絵を描くということ ③ スタイルを壊したい!でも難しい
漫画で鍛えた絵の上手さ
小学生の頃、漫画が流行りました。
主に手塚治虫先生タイプのスタイルの漫画を真似して描いていたために、絵の書き方自体が漫画のスタイルになりました。
漫画を真似ているのだから、当然のことです。
実物を見て描くということもなく、デッサンの基礎もクロッキーもろくにやっていませんでした。
仲間の間では結構好評だったので、得意になって、絵がうまいと自負してました。
中学、高校と美術の成績は、上位の評価の時と中位以下の評価の時とあり、指導する先生次第という感じでした。
それからは、自分で自分の作品を見ても、芸術的じゃない、と思うようになりました。
特に、高校の美術でルオーのように、ペインティングナイフで油絵に絵具を分厚く塗る先生に指導された時、全く私の絵は評価されず、生まれて初めてのショックでした。
ー 漫画としても上手くはない。油絵もだめ。
その後はデッサンの本を買ったり、クロッキー帳を持ち歩いたりしましたが、漫画を描くときの線が消えません。
むかし褒められたことが澱のように心に残っていて、うまく描けるという気持ちが邪魔をして、まっさらな心になれないと悩んでいました。
社会に出た後も、趣味として続けたかったのですが、もうゆっくりとキャンバスやスケッチブックに向かう時間は無くなりました。
今までのスタイルを壊して新しいスタイルになりたいという気持ちは持ち続けたのですが、かなり大変なことで、半ば諦めでした。
今の描きたい気持ち
今はそういうしこりもなければ、こだわりもありません。
若い時のこだわりは時間を無駄にしたのか?
いいえ、そうでもありません。
描くということ自体には抵抗ありませんから。
マンガを描くのは下手になって、というより、時流というか、流れについていけなくなりました。
その分、他を意識せずに、自分の自由な描き方ができるようになったと思います。
私の場合は、シニアになってから、InstagramとibisPaint、canvaなどの描画アプリのおかげで絵を描くことを再開しました。
また、インターネットのおかげでさまざまな知識が素早く広くみられるため、先人たちのことも色々勉強できました。
そうした中で、若い時には理解できなかった天才たちの教えが、自分なりに理解できるようになったと思います。
今はピカソのように、幼児の心を目指し、うまく見せようと思わぬ囚われない心で描きたいと思います。
ある美術展に行ったときに、ジョアン・ミロの美術展が開催されていて、このポスターなどをみただけで、こんなふうに描いていいんだ、と諭された気がしました。
Instagramをみていただくと、こうした刺激を受けて、若干ながら成長した後をご覧いただけます。
今もあれこれ試しています。
キャップションは好きなように描こうです。
絵画と写真
手書きの絵にこだわる気持ちはあります。
それは絵や対象物に対する書き手の情とか、筆やペンの味わいを大事にしたいと感じるせいだと思います。
絵は対象の姿を凝縮するが、写真は一瞬を切り取る。
この違いが、見たものの心に響くから、感動の仕方が違うのだと思う。
最近流行りのスマホの写真はコンマ数秒の動きを入れた写真がとれます。
それでもドガの踊り子のようには踊らず、北斎の海のような飛沫が飛んでくるような迫力はない。
美術展に行ったときの解説にあったのだと思いますが、
フェルメールの時代にはピンホールカメラができていて、画家たちもこれを利用していたそうです。
Web検索すると、カメラ・オブスキュラ(小さな暗い部屋)というのがあって、部屋の中でピンホールから映る風景などを描くのに利用していたようです。世は写実主義の時代でした。
レオナルド・ダ・ビンチも似たような装置を使っていたようだというのは驚きです。さすが天才科学者。
この後、カメラの普及で肖像画などは写真にとってかわり、写実性に囚われない印象派が登場するという流れは、絵画独自の良さを追求する方向に向かったことなのでしょうか。
自由な心で描き続け、皆さんの心にスッと自然に入っていけるような作品ができたらいいと思っています。
よろしくお願いします🙇
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絵本型の横スクロールで、9シーンです。
次の2作はスマホで見やすい縦スクロールです。
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