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ギラン・バレー症候群 闘病記⑨ 〜社会的な自立と「小さな変化」の積み重ね

こんにちは、烏骨鶏です。前回は、2024年11月に仕事に戻るまでの約8ヶ月間の道のりを綴りました
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2024年12月から2026年1月まで。この一年余りの期間は、私にとって単なる「回復の記録」ではありませんでした。社会復帰という現実に四苦八苦しながら、言うことを聞かない身体を一つひとつ立て直し、一度は手放しかけた日常を必死に取り戻そうとしてきた、今の私の記録としてここに記します。

一時は歩くことさえ遠い夢のように思えた日々から、5kgの米袋を提げて歩き、一人で靴下を履けるようになるまで。嬉しかったことも、しんどかったこともあったこの一年の歩みを、記録とともに綴ります。


1. 社会的な「自分」の再定義:手帳の交付と年金申請

社会復帰を果たす上で避けて通れないのが、制度面での「自分自身の位置づけ」を確定させる作業でした。

身体障害者手帳の再交付と「4級」認定の葛藤

2025年1月27日、身体障害者手帳が再交付されました。等級は「4級(両上肢障害5級・両下肢障害5級)」。
主治医による当初の診断内容とは乖離がある結果となり、判定を行う医師の裁量や基準の難しさを痛感しました。しかし、今後の長い回復プロセスを見据えた上での「永久認定」なのだと自分を納得させ、これを一つの区切りとして受け入れました。

生活を支える基盤:障害年金の受給

7月17日には、待ちわびていた「国民年金・厚生年金保険年金証書」が届きました。受給権の取得は2025年1月に遡り、次回の診断書提出は2028年2月。さらに8月28日には年金生活者支援給付金の支給も決定しました。 麻痺を抱えながら不安定な契約社員として働く私にとって、これらの社会保障は単なる金銭的な補助以上に、精神的な「命綱」そのものだった。

国民年金・厚生年金保険年金証書

2. ずっと気になっていた、喉の「手術のあと」のこと

2023年に命を繋ぐために行った気管切開。その「痕」が引き起こすQOL(生活の質)の低下は、予想以上に長く、私を苦しめました。

2024年8月に大学病院の耳鼻科で閉鎖手術を受けたものの、術後に感染を起こし、一ヶ月ほど穴が塞がらないというトラブルに見舞われました。2025年4月下旬には、その傷痕あたりが再びジュクジュクし始め、浸出液に悩まされる日々が再発します。 近所の皮膚科では改善せず、土曜受診が可能な形成外科を経て、再び大学病院の耳鼻科へ辿り着いたのが9月11日。

そして9月19日、予想外の展開を迎えました。形成外科でのエコー検査の結果、単なる傷痕ではなく腫瘍(粉瘤)の可能性があるものの、取り除けるだろうとの結論が出たのです。手術日は通常木曜か金曜。ドクターから「今日、30分後に手術はどうですか?」という驚きの提案を受け、即座に決断。1時間程度の手術で、長年私を悩ませ続けた不快感と浸出液の問題が解決しました。喉の違和感から解放された瞬間、ようやく本当の意味で「あの頃の闘病」に一つ区切りがついた気がしました。


3. 治療とリハビリ:専門的なアプローチと自己対話

2025年1月4日から始まった外来リハビリ(土曜・月4回)と訪問あん摩・マッサージ(月13回程度)は、私の身体を再構築するための重要な指針となりました。

段階的なリハビリ実施方針

理学療法士の方々と共に立てた方針は、季節を追うごとに進化していきました。

  • 2025年2月: 筋出力低下と手指の拘縮が顕著で、歩行の安定性が著しく低い時期。関節可動域の改善と麻痺筋への刺激を中心に行いました。

  • 4月: 下肢筋力や手指の可動性に、介入当初との比較でようやく改善の兆しが見え始めました。

  • 7月: 歩幅の拡大、歩行スピードの向上、連続歩行距離の延長を確認。細かい手作業へのアプローチも開始しました。

  • 10月: 足部のアライメント(骨格の並び)修正と、走行も見据えた下肢の安定性向上に重点を置きました。

「毎日少しでも良いので行う」という自主訓練の大切さを、嫌というほど自分に言い聞かせ続けた一年でした。

2025年5月1日 Tさんとランチ

4. 日常の喜び:5kgの米、レトルトパック、そして自立への歩み

数値上の回復以上に、私を勇気づけたのは日常生活の中で起きた「嬉しい変化」でした。

冬の苦闘と、電車の網棚

2025年2月1日。混雑した電車での移動。網棚を持って必死につかまりながらの地下鉄への乗り換え。エレベーターの有り難さを身に染みて感じた一日でした。2月8日にはマクドナルドでビッグマックを注文しましたが、「指先でつまんで食べる」という動作がこれほどまでに困難だとは思いませんでした。寒さで強張る指先と、思うように運べない足に、焦りを感じていた時期です。

夏に手にした「自由」

しかし、季節が変わると身体が応えてくれました。

  • 7月31日: 指先で「料亭の味」のレトルト味噌汁パックが、完全に、綺麗に切れるようになりました。

  • 8月2日: 9時6分の電車に乗るため、8時58分に自宅を出発。エスカレーターを降りた瞬間に電車が来るというタイミングでしたが、駅までの道のりを「滑り込み」で間に合わせることができました。

  • 同日:隣のスーパーで買った「5kgの米袋」。ずっしりと腕に沈むその重みは、かつての自分なら当たり前に感じていたはずの、けれど今の私にとっては「自分、ここまでできるようになったんだ」と実感できる、確かな重みでした。

  • 8月11日: 2023年6月以来、実に2年2ヶ月ぶりとなる新幹線での帰省。家族との再会は、何物にも代えがたいエネルギーとなりました。

  • 8月23日: 駅の階段を、自力で、一歩一歩上り下りできるようになりました。

2025年5月3日 旅行中の写真

5. ウォーキングの進化:ロボット歩行からの卒業

ウォーキングの記録は、私の回復を最も客観的に示すデータとなりました。

  • 2025年8月16日: 3.98km(1時間1秒/ペース 15:05/km)。近所のコースを、まだぎこちない動きで歩き通しました。

  • 11月15日: 5.16km(1時間9分52秒/ペース 13:32/km)。小さなアップダウンが続く公園内を5周。持久力の向上が数字に表れました。

  • 11月22日: 7.14km(1時間41分20秒/ペース 14:12/km)。都市部の平地を長時間歩き続ける耐久力が備わりました。

2025年7月時点では、脊柱や股関節の動きが硬く、周囲からは「ロボットのような動き」と言われていた私の歩行。しかし、12月に入るとその不自然さが完全に解消されました。自分の意思で、自然に足が運べる。その「普通」の感覚を、2年以上の歳月を経てようやく取り戻すことができたのです。

2025年1月3日の写真-1
2025年1月3日の写真-2
2025年12月20日 ウォーキング後のブランチ

6. 働き続ける現実:削られるエネルギーと「握力」の悲鳴

社会復帰を果たした一方で、現実は過酷でした。復職後、有給休暇がない中でのフルタイム勤務。仕事が終わると、まるで全てのエネルギーを使い果たしたかのように、自宅でぐったりと倒れ込む毎日です。

勤務実績と「実働時間」の重み

  • 2025年3月:実働 182.07時間(時間外 22.07時間)

  • 2025年7月 : 実働 177.15時間(時間外 1.15時間)

  • 2025年10月:実働 189.04時間(時間外 13.04時間)

  • 2025年12月:実働 169.45時間(時間外 10.07時間)

特に繁忙期の10月下旬以降、積み重なる仕事の負荷は、残酷な数値となって現れました。私の意思とは裏腹に、じわじわと、しかし確実に落ちていく握力。数字が、身体の限界を告げていました。

握力の推移(右手)

  • 10月18日: 9.4kg

  • 10月30日: 7.8kg

  • 11月29日: 7.7kg(過負荷による顕著な低下)

  • 1月10日: 8.8kg

全身を襲う「凝り」の正体

訪問マッサージ師さんの施術結果は、私の身体がいかに限界で戦っているかを教えてくれました。 首の後ろから頭の付け根、肩甲骨の間、肘から手首、そして腰からお尻にかけて。特に背中から腰、太ももの裏側にかけては深部まで強烈な凝りがあり、手技だけでは足りず、マッサージガンを併用してようやく筋肉をほぐしている状態です。

限界の吐露と診断書の提出
12月1日、私は上司に「現在の案件から抜けたい」と正直な胸の内を伝えました。過剰な労働負荷が身体を蝕んでいる実感があったからです。申し出は了承されましたが、現実は甘くありません。12月5日まで業務の負担は一向に減ることはありませんでした。

自らの意志だけでは解決できない限界を感じ、12月6日、私は主治医に診断書の作成を依頼しました。そこには、自分の今のありのままの状態が綴られていました。

主治医の言葉(診断書より抜粋)
傷病名:ギランバレー症候群後遺症 「リハビリテーション継続中で改善中でしたが、11月から上肢の筋力低下認め、易疲労性などが悪化。労働負荷が基礎疾患の神経障害に負荷をかけすぎていると考えます。上記を考慮して就業内容の再考をお願い致します。」 (令和7年12月6日 脳神経内科クリニック)

令和7年12月6日 脳神経内科クリニック の診断書

7. 2026年、しなやかな未来へ向けて

2026年1月初旬。年末年始に手指を少し休めることができたおかげか、嬉しい出来事がありました。 「固めの靴下を、自分一人で履けるようになった」のです。

一年前には、自分で靴下を履くことさえ果てしない苦労を伴う作業でした。それが今、指先の巧緻性と足のコントロールが調和し、当たり前のように完了できる。これは、私の身体の中で神経と筋肉が再びうまく連携し始めている証拠だとも感じています。

現在の課題はまだ山積みです。

  1. 手内在筋の萎縮と右足部の機能低下。

  2. 脊柱・股関節のさらなるしなやかさを追求し、より自然で滑らかな動作を定着させること。

  3. 主治医の助言に基づき、就業内容を見直しながら全身の持久力と筋力を地道に高め、疲労に負けない身体を作ること。

ギラン・バレー症候群という嵐が過ぎ去り、残された後遺症という不自由さと一つひとつ向き合い、自分なりの生活を組み立てていく。そんな作業を、私はこれからも続けていきます。

2026年は、よりしなやかで疲れにくい身体を目指し、リハビリで教わった「お尻上げ」やストレッチを欠かさず、自分自身の身体を整え続けていく毎日を、歩幅を広げて続けていこうと思います。

「焦らず、しかし諦めず。」 また新しい一年を、自分の足で、力強く踏みしめていきます。

12月27日 忘年会
12月28日 米寿祝 親父と従姉妹

次回予告:数値で見る身体の現在地

1年で「ほぼ自立」と言えるまで回復した身体。その実態を、握力やFIMスコア、そして精密検査で見えてきた新たな課題とともに詳しくお伝えします。回復の先に待っていた、私にとっての「新しい日常」の記録です。

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