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「死にたい孤独」と「読書」は、なぜ相性が良いのか

死を考えていた。

教室から窓を眺めて「ここから飛べば少しはラクに」まで考え、強制的に思考を止める。違う。私は死にたいのではなく、この環境から抜け出したいだけだ。

私があの頃に「死のようなもの」を意識しはじめたのは、高校生活の終盤に差し掛かるあたりで人間関係に大きくつまずいてしまったことに端を発する。


私は、スポーツ推薦でとある高校に入学したのだけれど、2年生の2学期くらいまではクラスメイトや先生を笑わせる「明るい人気者」的なポジションにいた。

ところがどっこい、途中から部活内での立ち回りに見事に失敗し、後輩から嫌われて先輩としての威厳を完全に失い、同期とは距離が生まれ、そこから派生してクラス内で話す人がいなくなり、さらに寮生活では最初から最後まで他部活の連中と馴染めず、すべての人間関係が終わってしまった。

トリックアートみたいに周囲の見え方が変わり、楽しかったはずの学校はいつしか逃げ場のない牢獄に。

「四面楚歌とは、私のために生まれた言葉だ」と当時は本気で思った。

書けば当時の怨嗟があふれて止まらなくなりそうなので、これ以上の詳細は割愛させてほしい。

すべては10代だった私の未熟さゆえに招かれた結果なのだけれど、とにかく誰にも相談できずに苦しかったことを覚えている。高校3年まで来て「学校を辞める」という度胸もない。ただひたすらに、時が過ぎるのを待ち続ける日々。

高校3年の夏にようやく部活を引退すると、寮生活を辞めるという選択肢を取れるようになる。

実家から学校までは電車で片道2時間30分。
通勤・通学時間が伸びるほど幸福度は下がるというが、それでも私は実家から「通う」ことを決めた。

私が読書に親しむようになったのは、この「通学」がきっかけだった。


2時間30分もの間、電車の中で出来ることなんて限られている。

あまりにも暇で仕方がなく「どうにかならないものか」と頭をひねった結果、「学生らしく本でも読んでみよう」とひらめく。

しかし、バイトもしていない高校生の財布は、まるでミニマリストの暮らしぶりのよう。新しく本を買う余裕なんてない。

だが学生には強い味方がいる。

図書室だ。

さすがに「どんな本を読んできたか」までは覚えていないけれど、ベタに東野圭吾のミステリあたりから手に取ったような気がする。久方ぶりに読書する高校生にも読みやすいシンプルな文体で、謎に引き込まれつつ見事に伏線が回収されていく快感が病みつきになった。

誰とも繋がらずに楽しめるエンターテインメント。
字を追いながら頭の中に世界観を構築する、ちょっぴり贅沢な忙しさ。

紙に刻まれた無数の文字が、私の孤独を忘れさせてくれた。

図書室のおかげで懐を痛めずに本が読めるありがたさを噛みしめ、学費の一部を取り戻す勢いで無数の本を借りるようになる。


ある日の、国語の授業で図書室を使う場面にて。

国語の先生(男性)が小説の棚付近をうろうろしていたので「最近、電車で小説を読むんですよね」と話しかけてみた。

すると先生は「おっ、いいね」と少し嬉しそうな声で反応した。

脳筋集いし我らがスポーツクラスに、読書をするようなヤツはいなかった。先生も、まさか「本を読んでいるんです」と話しかけられるとは、予想していなかったのだと思う。

先生は「本と映画がいちばん人生の勉強になるよ」と微笑みながら、いくつかオススメの本を紹介してくれた。

本当に嬉しかったな。

誰とも話せずに苦しんでいた孤独ごと抱きしめてもらえたようで、安堵感が心の隙間にあたたかく広がったのを覚えている。

高校での人間関係は失敗してしまったけれど、本を読む自分は間違ってないんだと。先生の言葉が背中を押してくれたのか、取り返しのつかない何かを上塗りするように、ただひたすらに本を読む青年になった。


本をたくさん読むと、次第にやってみたくなることがある。

書くことだ。

高校を卒業して大学に入ったあと、私は個人ブログを立ち上げた。
これまでに読んだ本やプレイしたゲームの感想を綴るだけの、いわゆる雑記ブログである。

当時は「SEO(検索エンジン最適化)」の「エ」の字もしらない素人丸出し運営だったがために、時間はかかったものの、生まれて初めて「書くことでお金を得る」という経験ができた。

広告収入を得ることで「自分は書いて生活できるかもしれない」と勘違いし、その勘違いを信じた結果、結果的に本当に書いて生活できるようになった。

すべては、読書がきっかけだ。

読書は、自分の奥深くに沈んでいた感情や言葉を引き出してくれる。
自分自身と深く繋がれるツールだからこそ、孤独と相性が抜群なのだ。

もしも、私の人間関係が順調で、友達と遊ぶ学生生活を満喫していたら、読書の魅力を知ることはなかったかもしれない。たくさんの本に触れなければ、「自分で書いてみよう」と思うこともなかっただろう。

この経験から私が考えるのは、人生は小説に似ていて「伏線回収の連続である」ということだ。嫌な経験も、自分の行動次第では「良い結果に至る過程」に塗り替えることができる。

これが、私のライターとしての原体験です。

あのころの「死にたい気持ち」から救ってくれた本たちと、先生がくれた言葉には、心の底から感謝している。

だから私は書く。
死にたいほど孤独だった自分に。
「その時間も、伏線だったよ」と伝えるために。

そして、今誰かが抱えている孤独も、いつか物語に変わることを信じて。

私は書くことで、あの孤独な日々が持つ意味を書き換えようとしているのだ。


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