ギラン・バレー症候群 闘病記④〜一般病棟でのリハビリ、人工呼吸器と食事の再開〜
こんにちは、烏骨鶏です。
前回、気管切開を行い、ICUから一般病棟へ移ったところまでお話ししました。今回はそこからの続きです。
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一般病棟での2ヶ月半は、リハビリを通じて少しずつ身体が本来の機能を取り戻していく期間でした。この時期は、人工呼吸器を外し、再び自分の口から食事ができるようになることが大きな課題となりました。当初は先の見えない日々でしたが、一つひとつの課題をクリアしていくたびに、回復している実感と喜びを感じられました。
失われた身体機能を取り戻すために、私が何を感じ、何に立ち向かっていたのか。回復に向けた大切な一歩を、どうぞご覧ください。
④一般病棟でのリハビリ、人工呼吸器と食事の再開
集中治療室(ICU)から一般病棟へ移った8月半ばから10月末までの2ヶ月半は、身体が少しずつ本来の機能を取り戻していくための、長いリハビリの期間でした。この時期は、人工呼吸器を外し、再び口から食事ができるようになることが大きな課題でした。一つひとつの課題をクリアしていくたびに、回復している実感と喜びを感じられました。
食事のリハビリ
一般病棟に移った当初、呼吸を助けるための人工呼吸器はまだ外せませんでした。なかなか離脱に進まらなかったのは、痰の量があまりに多く、頻繁な吸引が必要だったからです。そんな中、言語聴覚士(ST)の指導のもと、再び口から食事をするための嚥下(えんげ)リハビリが始まりました。
8月中旬: 熱が出たためゼリーの食事は中止に。もともとあった嚥下障害(飲み込む力が弱いこと)が原因で誤嚥性肺炎を引き起こし、全身に細菌が回る菌血症になりました。自分が思っている以上に、身体は辛い状態だったようです。
8月下旬: 再びゼリーの食事ができるように。この頃、STさんから一時的な選択肢として胃ろうという言葉が出て、ショックを受けました。しかし、これは食事を再開できるまでの一時的な選択肢だと知り、少し安心しました。
9〜10月: 徐々に食べられるものが増えていきました。嚥下機能は途中から急激に回復しました。
9月14日: ペースト食(嚥下食2)へ。最初は数口からでした。
10月5日: スプーンでつぶせるソフト食(嚥下食3)へ。ポテトサラダを食べたときの感動は忘れられません。
10月10日: 一口サイズの柔らかいおかず(軟菜一口大、嚥下食4)を食べるようになり、この日から3食になりました。栄養を直接胃に送る経管栄養のチューブも外せました。
10月12日: トロミをつけずに食事ができるようになりました。
10月17日: 常食を一口サイズで食べられるように。これは回復が大きく前進した証拠でした。
尿道カテーテルの記憶
ICUでのオムツ生活が始まった頃から、尿道カテーテルが装着されていました。その間も、身体はごく自然な生理現象を起こそうとします。しかし、管が入っているうちはどうすることもできません。その度に、抑えつけられるような、もどかしい気持ちになりました。
試そうとしたのは、一般病棟に移ったばかりの頃だったと思います。その度に「これはきっと、やめておいた方がいいやつだ」という心の声がどこからか聞こえてきて、ギリギリのところで踏みとどまっていました。
今こうして、この体験をnoteに書こうと調べてみて初めて知ったのですが、当時の自分の判断は正しかったようです。無理をしていたら、体に良くない影響があったかもしれません。そしてカテーテルが外れると、ようやくオムツだけの生活になりました。すると、これまで抑えつけられていた身体が本来の機能を完全に取り戻したのを感じました。その感覚は、病に支配されていた自分が、少しずつ元の自分へと帰っていく大切なサインのように思えたのです。
あの時に無理をしなくて本当に良かったと心から安堵しています。
尿道カテーテルが外れた日
ICUでの生活が始まって以来、カテーテルを装着していました。寝たきりでも排尿に問題はなかったんです。だから、9月5日の直前に「外してほしい」と伝えました。でも、その時はまだ外してもらえませんでした。今思えば、病院側から外す話をしてくれなかったのは、介護の負担を軽減するためだったのかもしれません。
担当の看護師さんからは、「カテーテルを外すと、一時的に排尿できなくなることがある」と聞いていたので、正直なところ少し不安もありました。
ようやくカテーテルが外れたのは9月5日。排尿はすぐにできました。最初は少し力を入れないと出ませんでしたが、2日後にはすっかり元通りに。ナースコールで看護師さんを呼んで、尿瓶を使えるようになった。それは小さなことかもしれませんが、私にとっては大きな一歩でした。また、この時期は清拭だけでなく陰部洗浄もありました。なぜか担当してくださるのは女性の看護師さんばかりで、温かいお湯をかけられると、思わず生理現象が起きてしまうことも。その心地よさも相まって、申し訳ないと思いつつ、何とも言えない複雑な心境になるものでした。
少しずつ、自分の身体が本来の機能を取り戻していく。そのたびに「回復してるんだな」って、嬉しい気持ちになりました。あの時のことは、今でもはっきりと覚えています。
人工呼吸器からの離脱と、声が出せるようになった日
痰の量が減ってきたこともあり、人工呼吸器の離脱に向けた準備が本格的に始まりました。気管切開している状態からの人工呼吸器離脱は大変ハードルが高いことだと後で知りましたが、本人、妻、ドクター、看護師、STさん、PTさん、OTさん、全ての賛成が揃い、全員一致で決まりました。
9月下旬: 人工呼吸器を付けた状態でも、特別な方法で一時的に声が出せるように。

10月3日: スピーチカニューレという声が出せる管を気管に挿入。より自然な声が出せるようになりました。
10月10日: ついにこの入院生活で最も大きな出来事、人工呼吸器からの離脱に成功しました。不安な夜を乗り越え、無事に自力で呼吸できるようになりました。
大部屋への移動とモニタリングからの解放
2ヶ月以上過ごした個室から大部屋へと移動したこと、そして体に取り付けられていたモニターが外されたことも、大きな変化でした。
10月20日: 2ヶ月強を過ごした個室から大部屋へ移動。初日は他の患者さんの声が気になったものの、落ち着いて過ごせるようになりました。
10月23日: 体の血圧などを測るモニターが全て外されました。最後まで装着されていたモニターがなくなり、体は身軽になりました。
転院、そして次のステージへ
人工呼吸器が外れたことで、回復期リハビリ病院への転院の話が具体的に進み始めました。当初、人工呼吸器をつけたままの転院に抵抗があったため、妻と相談してセカンドオピニオン目的で大学病院に入院することに。
この転院前の検査で、手足の電気信号を調べる検査が行われました。その結果、手足に電気信号の反応がないことを告げられ、入院して初めて大きなショックを受けて夜も眠れませんでした。これまでの回復の実感が一気に崩れ去り、入院して以来初めて涙を流しました。下半身は回復を体感していましたが、上半身は右指が少し動く程度で、左指はほとんど動いていなかったことを改めて認識させられました。
この頃は、人工呼吸器が外れてから、PT(理学療法士)のリハビリで車椅子に乗せてもらい病室の外に出たり、立つ練習をしたり、食事の際に車椅子に乗るようになりました。また、OT(作業療法士)のリハビリでは、手を中心に動かす練習を続けていました。
10月31日、ついに介護タクシーに乗せてもらい、転院することができました。
絶望的な状況を打破するため、私はセカンドオピニオンを求めて大学病院に転院することを決意しました。次回、「闘病記⑤:セカンドオピオニンで見えた希望」では、新たな病院で迎えた変化と、回復への光を綴ります。
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