自分を守って生きていくこと
※本人の表現通りここでは「ぼける」という言葉を使います
施設にいる母から届いた手紙には
先日引き出しを整理していた際、母が施設から送ってくれた手紙が出てきた。そこには『気をつけて身を守って生きていきなさい』と申し上げたい」と書いてあった。令和4年8月の消印だった。
その言葉は書き始め3行目にあり、「ここまで書くのに1時間半かかった」ともあった。あとは私が施設訪問の後、家にちゃんと帰れたのかと気遣い「お母さんと呼んでくれてありがとう。でも私にはそんなしかくがありません」と詫びる言葉でいっぱいだった。
アルツハイマーでその頃はすでに記憶や感情が波だらけだった。当時の母がどうしてこんなことを書けたのだろう…そして何でそんなに詫びるのよ。
私が母のためにしてきたことは、母が希望した施設に入居できるよう手を尽くしただけ。あとは週一で顔を出しているだけだ。
母は長年 「自分がぼけたら施設に入れて欲しい。おばあちゃんが入ってたところが良い」と場所まで指定していたのだ。
介護される側の目線
ところで私はいつも介護、見守りをする側の目線で見ている。
しかし母は元気な頃から介護される側の目線を持っていて、自らがそうなるのではないかと怯えていた。
母は60代、認知症がまだ痴呆性と呼ばれていた時代に、壮絶な介護を経験している。今みたいな制度も整っていなかった。父方の祖母の介護は、母がその後何十年に渡り体調を壊すきっかけになった。完璧主義な性格で持病もあった母にとって、介護は苦しみでしかなかったことは私も知っている。さらにその後70代で自身の母も見守り介護もしてきた。
いつしか介護される側の目線を意識する様になっていた母。だからこそ自分は家族に看てもらうことに強い抵抗があったのだろう。自分のために私達の人生に影響が出ることが怖かったのだとも思う。
今年の夏、脳梗塞からの転倒骨折で入院していた病院を退院する時、母はもう正常に応答もとれなくなり、無表情だったのに、なぜかポロポロと涙を流していた。姉は「お母さんの顔、迷惑かけてごめんって言ってる時の顔だよ」と涙ぐんだ。
母は「将来子ども達に迷惑をかけるのが怖い」と30年前から私の夫にまで言っていたらしい。私は最近それを夫から聞いた。
30年後の現在はアルツハイマーで、それだけでなく先の後遺症からか自分が誰かもほぼわからないまま、生きている。母の心を思うとやりきれない。母の心の奥底にある本当の気持ちは、ほどほどに老いて、私達に見守られながら穏やかに過ごせる88歳でありたかったはずだ。私達もそれを解ったまま、母の選択を尊重している。
しかし母は自身が一貫して言い続けてきた通り、施設でお世話になっているので、私達の生活に今のところ大きな影響はない。ぶれてなかった母のおかげで、私達の今は少し守られているのかもしれない。
気をつけて身を守って生きなさい…か。母が母であった時のさいごの言葉かもしれないな。
「がんばりすぎないこと」と母はよく言ってたな。『身を守る』ということはそういうことだとも思う。
私はなんでこんな大事な言葉を読み流していたんだろう。この言葉を大切に生きていこうと手紙を手帳にしまった。
母が自分の希望する介護の形を話してくれていて良かったと思っています。
しかし母にわがままを言いたい。なぜ元気で一人で残ってるのが父なのよ。父を私に託さないで(笑)この人が一番大変なのよ!
母に残っていてもらいたかったな。
△noteを始めた頃に書いた記事です。祖母の壮絶介護時代。
