\マッキーは令和になっても…/#私のプレイリスト#AI×短歌#槇原敬之
先月から短歌をはじめた。
さっそくですが一首失礼します。
マッキーは 5歳児さえも 踊らせる
平成バイブス 世代を超える

どういうことか説明しよう。
令和生まれの子が、平成ポップスで踊る
私のドンピシャ青春時代にマッキーはいた。特に失恋したときに。
哀しい気持ちを増幅させて、どんどん涙を出したいときにマッキーはぴったりだった。
時は流れ、私も母になった。でも中身はまだ10代のままだと思う。
腹が減ればゴキゲン斜めになるし、目覚ましは3回以上スヌーズする。
少しでもくらしを快適にするために、家にはテレビがなく、その代わりにずっと小さく邦楽を流している。
キッチンにあるモニター付きのスマートスピーカーからは、90年代邦楽プレイリストが流れていた。久保田利伸、平井堅、槇原敬之。するといつもなら聴き流すだけの子どもがぴたりと動かなくなり、モニターをじっと見つめている。なぜなら画面に曲名が書かれているからだ。
幼稚園児でまだ読み書きを習っていないが、図書館に通ううちに自然と覚えた彼は、必死に文字を目で追っている。「ふゆ……が…はじ…まる…よ!」文字が読めたのがうれしいらしい。続けて数曲マッキーが流れた。
△半袖と長袖を同時にプレゼントすることで、ずっと一緒にいたいと示す。なんて粋なんだ。
ことばの魅力
気に入ってくれてうれしいな。そんな風に見守っていたら、またもや動かない。「なんだこれ!変なの。どうしようもないんだって!」
元々知っていたからとりたてて振り返ることをしなかったが、改めて読むと変だ。「どうしようもない僕に天使が降りてきた」ってどういう状況?
書籍でたとえるならこれのイメージ。
『限りなく透明に近いブルー』村上龍
『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹
ん?これってどういうこと?を作る
マッキーがコピーライターになった姿も見てみたかったな、なんて思うくらい、ひっかかる言葉づくりが上手い。
それに思わず口ずさみたくなるフレーズが、気持ちの良いところにくる。
最近の曲だと歌詞からタイトルが連想しにくいものもあるが、平成の時代はちゃんとサビの最後にタイトルが来るものが多いと感じる。
△信じてる 信~じてる / Tシャツのやぶけた スパイ!
△ぼくらのグリ~ンデ~イズ
△遠く 遠く 離れていても 僕のことが分かるように
△北風がこの街に 雪を降らす 舗道の錆びついた 自転車が凍えている
情景が目に浮かぶし、ゆっくりと進んでいく様はまるで絵本を読み聞かせしているようだ。こっちまでほっこりしてくる。
本物は時を超える
私は日々自分の好きな昭和~平成の音楽をかけ、子どもたちに聴かせているが、彼らが反応する曲というのは古典なのだと思う。
聴いた誰もが情景を浮かべることができ、そして分かりやすく寄り添う言葉がある。しかしよくよく深堀すると全然優しくなんかない。むしろドロ沼である。そんな平成ポップスを気に入ってくれて、私もうれしい。
自分の文章が・仕事が評価されない。見る目がないとか色々グチったりするけれど、ちゃんと筋の通ったものであれば知名度関係なく響くのだ。それは私自身も実感している。見る人は見ているし、レベルが足りないから声がかからないだけなのだ。
語彙を浴びよう。咀嚼して、すぐに使おう。
言葉の筋トレを毎日しよう。
使って、壊して、また構築する。
サグラダファミリアのように終わりなく、その過程すらも美しく見えたらいい。
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