ギラン・バレー症候群 闘病記③〜気管挿管とICU生活、そして気管切開へ〜
こんにちは、烏骨鶏です。
前回、免疫グロブリン静注療法(IVIG)治療中に病状が悪化し、ICUに入ったところまでお話ししました。この記事では、そこからの続きです。
前回の記事はこちら
気管挿管からICU、HCU、そして一般病棟へと戻るまでの壮絶な日々についてお話しします。
全身に管を繋がれ、強力な鎮静剤で意識が混濁する中で、私が何を感じ、何に立ち向かっていたのか。壮絶な闘病の記録を、どうぞご覧ください。
気管挿管とICU生活、そして気管切開へ
気管挿管と人工呼吸器
2023年7月19日深夜、私の状態は悪化の一途を辿り、ついに気管挿管が必要となりました。自宅から近いとはいえ、妻の到着を待つ時間はないと判断され、病院は電話で妻に状況を伝えました。声を出せるのはこれが最後になるかもしれないと告げられ、妻は病院へ来ずに処置が進むことに。その時の記憶はほとんどありませんが、全身麻酔の前のわずかな記憶だけが残っています。
気管挿管が終わり、人工呼吸器が装着されました。
気管挿管と気管切開について
一般の方には馴染みのない言葉だと思いますので、ここで少し説明させてください。どちらも呼吸を助けるための医療処置ですが、目的と方法が少し異なります。
気管挿管(きかんそうかん): 口や鼻から喉(のど)を通って、気管までチューブを挿入する処置です。このチューブを通じて人工呼吸器と繋ぎ、呼吸を助けます。緊急性が高い場合や、短期間の処置として行われることが多いです。ただ、チューブが声帯の近くを通るため、声を出せなくなり、喉の痛みや不快感を伴います。
気管切開(きかんせっかい): 首の気管に直接小さな穴を開けて、そこにカニューレと呼ばれる呼吸用のチューブを挿入する処置です。気管挿管よりも喉への負担が少なく、チューブの管理もしやすいため、長期間にわたって人工呼吸器が必要な場合や、喉の奥に溜まった痰を吸引しやすくするために行われます。私もこの処置によって、呼吸が「楽になる」と言われました。この「楽になる」というのは、喉に入っていた気管挿管の太いチューブが抜けて、喉の痛みや不快感から解放されるという意味合いが大きかったと思います。
ICUでの日々を支えた薬
ICUでの生活は、喉にぶっとい管が入り、尿道カテーテル、全身センサーなど、体中にたくさんのものが繋がれた過酷なものでした。血圧をリアルタイムで測るAライン(動脈ライン)、心電図、酸素飽和度などのモニターが常に装着され、栄養は点滴のみで、身体はまるで監獄に入れられ拷問されているかのような苦痛を感じていました。
そんな過酷なICUでの日々を支えてくれていたのが、後日マイナポータルで確認した薬の記録でした。2023年7月26日まで使われていた麻)フェンタニル注射液0.5mg「テルモ」は、「麻」の文字からも想像できる通り、強力な痛み止め(麻薬性鎮痛薬)です。気管挿管や人工呼吸器の装着による身体への負担や痛み、不快感を和らげるために使われていたのだと思います。
また、ベッドに横たわっている間も、血栓予防のため、ふくらはぎを定期的に揉みほぐすエアーが流れるような装置が装着されていました。これは、血液をサラサラにする薬と併用して、深部静脈血栓症などの合併症を防ぐための処置です。
ICU生活3日後あたりには、理学療法士さんと作業療法士さんがペアで来てくださり、立ち上がらせてもらうリハビリをした記憶があります。気管挿管されているため声を出せなくなり、文字が書かれたボードでのコミュニケーション手段のみとなりました。これも相当難しく、濁点や半濁点もあるため、意思を伝えるのに苦労しました。ナースコールは足のタッチセンサーで行っていました。
ICUの期間はほとんど覚えていません。しかし、看護師さんは皆とても優しく、極めてレベルの高い方ばかりでした。
診断の決め手となった髄液検査
ちなみに、後から知ったことですが、IVIG治療が終わった7月24日頃に髄液中の蛋白上昇が認められ、ギラン・バレー症候群の診断が確定していたそうです。発症から約10日後のことでした。
※補足:私がこのドクターの記録を実際に見て、この事実を知ったのは、さらに1年以上経ってからのことになります。
髄液検査とは
脳や脊髄の周りには、脳脊髄液という透明な液体があります。ギラン・バレー症候群では、この脳脊髄液内の蛋白(たんぱく)が増加し、細胞数(白血球数)は正常、という変化がみられることが多く、診断の根拠になります。脳脊髄液は横向きに寝た姿勢で腰に針を刺して採取します。
経験談:予期せぬ痛み
ICUでの髄液検査を受けた際、看護師さんから肩を抑えつけられ、完全に右肩を痛めてしまいました。その時は相当な痛みで、顔を歪めたことだけは鮮明に覚えています。
これは医療事故だと感じましたが、声が出せなかったため、そのことを伝える術がありませんでした。その影響もあり、右肩はまるで五十肩のようになってしまい、2023年中は右肩のリハビリが全くできませんでした。肩がようやく良くなったのは、翌年の2024年になってから右手で食事のリハビリをする頃まで続いたと思います。
HCUの過酷な環境と、一般病棟へ戻った日
HCUでの生活は、私にとって多くの印象的な記憶を残しました。
HCUの環境と自律神経の不調
HCUは区切りのない24時間監視が容易な空間でした。空調があまり効いていなかったのか、とにかく暑かったのを覚えています。
ギラン・バレー症候群による自律神経障害は、HCUから一般病棟に移った9月頃まで続きました。体温調整がうまく機能しなくなったようで、特に首の後ろが異常に熱くなり、常にアイスノンを当てていました。血圧を下げる薬も服用しており、HCUや一般病棟に移ってからのリハビリでは、ベッドから起き上がる直後に血圧低下のためか、ふらっとすることがありました。これは起立性低血圧だそうです。また、血栓防止のため血液をサラサラにする薬も服用していました。自律神経障害の影響か、看護師さんからは不整脈が起きていると一度だけ聞きましたが、特に苦しさを感じることはありませんでした。
HCUでの言語療法と気管切開
HCUに戻ってから、言語療法士によるリハビリが始まりました。2023年7月27日に実施されたようです。その時に書いてもらったメモには「開始 痰多い」と記されています。
その後の2023年8月2日には「ゼリー ーロ」とメモにあることから、その前に気管切開されたのだと思います。当時は「楽になるからね」という言葉で、深く考えずに気管切開を受け入れました。後から知ったことですが、気管挿管は長期にわたる使用が難しいため、気管切開に移行するのが一般的と、当時担当してくれた医師から説明を受けていたようです。これが後々まで苦しむことになるとは、この時は全く知る由もありませんでした。
他のHCUの患者さんのご家族が、気管切開はしないという話を看護師さんから耳にしました。私自身は気管切開を受け入れた立場でしたが、他の方の選択を聞き、複雑な気持ちになったのを覚えています。
コミュニケーションと看護師のサポート
HCUの看護師さんもベテラン揃いで、皆さん大変優しく接してくださいました。文字盤を使ったコミュニケーションも上達してきましたが、濁点や半濁点のある言葉は、人によってはなかなか伝えるのが難しかったです。
一般病棟への復帰
2023年8月15日がHCU最終日で、入院した当時の一般病棟に戻ることができました。一般病棟に戻っても人工呼吸器は継続していたため、病院の判断で個室になっていました。費用負担がなく個室で過ごせたのは、本当に助かりました。
次回は、一般病棟に移ってからの本格的なリハビリと、少しずつ元の生活に戻っていく過程を描いています。検査目的で大学病院に転院するまでの2ヶ月半の期間となります。
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