物語の欠片 鶯色の芽吹篇 10
-レン_
パキラからの書簡は事前にレフアの手に渡っていたようで、最初こそ互いの近況を報告しあったものの、すぐに話題はポハクのことに移った。
「カリンたちは実際にその駝鳥の骨を見てきたの?」
レフアの問いに頷きながらも、カリンは慎重に話を進めているように見えた。パキラの書簡にどこまで記されていたのか分からないからだ。特にこの場には上皇が居る。マカニの族長のことには触れない方がいいかも知れない。族長がポハクに居ると知れたら、どんな無茶なことを言い出すか分かったものではない。此処は、駝鳥の骨の分析をアグィーラに依頼するのに必要最低限の情報提供を心がけるべきだ。
それにしても、とレンは思う。以前はこのような場では常に上皇が会話の主導権を握っていたように思うが、今日は意外な程にレフアの独壇場だ。上皇に何か意図があるのだろうかとやや恐ろしく感じながらも、上皇とレフアの関係も少しずつ変化しているのかも知れない、とも考えた。
と、その時だった。
「それで、エンジュは何と言っておる」
それまで黙っていた上皇が口を挟んだ。カリンがひと通り説明をし、レフアが簡単な質問を幾つか終えた、絶妙なタイミングだった。上皇自身は寛いだ雰囲気だが、すっと場の空気が緊張する。上皇の声色は健在だ。
「マカニの族長は、パキラ様のなさることを全面的に支持する、とだけおっしゃっております。わたくしどもはまだ細かいお考えを伺ったり指示を受けたりしたわけではありません。こちらへ参ったのはパキラ様ご自身からのご依頼に拠るものです」
レンは、淀みなく笑顔で返答するカリンに感心する。嘘もついてはいなかったし、それ以上問い詰めようもない返答だ。
「骨の運搬はマカニ族がするのか?」
「はい。恐らくそうなるかと。今頃マカニへも使者が向かっている頃です」
これも、嘘ではない。
「なるほど。パキラめ。アグィーラが骨の分析を断ることは勘定に入れておらぬわけか」
「いえ。わたくしどもが否の返事を持って戻れば一旦仕切り直しになるでしょう。しかし、それを待ってから動いたのでは遅い、と思っていらっしゃるようでした」
「相変わらずせっかちな奴だ」
「ふふ。同意いたします。パキラ様のお考えは速く、深すぎて、なかなか追いつけません」
「そなたでもか」
「わたくしなど、とても」
上皇が苦笑し、それで話が終わるかと思ったが、上皇は「気に食わんな」と呟いた。
「何がお気に召しませんの?」
尋ねたのはレフアだ。
「他の者の考えが及ばぬうちにことを成してしまおうとするその性急さだ。お前はこの依頼を受けるつもりか?」
「ええ」
「そうか。それはカリンが持ってきた依頼だからか? そのカリンもパキラの思考に追いついていないという」
レフアは小さく溜息を吐いて、お父様、と言った。よく見ると、上皇の顔は決して不機嫌なものではなかった。自分の娘を、試しているのだろうか。レフアは上皇の言いぶりには慣れている、という雰囲気だった。
「わたくしは、自分が至らない王だと知っています」
「そう卑下することはない」
「卑下しているわけではありません。それでも、わたくしの考えが、五局長にも族長たちにも追いつかないことは知っております。ですから正面から向かい合っても無理です。いえ、正面が何処なのかすら分かりません。そういう時は、思いつく限りの損害を思い浮かべるのです。自分が責任を取り得る最悪の損害を超えるか超えないか。それがわたくしの判断基準です。今回の場合、正直思いつきません。せいぜい医務室と考古学室の手を煩わせる程度でしょう?」
「ポハクに利用されても構わぬと?」
「ポハクの族長にはいつも色々とご協力いただいておりますから、そのくらいは」
「協力か……」
レンは正直驚いていた。アグィーラとポハクの間に、利用するしないといったような関係があることにである。アグィーラは王国の中心だ。他の四つの地域は自治を任されてはいるが、アグィーラの束ねる王国の一員だという意識しかレンの中にはなかった。アグィーラの定める王国の法は他の四つの地域にも有効だからだ。それは各地域独自の法律を上書きする。しかし例えば、ワイ族族長であるエリカならばアグィーラを利用するということがあり得ると感じてしまうのだから、ただ単に自分がポハクに馴染みすぎているのだろうと思った。同時に、確かにパキラが何かを企んでいたとしても、自分はどうにもできないだろうとも思う。今となっては自分はきっと、政治の世界に身を置いているレフアよりも自分の方がずっと状況を解っていないのだろう。パキラに悪意が無いと信じたい気持ちの方が大きいのだと思う。これは信頼なのか、それとも単なる思考停止なのか。
族長は、どう考えているのだろう。シヴァならばどう考えるのだろう。結局自分の思考はそこ止まりだ。
「それにね、お父様。もしわたくしが思いつく以上の不利益があったとしたら、局長たちが必死でそれを阻止しようとするでしょう。ですからわたくしとしては一刻も早くそのままを局長に話すのが良いと思います」
レフアの言葉に、上皇は声を出して笑った。カリンもくすくすと笑っている。城とはこういう場所なのだと、改めてレンは思うのだった。そっとローゼルの表情を伺うと、可笑しなくらいの無表情で、レンはそれに笑ってしまう。レンの視線に気がついたのか、ローゼルと目が合った。互いに言葉を発することはしないが、互いにこのような場が苦手であることが伝わったと思う。それでもレンは誰かに話しかけられれば笑顔で返事をしてしまうのだから、ずっとこのような場に在って自らを貫いているローゼルの苦労は計り知れない。
それからレンははっとする。ローゼルの父であるアジュガは、レンが表情を確かめようとも思わない程に気配を消していた。思い立って改めてアジュガの表情を確認すると、なんとも形容し難い表情を浮かべていた。無表情ではない。憮然としているのでも、愛想笑いを浮かべているわけでもない。そう、敢えてレンの知っている言葉で表現するとしたら、ひたすらに穏やかだった。確かに存在するのに、そこに居ないかのような雰囲気。どうしたらあのような気配を身に纏うことができるのか、レンには想像がつかない。そのアジュガは、レンが観察していても、目を合わせようとはしなかった。それでもレンには、アジュガがレンの視線に気がついているのだろうことが分かった。現役ではないアグィーラの戦士に全く敵わないことを、レンはこの一見和やかな昼食の会で思い知らされたのだった。
「なんだか何もしていないのに物凄く疲れる食事会だった」
城の中では一番馴染みのある中庭に出たところでレンはカリンに言った。先を歩いていたカリンはふふふと笑いながら振り返る。
「陛下は相変わらずね。あの場に陛下がいらっしゃらなければ雰囲気は随分違ったのだろうと思うと、可笑しいような気の毒なような不思議な気持ちになる」
カリンの言う「陛下」とは上皇のことだ。そうだった。カリンは上皇にも理解があるのだ。あんなに「城」の象徴のような人物なのに不思議だとレンは常々思っている。
「まあ、ひとまず僕たちの任務は終わったのかな?」
レフアは、昼食後の局長たちとの会議でポハクの調査に協力する旨を宣言するのだと言っていた。相談ではなく宣言だ。レンとカリンは、その会議を待たずとも承諾の返事を持ってポハクへ戻って良いことになっている。しかしレンは、先程の昼食会でレフアが言っていた「局長たちの必死の阻止」が起こるのかどうかが気になった。それぞれ手練れの局長たちは、レフアの決定に何か意見するだろうか。その様子を聞きたければ会議が終わる時間まで待って、執事室へ行って書記役の官吏から話を聞いた後でポハクへ戻るようにと言われている。
「気になるよね」
カリンが先に言葉にした。レンは、うん、と答える。
「骨を運ぶのはマカニ族だ。僕たちが骨を運んできた後で、レフアと局長たちの間で何か揉め事があったことを知るのは困る」
「ランタナ様はレフアの決断には表立って抗議しない気がするの。でも、ツツジ様は分からない。何かにお気づきになったらもしかしたら」
今回骨の分析に関わるのはカリンの所属する二つの局だ。レンとは異なる観点から、二人の出方が気になるだろう。
「待とうよ。会議は一時限だって言っていただろう? その後執事室で話を聞いてからでも、日が暮れる前にはポハクへ戻れるよ」
言いながら、レンの頭の中には先程レフアが話してくれた「上皇から聞いた五人の局長たちの若い頃の話」が再生されていた。
法務局長のシェフレラと医局長のツツジは二人とも局長として優秀だが言わば性質が光と影。シェフレラが常に表の道を堂々と歩んでいるのに対して、ツツジは表向きは淡々としつつ裏の舞台で押さえるべきところは押さえているのだそうだ。
文化局長のランタナと建築局長のプリムラは光と影というよりは陽と陰。ランタナは調子は良いが裏では何を画策しているか判らない。ただし余程の利を感じない限りは王室に楯突くようなことはしないだろうというのが上皇の考えだ。プリムラは基本的にはひたすら自分の殻に閉じこもっており、自らの研究の道に影響するものに対しての反論は鋭い。ただしそこに悪意はないため、最終的には王室にも利をもたらすに違いない。
傭兵局長のワジュロは実直の一言。良くも悪くも王室に忠誠を誓っている。なんらかの判断について意見を求めるには無意味だが、頼もしい味方だということである。
そのようなことを幾つかの逸話とともに上皇から聞いたのだとレフアが話してくれた。
レンがこれまで直接的に関連したのはツツジとプリムラの二名だが、二人とも上皇から見たら影だとか陰だとかいう評価であるようだ。
光と影という比喩から、シヴァとスグリを連想する。
ああそうか。スグリみたいなものか、と思うとレンにはすっと腑に落ちたのだった。そして、二人の局長に少し親近感が湧いた。
「レン、なんだか楽しそう」
と言うカリンに、そうでもないよ、と答えながら、会議の終わる一時限を過ごすために、先程も世話になった図書室前のテーブルへ向かって歩き始めた。アグィーラの初夏の光も悪くはないな、と思いながら。
