小さな湖について、マカニ族とポハク族の間にどのような協定が何故結ばれたのか、カリンは興味深く族長の話に耳を傾けた。
 この湖にはフィン湖という名があるらしい。古代アーヴェ語で「最果ての湖」という意味だ。
「何か目ぼしいものは見つかりましたか?」
 族長の問いに、カメリアはくすくすと笑う。こんな風に笑うカメリアを始めて見たなとカリンは思う。いつも、父親であるパキラと話をしている時でさえ、どこか挑戦的な、鎧を纏っているような雰囲気があったように記憶していた。
「いいえ、何も」
「この建物は比較的新しいようですが、カメリア殿が建てられたのかな?」
「いえ。元からあったものを少々修復しました。随分と長い間使われていなかったようですから」
「パキラは当然、此処の存在を知っていますね?」
「はい。ご存知でしょうけれど、いらしたことは……お父様のことですから一度はいらしているでしょうね。けれど、わたくしがここを使うにあたって、お父様にはお断りをいただいておりません。一見して長い間誰も訪れていなかったことは明らかでしたから。申し上げておきますが違法ではありません。未だにわたくしは書類上族長の娘扱いですから。わたくしの資金で修復することは問題ないでしょうし、滞在する権利もあります」
「ええ。問題はないでしょう。責めているわけではなく、私は有能な商人であるカメリア殿がこの場所に興味を示した理由に興味がある」
 ふ、と突然カメリアの視線が真っ直ぐにカリンを捕らえた。完全に油断していたので、カリンは正面からその視線を受け止めることになり、その凍りつくような悪意に射竦いすくめられてしまった。心臓がどくんと跳ね上がり、鳩尾のあたりがきゅうと痛む。身体中を流れる血液の温度が下がったような感覚に陥る。カメリアは一瞬カリンを見据えただけで、視線を族長へと戻したが、カリンの身体にはカメリアの刻印が残されたままだ。
「マカニの族長様は、何故四代前の族長たちがわざわざこの湖についての協定を結んだか、ご存知でしょうか」
「いや、マカニに保管されている書類には理由は特に記されてはいなかった」 
「それは残念ですわ。わたくしも存じ上げません。ですが、想像するに、四代前の両族長は、親しい間柄だったのではないでしょうか。ちょうど、今のマカニの族長様と、お父様のように」
「ほう。どうしてまたそうお考えに?」
 カメリアは自ら淹れたお茶を一口飲むと、薄い唇に美しい微笑みを浮かべた。
「ラプラヤとエルビエントの境界は、あの湖のちょうど中央辺りを通っています。協定の内容は、大まかに言えばポハク族とマカニ族は湖に関する権利を共有するというもの。例えばあの湖を泳ぐ魚は、ラプラヤとエルビエントを自由に行き来します。それを人間が制御することはできない。湖の底にある何らかの資源ですらも、水流に乗って両領域を行き来する可能性がある。ですから、ポハク族とマカニ族のどちらかがあの湖で何かを発見し、新たな利益を得る時には、他方の族長に了解を得ること。ただし既知の利益に関しては細かく利益を分配することはしない。つまり一度両種族に認識された利益については、いちいちどちらの種族が魚を沢山獲ったなど、細かい管理はしない。どちらの種族も好きな時にその利益を得ることができる。そうですね?」
「そのとおりです」
「ポハク族は、道端の雑草にさえ権利を訴えるような種族です。本来ならば、湖の中央に湖の底まで届く壁を作ってでも自らの権利を主張する筈。それなのに、少なくとも四代前の両族長はそういう方法を選ばなかった。何故四代前だったのかというのは、きっとその時代に、あの湖で何かが見つかったからなのでしょうね。何かは存じ上げませんけれど。それまで最果ての小さな湖なんて誰も気にしなかった。あるいは……ポハク族が一方的に利益を得ていた。それなのに、四代前の族長は敢えてマカニ族にそのことを伝え、協定まで結んでいる。それは、両族長に信頼関係があったのではないかと想像する根拠にはなりませんでしょうか?」
「いえ。至極論理的です。恐らく魚を取る、水を汲む、余暇を楽しむ、などとは比較にならない何らかの利益が見つかったか、あるいは何か事件が起こったのだと私も思いますし、仰るとおりその時点で壁を作る選択をせずに今日あるような形で協定を結んだからには一定以上の信頼があったものと思われます」
「同意いただけて良かったですわ」
 先程カメリアの視線に射抜かれた心臓が、相変わらずどくどくと脈打っていた。カメリアはあんなに美しい微笑みで族長に対峙しているのに、カリンに忍び寄るこの感情は何だろう。
 いつの間にか膝の上で握り締めていた手に、そっとレンの手が重なる。少しだけ気持ちが楽になったが、反対にレンの緊張も伝わってきて、族長とカメリアから視線を外すことができなかった。
「それで、何か良いものが見つかりましたか?」族長が再びカメリアに尋ねた。「あるいは、これから見つかるのか……」
 族長の言葉に、カメリアの目がすぅっと三日月の形に細くなってゆく。その時、開いたままだった扉の向こうから、玄関の扉が乱暴に開く音がして、ひとりの男が駆け込んできた。
「カ、カ、カメリア様! 大変でございます」
「何だ。騒々しい。お客様の前だよ」
 答えたのは入り口に立ったままの、出迎えてくれた女だった。
「ああ、ええっと。大変失礼しました。しかし……」
「何か見つかったようですね」
 族長がカメリアに向かって言うと、カメリアは「ええ」と短く答えて立ち上がった。
「お客様の前で無礼を働くからにはそれなりのことなのでしょうね? 一体何があったの?」
「はい、それが、あの……」
 男はちらちらと族長とレンの翼に目を遣る。
「マカニ族のお客様よ。黒い翼は族長様。聞いていただいて構わないわ」
「はい。では……」
 二人の男は今日の昼食と夕食のための食材を集めに湖へ出かけていたらしい。そして釣り糸の先が何かに引っかかった。引き上げてみたら、どうやらひつのようなものだという。
 分かっている。これはカメリアの仕組んだ茶番だ。茶番なのに、それを茶番だと断定する証拠が何もなく、カリンたちは黙ってそれを見ているしかない。カリンが感じる悪意の根幹はそこだ。もっと上手くやろうと思えばできただろうに、わざとこちらに茶番であると悟らせる余裕。
「それで、その柩のようなものは?」
「タデと二人で何とか引き上げました。今、湖の畔でタデが見張っています」
「中身は?」
「カメリア様にご指示を仰いでからと思い、開けておりません」
「驚いた。空っぽだったらどうしてくれるつもり?」
「は、はい。申し訳ありません。では、開けてみてからご報告を」
「いいわ。面白そうだから行ってみましょう。皆様も宜しければ御一緒にいかが?」
 発見された柩らしき物に対して面白いという感想は妥当だろうか。何処までがカメリアの素直な感情なのか、何処までが演じているのか判らない。カリンが混乱していると、族長はいつもの穏やかな表情で立ち上がり、「ご一緒しましょう」と答えた。

 建物の前もすぐ湖だが、柩が見つかったのはもう少しエルビエント寄りの場所らしかった。使用人らしき男の後に、カメリアと族長が並んで歩いている。カリンはその後ろにイベリスと並び、レンが一人で後ろを歩いた。先程の女はついてこなかった。カリンの隣を歩くイベリスは、今にもカメリアに飛びかかりそうな程に前方を睨みつけている。イベリスも、これを茶番だと考えているのだろう。黙って従っているのは、族長が居るからに違いない。
 少し歩くと、湖の畔に男が立っているのが見えた。かたわらに、確かに人がすっぽり入りそうな箱が置かれている。装飾のあまりない、質素ながら丈夫そうな箱だった。タデと呼ばれた男は、カメリア以外に大勢人がついてきたことに驚いた表情を見せる。この辺りは上手いと思う。それだけに、この男たちにも油断がならなかった。
 カメリアの指示で、男たち二人の手によって柩の蓋が開かれた。一定期間水圧がかかっていたからか、なかなか思うように開かず少し手間取ったが、鉈のような器具を差し込んでこじ開けるようにすると、中から少し水が溢れ出て、その後は比較的容易に持ち上がった。報告に来た方の男の口から「ひっ」という声が漏れる。
 蓋が横に置かれると、柩を遠巻きに取り囲んでいたカリンたちは少しずつ棺へと近づく。やがて、中が見えた。
 そこには、柩の中、透明な水の底で目を閉じている、まだ少年と呼んで良さそうな若い男の姿があった。


***
鶯色の芽吹篇 24』へ
鶯色の芽吹篇 1へ