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物語の欠片 金糸雀色の午篇 9

-カリン-

 目を醒ますと、夕焼けに染まり始めた空が目に入り、カリンは慌てて身を起こした。
 多少ふらつくがそれは寝起きだからだろう。寝る前まで感じていた頭痛や不快感はすっかり治まっていた。気をつけていたつもりが、やはり知らず知らずのうちに軽い熱射病になっていたようだ。
 それよりも、この時間になってもレンたちが起こしに来なかったということは、パキラはまだ戻っていないのだろうか。だとしたら何か想定外のことが起こったに違いない。
 酷く喉が渇いていたので枕元の小さなテーブルに置いてあった水差しからグラスに水を注いで二杯立て続けに飲むと、視界が明瞭になったような感じがした。
 こんな時ではあるが、金赤きんあか色の空に一瞬見惚れる。砂漠の空は夕暮れであっても力強い。しかしそれは、これから死に向かう強さのように思えた。
 空に見惚れている場合ではないと思い直し、ベッドから抜け出して扉を開けたところでレンとイベリスに出会った。
 「お。もう起きても大丈夫なのか?」
 「うん。目が醒めたらすっきり。」
 「そりゃ良かった。」
 「パキラ様は?」
 「ひる過ぎに戻ったんだが、父上も疲れたから話は夕食の時にしようと言われてそのまんま。」
 「…気を遣って下さったのかしら。」
 「そうかもな。まあ、とにかくカリンが元気になって良かった。それに、少なくともすぐに話さなければならない緊急事態ではなかったということでもある。」
 「それもそうね。…もう夕食の時間?」
 「そろそろだから様子を見に行こうかと思ったら、カリンの方から出て来たという訳だ。」

 「飲めるか?」
 まだ準備の整っていない食卓に、先に葡萄酒の瓶とグラスだけ自ら運んできたイベリスがカリンに向かって尋ねる。カリンは首を振って今日は止めておくと答えた。
 食事を摂る部屋は西側の窓に面している為、先程の夕焼けの続きが良く目に入った。金赤色だった空は断末魔の緋色に変わっている。カリンは何度か見た夜の死の砂漠を思い出した。
 音の無い世界。自分の出した声はあっという間に砂に吸い込まれてしまった。広く真っ黒な空には沢山の星が見えたが、あまりの闇の深さに、何処までが空で何処までが地面なのかが分からなくなった。
 歩いていなければ、ひたすら深い闇の中に沈んでしまいそうな孤独。
 族長の居る昏い湖の底とどちらの闇が深いのだろう。
 「…まだ、あんまり調子良くなさそうだな。」
 イベリスがグラスを持っていない方の手をカリンの肩に乗せて隣に立つ。
 「ううん。身体はもう大丈夫。砂漠の夕暮れって、なんだか心細くなるね。」
 「ああ、俺も少し前まで嫌いだった。」
 「やっぱり君たち二人きりにしていると、何処までも堕ちて行ってしまいそうだね。」
 カリンの座っている椅子を挟んでイベリスと反対側に立ったレンの軽やかな笑みに救われる。
 レンとイベリスはカリン越しにグラスを合わせて乾杯をした。
 そのまま三人で暫く夕焼けを眺めた。
 すっかり陽が落ちた頃、食卓の準備が整うと同時にパキラが部屋に入ってくる。
 「カリン殿、お加減は?」
 「眠ったらすっかり良くなりました。ご心配をおかけ致しました。」
 「ああ、それなら良かった。少し忙しくなりそうだからな。」
 意味深な笑いを浮かべて席に着いたパキラは、ある程度食事が進んだあたりで今日商人会のある商人舎で起きたことを話してくれた。
 商人舎へ出向いたパキラは、先ず帳簿の類を確認した。予想していた通り、ワイからの輸入品は主に嗜好品に限って税率が高い為、全体的に見るとポハクから輸出している貴石や鉱物に関する税の方が金額的に優位だった。つまりこの税制を受け入れることによって、ポハクの商人会としては得をしているわけである。
 「しかしまあ、エリカ殿がこのままの状態を続けるとは思えまい?」
 パキラの問いにカリンたち三人は頷く。
 エリカが最初にポハクにとって有利な条件を持ち出したのは、先ずこの税制をポハクの商人会に受け入れさせる為だろう。そして、できればパキラにその事実を知られるのを遅らせたかったからに違いない。現に商人会はエリカが目論んだ通りの動きをした。
 いずれ機を見て嗜好品以外の商品にも税の対象範囲を広げ、最終的にはワイが有利になるように事を運ぶ筈だ。一度税制を受け入れてしまったポハクは、そう簡単に税制を止めるわけにはいかない。商人会として損をするようになってからパキラに泣きついてきたとしても、公正を期すパキラはポハクとして対応を続けるだろう。
 「俺が欲しかったのはこれだ。」
 そう言ってパキラが見せてくれたのは、今回の税制の約束を交わしたらしき書面だった。ポハクの代表者としては商人会の責任者の署名があるが、ワイ側の署名はエリカのものだった。
 「エリカ様がこの件に関わっているという確証ですね。」
 「そう。これで、俺がワイに乗り込む口実ができた。」
 「エリカ様と直接お話をされるおつもりですか?」
 「おそらくそれが一番早い。アグィーラはアグィーラで動いてくれて構わないのだが、国が動くにはいかんせん時間が掛かる。その間にもポハクの出血は続くわけだからな。」
 「商人会の奴ら、よくこれを父上に見せましたね。ワイの族長相手にこんなのに勝手に署名したと知れたらまずいでしょうに。」
 イベリスが尋ねるとパキラは、かまをかけてやったと笑う。
 「かま?」
 「ワイの族長から、ポハクの商人が自分たちに有利な税金をかけて悪どい商売をしていると苦情が来たが本当かと尋ねてやった。」
 「はあ…。」
 「そうしたら、『そんな筈はありません、ワイの族長はこの通り承知の上です』とな。」
 「ああ。」
 「ついでに、王族が動くという話をして、勝手に族長相手に署名したことは大目に見てやるから、いったんこの件は俺に預けろと言い渡してこの書面を貰って帰ってきたという訳だ。」
 「それは…お疲れさまでした。」
 「大いに疲れたが、休んでいる暇はない。すぐにワイに行きたいのは山々なのだが、今俺がこの状態でポハクを空けると、途端に悪事を働く奴が出るだろう。その作戦をまあ、あれこれ考えていたわけだが…」
 「マカニの翼をお使いになりますか?」
 パキラの視線がちらりとレンに向くのを見てカリンは尋ねる。
 確かにアグィーラを挟んで王国の西端のポハクと東端のワイを往復するのは時間が掛かる。日帰りでは無理だろう。しかし翼を使えば移動時間は半分以下で済む。日帰りも可能な筈だった。
 更に、パキラが馬で移動するとなると相応の警護がつくため、目立つ上にポハク自体は護りが薄くなる。
 「一番早いのは僕が明日にでもパキラ様を乗せてワイまで往復することだけど…。」
 レンの言葉にカリンとイベリスは目を丸くした。
 まさかレンの口からそのような案が出てくるとは思わなかったのだ。カリンはてっきりパキラが族長に書簡を送るか、明日レンがマカニへ往復して応援を連れてくるかだろうと考えていた。
 「おい待てよレン。俺はまた置いてけぼりか?」
 「お前は元々置いてけぼり…というよりは留守番の予定だった。」
 イベリスの反論に応えたのはパキラだった。
 「そんな、父上…。」
 「前向きな留守番だ。」
 「前向き?」
 「言っただろう?俺がポハクを留守にすると、それを好機と悪事を働く奴が居るんだよ。お前が此処に残るだけでも少しは抑止力になるだろう。」
 「…なります…かね…?」
 「俺の希望的観測だ。」
 「うーん。それならカリンと二人で留守番も悪くはない…かも知れない。」
 「カリン殿には別にお願いしたいことがある。」
 「はい。何でしょう。」
 パキラは最初からレンの翼を使うつもりだったのだろうか。カリンはやや圧倒されながら返事を返す。この段になってパキラが自分に依頼したいことというものが思い浮かばない。
 「体調はもう良いのだな?」
 「はい。」
 「俺がワイへ行っている間、俺の馬を連れて何処か好きな所へ行っていてくれ。気難しい馬だがカリン殿なら乗れるだろう。」
 漸く思考がパキラに追いつく。
 「ポハクの人たちにはわたくしがレンと共にどこかへ行き、パキラ様はあくまでも馬でワイへ行くと思わせておく…ということでしょうか。」
 「その通り。そなたらと共にワイへ行くと思わせておくのでも構わぬが。…その方が自然か。まあとにかく、折角だからこの機会に悪事を働きたい奴も炙り出してやろうかと思ってな。」
 「ちょ、ちょっと待ってください。混乱してきた。俺が留守番で、カリンは馬で何処かへ行って…」
 「いいか。表向きは、俺がマカニ族のお二人とワイへ行くことにする。幾らマカニ族が飛べても俺が居るから馬で行くことになるな。警護もそれなりに連れて行く…振りをする。どう見たって一泊二日あるいは二泊だ。」
 「はい。」
 「しかし実際は俺はレン殿と二人でワイへ行き、日帰りで戻ってくる。警護について行ったと思われた戦士たちはすぐに戻して町の何処かへ密かに配置する。」
 「ああ…漸く分かりました。…でもそれって俺は役に立ってますか?」
 「悪事を働こうとしている奴は何もひとりじゃあるまい?何でもかんでも炙り出せばいいというものではない。お前はふるいのような役割だと思えばいい。」
 「…よく分かりませんが父上がそう考えているならきっと役に立ってるんでしょう。」
 イベリスが曖昧な表情で頷き、視線のやり場に困ったらしくレンの方を向く。話のきっかけを作ったレンは結局その後は黙ったままだった。
 「言っておくけど、僕は別にパキラ様みたいに綿密な計画が頭にあったわけではないよ。」
 「知ってるよ。」
 「なんかそれも癪だな。まあいいけど。」 
 「レン殿。」
 「はい。」
 「エンジュには事後報告でいいだろうか。」
 「パキラ様が私の翼をお使いになるだけなら問題ないと思います。私自身が勝手にポハクとワイの事情に口を出してしまったら問題だと思いますが。」
 「なるほどな。申し訳ないが助かる。」
 「いえ。お役に立てるならば光栄です。…カリンは何処へ行くつもり?馬でマカニへ戻っている時間はないよね。」
 「そうだね。アグィーラか、アルカンの森か…。」
 アルカンの森と口にした途端、森の主に会いたくなった。
 ポハクの町は嫌いではない。しかし此処の自然も人々の想いもあまりにもひとつひとつに力があり過ぎて、いちいち深く関わってしまうカリンにとっては、とても消耗する土地でもあった。
 今回久しぶりにポハクの町へ出てみて、普段ポハクを訪れる際、自分が如何にこのパキラの館に守られていたかを改めて感じたのだった。
 明日は、アルカンの森の主に会いに行こう。そう思うだけでカリンの心は数段軽くなるのだった。


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金糸雀色の午篇 1
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