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物語の欠片 鶯色の芽吹篇 9

-カリン-

 いくらカリンと王夫妻が親しいといっても、突然の面会が叶うわけではない。城には、城の作法がある。そのことは、未だにマカニに暮らしている時間よりも、城で過ごした時間の方が長いカリンは嫌という程知っていた。
 緊急事態でもないので、きちんとアグィーラの正門である南門の手前で空から降り、門番の戦士に挨拶をする。作法さえ守れば、カリンもレンもほとんどの戦士たちに顔が知られているため、問題なく通してもらえる。アグィーラの南門から城の南門まで真っ直ぐ伸びる大きな通りを歩き、再び城の南門で門番に挨拶をした。この時は、場合によっては少しだけ怪訝な顔をされる。カリンの定期的な訪問の周期は門番に知られているし、城の内部からの呼び出しであれば、門番に事前に連絡が行っているからだ。ただし、用向きを伝えればすんなり通してもらえる。少なくとも、純粋なマカニ族であるレンだけで来るよりは手続きは簡単な筈だ。
 城へ入ったら執事室へと向かう。王族の予定を管理し、面会の受付や書簡の受け渡しを担当しているのは執事室である。カリンも、レフアやローゼルと面会したい時には、あちらから呼び出されたのでない限り執事室を通す必要があった。
 その、執事室の扉を開けると、意外な顔と目が合った。
 法務局長のシェフレラだ。
 無論、シェフレラが執事室に居ること自体はおかしくはない。面会の申し入れなどは自分の秘書にでもやらせるだろうが、法務局長はアグィーラの局長の中でも最も位が高い。つまり、王族の次の地位だと言っても過言ではないだろう。当然、執事室にもその影響力は及んでいる。
 数あるアグィーラの「室」の中で、執事室は唯一王族直下の室である。だから、本来はどの局の影響下にも無い。しかし実際のところ、執事室の人事などを全て王族自ら面倒を見るのかというと、そういうわけにもいかない。その、実務の部分をつかさどっているのが、法務局配下の総務室なのである。総務室の主な仕事は城の行事の企画運営だが、城の行事はすべからく王族と結びついており、それはつまり執事室との密な連携が求められるものでもある。執事室の官吏たちの「質」を見極めるにはもってこいの立場なのだ。とはいえ、局長自らこの場に赴いているというと、何かあったのかとつい勘繰ってしまう。
 シェフレラも、一瞬驚いたような表情を見せた。
 しかしそれはすぐに穏やかな笑顔に変わる。シェフレラはいつも自信に満ちたような穏やかな表情を浮かべており、滅多にそれを崩すことはない。更に、カリンの方が身分が低いので先に挨拶をしようと思ったらそれよりも早く丁寧な挨拶をされてしまった。おそらく、カリンが官吏服ではなくマカニ族の衣装を身につけており、純粋なマカニ族であるレンを伴っているから来客扱いなのだろうと解釈する。
「カリンの夫君の翼は実に美しいな。個人的に好みの色合いだ」
「恐れ入ります」
 レンがにこやかに挨拶を返している間にカリンは態度を決めた。自分はやはりアグィーラに居る時には余程のことがない限りアグィーラの官吏だと思いアグィーラ官吏流の礼を返す。
「おはようございます、シェフレラ様」
「おはよう。王に面会か?」
「お会いできればお会いいたしますし、お時間が無いようでしたら書簡だけお渡しいたしたく」
 パキラからの書簡であることは敢えて口にしなかった。普通に考えたらマカニの族長からだと思うだろう。
「そうか。マカニ族は移動が楽で良いな。私がマカニの族長にお目にかかろうと思ったら事前の準備が大変だ」
 シェフレラがちらと視線を遣ると、それまで対応していた執事は、一切合切承知したというように恭しく一礼した。シェフレラの視線がカリンへと戻る。
「私の用事は丁度終わったところだ。これで失礼する」
「はい。シェフレラ様にはご機嫌麗しく」
「そなたらも、良い一日を過ごされよ」
 久しぶりに目の当たりにした、あまりにも隙の無い立居振る舞いに、暫くシェフレラの出て行った扉を見つめていると、執事のディルが改めて用向きを尋ねた。
 執事室と名はついているが執事室の官吏が全て執事であるわけではない。執事というのは五局の上級官吏と同等の位で、執事室の一部の官吏のみに与えられる称号だ。このディルという男は、現在の上皇の側近であるバジルと共に古くから王族に側近として仕えており、実務能力、人柄、王族からの信頼共に申し分の無い人物だった。カリンがまだ幼く、城の中で変わり者扱いされていた時も、ある程度それが落ち着いた今も、態度を変えることなく親切に対応してくれる。
「あ……ぼうっとしてしまって失礼いたしました。おはようございます、ディルさん。あの、シェフレラ様は暗にわたくしが気軽に王に会いに来すぎると仰りたかったのでしょうか」
 カリンもついついこのディルには余計なことまで尋ねたくなってしまう。ディルは上品に微笑むと、肯定も否定もしなかった。
「シェフレラ様のご意向はわたくしには判りかねますが、王はカリン殿からの面会の依頼はいつも待ち遠しく思っていらっしゃるくらいですから、執事室といたしましてもいつでも歓迎いたしますよ。ところで、書簡をお持ちだとか」
「はい。ポハクのパキラ様より王宛に書簡を預かって参りました」
 なんとなくあまり他の官吏に聞かれたくなくて少しだけ小声になる。
「ポハク族。そうでございましたか」
 ディルはカリンが手渡した書簡を表裏眺め、確かにポハク族族長の手によるもののようですね、とやはり小声で頷き、そっと他から離れたテーブルへと二人を案内した。このようなさりげない気遣いは執事だからというだけでもないように思う。
 ディルと同じ執事で、以前カリンに刃を向けたバジルは、気は良く回るが、とにかく王族への忠誠が固すぎるくらいだった。相対的に五局への態度は横柄になり、歴史上政治の主導権が局に移ってから随分経つというのに、官吏たちは皆国ではなく王族のために仕えているのだと考えている節がある。いや、この国が王族の所有物だと思っているようでさえあった。執事も色々なのだ。
「王ご夫妻と昼食をご一緒されますか?」
 突然の提案に、カリンは少しの間言葉に詰まった。
「……昼食の時間しか空いていない、ということですね?」
「あとは夜になります」
 できるならば今日中にポハクへ戻りたかった。レンの方を見ると、黙って頷く。提案を受けよう、ということだろう。ディルがこちらの出方を試しているという可能性は無い。ディルが提案するならば、きっとそれは王族にとっても良い選択肢なのだ。
「わたくしどもにとっては、これ以上ないご提案です。可能でしたら勿論有り難くお受けいたします」
「陛下も殿下も喜ばれるでしょう」
 慌てるのは厨房室くらいのものです、と言ってディルは片目を瞑って笑った。
 王族の昼食はその日の予定によって微妙に異なるが、正午から十三時の間に始まる。すでに十一時を半刻程過ぎているから、確かに厨房室には酷な話だ。
「あの、同席させてもらえるだけで結構ですから……」
「そういう訳には参りません。大丈夫でございますよ。本日の昼食は十二時半からですから。あと一時限程ありますが、お二人はどうされますか?」
 少なくともディルを早めに解放したほうが良いだろうと考え、図書室へ行きます、と言って執事室を後にした。

 「王族の昼食」というのは即ちレフアとローゼルだけではなく、上皇が居るということをカリンはうっかり忘れていた。過ごした時間の総量は多くとも、それだけ城の常識に疎くなっているということである。更には、カリンたちが同席するというと、普段は食事を共にしないアジュガも参加することになったのだという。益々厨房室が気の毒だったが、今はディルの気遣いと厨房室の頑張りに素直に感謝するしかない。
 王家の食堂の間は四つあり、それぞれ花の間、森の間、湖の間、草原の間と名づけられているが、本日の昼食は森の間だと聞いて少し早めに向かうと、厨房室の官吏が丁度食卓を整え終わったところだった。厨房室は文化局の配下なので、カリンの見知った顔も幾らかある。大変だったでしょうと詫びると、とんでもない、と笑顔が返ってきた。
 急な来客には常に備えている上に、今日の来客はカリンとレンなのだと聞かされていたので気が楽だったという。王室付きの厨房室の人間は皆中級官吏以上であるため、カリンとはほとんど同じ位であり、お互い気安い間柄だ。時間に余裕さえあれば世間話にも花が咲く。
「それにね、実はアジュガ様がこちらにいらっしゃるのがとても嬉しいのよ」
「アジュガ様がいらっしゃると嬉しいの?」
 アジュガは王配であるローゼルの父親であるが、元はローゼルと同じアグィーラの戦士である。ローゼルの幼馴染であるカリンはアジュガのことも小さい頃からよく知っているが、おそらく城勤めの官吏たちにも偉そうな態度は取らないのだろうと容易に推察できた。相手が誰であれ、偉そうにもへりくだりもせず、常に自分の道を行きながら他人を尊重できるような人だ。案の定、その厨房室の官吏はアジュガの魅力について滔々とうとうと語り、最後に「カリンはアジュガ様とも親しいのよね。羨ましいわ」と言いながら去っていった。去り際に、「来客」であるレンに、とびきり優雅な一礼をすることも忘れない。何もかもアグィーラの城らしくて、カリンは思わず笑ってしまう。あんなに城に居るのが嫌で嫌で堪らなかったのに、こんな風に笑えるようになるとは、人生何が起こるか分からない。自分一人では決して成し得ない、何か大きな力が働いているとしか思えない変化だ。そうは思うけれど、勿論身近な人々への感謝も忘れたくはなかった。
 自分をこの城から連れ出してくれたのはレンだ。そして、それを受け入れてくれたのは、マカニの族長だ。
「カリン、なんだか感傷的になってない?」
 レンに言われてはっとする。
「そうね。どうしてしまったのかしら。パキラ様の遣いだというのに」
「だからかもね」
 ああ、そうか。自分はいつものように完全に内側に巻き込まれているわけではないのだ。今回はパキラの中で全てが進んでいる。今のところ、そこに触れられるのは族長だけだ。自分は、まだ中に入れてもらえてさえない。
 起こっている事象に対して完全に客観的であることが良いことなのか悪いことなのか、自分ではよく分からなかった。
 と、その時、森の間の扉が開かれ、扉の両側で深々と礼をする官吏たちの間から、アジュガの顔が覗いた。 


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鶯色の芽吹篇 10
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