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会えなかった祖父の歌集を売りたい

「私が死んだら、きっとおじいちゃんの本は捨てられちゃうわね」

祖母の呟きにしんと胸が冷たくなって、「捨てちゃうくらいなら、私が売っていい?」と尋ねたことがある。

歌集を作ろうと、折に触れて自作を整理していた祖父。
病死した祖父の遺志を引き取って、遺稿集としてまとめあげた祖母。

二人の最後の共同作業の結晶は、祖母の手によって身内や祖父が世話になった人たちに配られたが、それでもまだいくらか余部があるという。

ちょうど私は、自分で作った本をイベントで売ることにのめり込みはじめたばかりだった。
イベントによっては自作と一緒に家族や友だちの本を売ることも許可されているから、祖父の本だって問題なく売れるはず。
そう申し出たら、祖母は最初「誰が買うのよぅ、こんな素人のおじいさんの短歌なんて」「しかもあんまり上手じゃないのよ」と渋い顔をした。

けれど自分がいなくなったあとのことを考えたのだろう、最終的には「もし読みたい人がいるなら、あげるなり売るなり好きにしてちょうだい」と言ってくれた。

その祖母が亡くなり、一回忌に親族で集まった。

服も食器も大量に残されているけれど、あれは売るか捨てるしかないよなぁ。

そう話し合う祖母の子どもたち、すなわち伯母、伯父、私の父の声が耳をかすめて、慌てて祖父の歌集を引き取りたいと手を挙げた。
イベントで売ることの了承も得て、その日のうちに数十冊、祖母の家から実家へと持って帰った。

久しぶりに歌集を開いて、たちまち後悔した。
そうだった、これは重たい本だった。
物理的に重いだけではない。
祖父の人生の重みがそのまま表れている本なのだ。

本来は青春だったはずの時期に両親の死、そして戦争。
途方もない苦労に翻弄されながらも彼は、めげずに短歌とともに人生を歩み、集大成としての自費出版を叶える前にこの世を去った。

「私が売っていい?」と尋ねたとき、心を占めていたのは「祖母を安心させたい」と「捨てちゃうなんてもったいない」という思いだった。

しかし改めて歌集を読んだら、より切実な思いがこみ上げてきた。
この本は、大正12年に山梨に生まれた市井の人が、少年からおじいさんになるまでのうんと私的な記録である。
基本的には彼を知る人や身内のなかだけで読まれてきたもので、おそらく祖父自身もそのつもりで書いている。

けれど、できるかぎり遠くに、彼の歌集を届けてみたかった。
この人の人生を、知ってほしいと思った。

本来そのきっかけを担うのは、「祖父を知る人による歌集の解説」なのだろう。
あいにく私は、祖父には一度も会えなかったうえに、短歌に詳しいわけでもない。
祖父にとってはただの孫であり、ただの自費出版の後輩だ。

それでも、せめてものできることとして、共感した祖父の短歌を拾いながら、彼の人生に思いを馳せたことをエッセイとして綴った。
そしてせっかくなら、父方、母方の祖父母との思い出を一冊の本にまとめて祖父の歌集と並べて売ってしまおうと、本書『書き食う一族』が誕生した。

***
……以上、新刊『書き食う一族』の「はじめに」より抜粋。
こんな経緯で、新刊と祖父の歌集を文学フリマ東京で並べて売ることになった。

こうして、半ば勢いで始まった新刊作り。
まずは過去に書いたエッセイのなかから、本に載せたい作品を選びぬく。
次は、表紙。今回の本は、作ると決めた時点で心に決めた人がいた。
チェコ在住の画家で書道教師の、石田薫さんだ。
薫さんに描かれた祖父母はかわいくデフォルメされているのに、一人ひとりがびっくりするほどよく似ていた。
特に母方の祖母、ムツ子。
参考としてお渡しした画像はフィルム写真をスマホで撮影したもので、しかも親族の集合写真だから祖母の顔もかなり不鮮明だったのに、ラフ段階からムツ子そのものだった。
親族の誰もが「この顔は、ムツ子!」と高揚し、おおいにはしゃいだ。

新刊『書き食う一族』表紙。装幀・装画 石田薫さん

今度は、原稿。
父方の伯母と、母や叔母、従姉と弟が入っているグループLINEに原稿を送り、内容や表現のチェックを依頼。

手直しに次ぐ手直し。
薫さんの絵を見て呼び起こされた記憶、事実関係の修正、付け加えてほしいこだわりエピソード。

思いついたタイミングで長文のLINEが届き、毎日のように修正ラリーが飛び交う。
文章って、こんなテニスみたいに書くものだっけ?
最初は私の祖父母を知らない人たちに向けて本を作っていたはずが、いつの間にか「一族を唸らせたら勝ち」みたいなゲームになっている。
いや、おそらく身内が読者界の最大の強敵だから、あの人たちを唸らせることができたら、だいぶ自信はつくけれど。

粘り強く提案、交渉、修正を続けながら、じわりじわりとゴールに近づいていく。
いや、今回の私のゴールは新刊の完成ではなくて、新刊と祖父の歌集をブースに並べて、祖父の人生を届けることなのだけれど。

noteを始めたばかりのころ、「家族仲がいい人の文章は文章に深みやコクがないから読みたくない」という内容の記事を読んだことがある。
家族仲がいい私は「これから私がどんな傑作を書いたとしても、この人には絶対に届かないのか」と衝撃を受けて、かといって生まれた環境を変えることも不可能なので、開き直って「家族仲がいい人」としてのエッセイを書き続けてきた。

私が出くわしたあの人が手に取ることは、きっとない。
身内に向けて作られた祖父の歌集も。
祖父の歌集を売るために、身内に支えられて作った私の新刊も。

それでも、読んでみたいと思ってくれる人もきっといるはず。
そう信じて私は、私たちの本を文学フリマに持っていく。

***
文学フリマ東京の詳細はこちら。

文学フリマ東京42
2026/5/4(祝・月)12:00〜17:00
東京ビッグサイト南1-4ホール
¥1,000(前売)
¥1,350(当日スマチケ)
¥1,500(当日窓口)
※18歳以下入場無料

https://bunfree.net/event/tokyo42/

文学フリマ東京のwebカタログは、こちら。

https://c.bunfree.net/c/tokyo42/4F/な/9

ブース番号は「な-09」(「名はマルク」by KaoRuさん)新刊『書き食う一族』と祖父の歌集は、各600円です。
両方ご購入いただける場合は、セット割引で1000円に。

※今回は「つるるとき子書店」ではなく、私の作品のみの販売となります。
とき子さんは、売り子として来てくれます!

ネットショップ「つるる書店」では、ただいま予約受付中です。
祖父の歌集は大きいうえに重いので(四六判、370グラム)、いまのところ委託販売OK&家から近い文学フリマ東京と、ネットショップのみの販売となる予定です。

最近エッセイを寄稿させていただいた『ミモザvol.2』(宮田愛萌、渡辺祐真 編)も、ミモザさんのブース(D-01〜02)で販売されるそうなので、文学フリマ東京にいらっしゃる方は併せてチェックいただけたら嬉しいです。
https://c.bunfree.net/c/tokyo42/1F/D/1
喜びほとばしる裏話はこちら。