ギラン・バレー症候群 闘病記②〜治療開始の「その裏」で、悪化の一途とICUへ〜
こんにちは、烏骨鶏です。
前回、ギラン・バレー症候群発症の兆候から緊急入院に至るまでの経緯をお話ししました。
前回の記事はこちら
今回は、2023年7月15日から7月19日までの5日間、免疫グロブリン静注療法(IVIG)を受けていた期間について振り返ります。
入院した7月14日の夕方、一般病棟にて、翌日からこのIVIG治療を始めることは伝えられました。この時点ではまだ病名の確定診断には至っていませんでしたが、ドクターの記録によると、受診時には両上下肢の筋力低下があり、腱反射も減弱・消失していたとのこと。また、触覚や温痛覚、深部感覚に異常はなく、神経伝導速度検査では四肢で伝導ブロックを認めたそうです。髄液検査については、この時点では蛋白上昇は認められませんでしたが、これらの所見から、「ギラン・バレー症候群などの神経疾患の可能性」を念頭に置いた治療としてIVIGが始まることになったのです。原因不明のまま始まる治療と、それに反して悪化の一途を辿った、まさに「生と死の境目」ともいえるような日々でした。
免疫グロブリン静注療法(IVIG)とは?
さて、「免疫グロブリン静注療法(IVIG)」と聞いても、多くの方がピンとこないかもしれませんね。これは、ギラン・バレー症候群に対し行われる重要な点滴治療です。
ギラン・バレー症候群は、私たちの体の免疫システムが、本来守るべき「自分自身」の神経を誤って攻撃してしまう自己免疫疾患です。この攻撃によって神経が傷つき、手足の麻痺や呼吸困難などの症状が現れます。
IVIGでは、健康な方々からの献血血液を原料とした免疫グロブリン(抗体)製剤(例:「献血ベニロン-I静注用」)を点滴で体内に投与します。簡単に言えば、私たちの体の中に元々ある「病原体と戦う抗体」の集まりのようなものです。これを大量に点滴することで、体内で暴走している異常な免疫反応を抑えたり、誤って神経を攻撃している抗体の働きを邪魔したりする効果が期待されます。
簡単に言えば、暴走している免疫反応を抑えるための治療です。
ギラン・バレー症候群の治療においては、このIVIGと、もう一つの治療法である「血漿交換療法」が、病気の進行を抑え、回復を早めるために重要な役割を果たすとされています。
私の場合は、このIVIGを5日間にわたって受けることになりました。この治療が、当時の私にとって唯一の希望でした。
2023年7月15日:早朝の絶望とIVIG開始、そして抗体検査へ
緊急入院した翌日、2023年7月15日の早朝4時過ぎだったでしょうか。ふと目を覚ましてベッドから起き上がろうとしました。ところが、全く身体に力が入らず、起き上がることができないのです。前日は看護師さんの補助でトイレに行けたり、食事もとれていたのに、一晩でこんなにも動けなくなるなんて。必死でナースコールを押し、看護師さんが駆けつけてくれた時には、言いようのない絶望感と不安感に襲われていました。
そんな状況の中、病室のテレビではちょうど博多祇園山笠の「追い山」が始まっていました。午前4時59分に一番山笠が櫛田神社からスタートし、その後も次々と舁き山笠が博多の町を疾走する様子が映し出されます。祭り好きの私にとって、本来なら元気を与えてくれるはずの映像。しかし、この時の私には、活気あふれる街の様子と、全く動かせない自分の身体とのあまりのギャップに、ただただ虚しさが募るばかりでした。
その後、午前中には免疫グロブリン静注療法(IVIG)が開始されました。当時の詳しい記憶は曖昧ですが、後に医療記録を確認したところ、この日は「献血ベニロン-I静注用5000mg 5g 100mL(溶解液付)」が5瓶点滴されたとありました。また、この日には抗糖脂質抗体検査のための採血も行われ、その検体は近畿大学病院へ送られたとのこと。目の前の状況を何とかしたいという思いで、藁にもすがる思いで治療開始を承諾したことだけは覚えています。これで少しは楽になる、回復に向かう、そう信じていたのですが、同時に「何の病気かも分からないのに、本当にこれで良いのだろうか」という漠然とした不安も抱えていました。
2023年7月16日:忍び寄る「異変」、進行する麻痺、そして診断は確信へ
IVIGは連日続けられました。医療記録によると、この日からは献血ベニロン-Iが6瓶点滴されたとあります。しかし、期待していたような改善は感じられませんでした。むしろ、病状はさらに悪化の一途を辿っていました。ドクターの記録によると、この日には四肢の筋力がMMT1/5程度まで低下していたとのこと。これは、かろうじて筋肉の収縮が見られるものの、関節を動かす力はほとんどないという、非常に深刻な状態を意味します。トイレへは、危ないからと車椅子で連れて行ってもらった記憶があります。
この頃には、医師からギラン・バレー症候群である可能性が濃厚であると説明を受け、診断への確信が深まっていったのでしょう。治療しているのに、なぜ悪くなるのだろうという不安が、私の心の中でより一層大きくなっていきました。
2023年7月17日:呼吸の危機、HCU転入、そしてICUへ
この日、私の病状は急速に悪化しました。特に、唾液すら自分で飲み込めなくなるという嚥下障害が顕著になり、それに伴い呼吸が苦しくなり始めました。自力で息をすること自体が困難になっていく感覚は、想像を絶するものでした。
看護師さんの話によると、この時、私の酸素飽和度が70%まで低下していたそうです。この数値は非常に危険なレベルであり、一般病棟の看護師さんたちが慌ててICUやHCUに助けを求めたと、後になって聞きました。
まるで溺れているような苦しさで、その感覚だけは今でもはっきり覚えています。
そして、私はまずHCU(高度治療室)へと転入することになりました。そこで下された決断は、気管内挿管。呼吸を助けるために、喉にチューブを入れるというものでした。しかし、このHCU転入から気管内挿管、そしてその後ICU(集中治療室)へと転入するまでの記憶は、あまりにも壮絶過ぎたのか、ほとんどありません。まるで記憶から消し去ろうとしているかのように、断片的で曖昧なことしか思い出せないのです。
それは、私の人生で最も恐ろしい経験の一つでした。
2023年7月18日〜7月19日:生死をさまようICUでの日々、IVIGの終了
気管内挿管の後も、私の容態は予断を許さない状況が続いたのでしょう。より厳重な管理が必要と判断され、私はICU(集中治療室)へと転入しました。
ICUの記憶も断片的です。
機械の音やアラーム、多数の管につながれ、常に監視され、身動きが取れなかったことは覚えていますが、当時の意識の状態や精神的な苦痛については、ほとんど記憶がありません。
ICUに入って3日目頃には、リハビリが開始されたことだけは、かすかに覚えています。しかし、その時の具体的な気持ちなどは、残念ながら全く思い出せません。
この期間もIVIGは継続されており、私は身体が全く動かせず、人工呼吸器につながれてただ息をしているだけ。これは夢なのか、それとも現実なのか、区別がつかなくなっていきました。この日も献血ベニロン-Iが6瓶点滴されたはずです。
そして7月19日、5日間にわたる免疫グロブリン静注療法(IVIG)が終了しました。しかし、治療の効果はすぐに現れるわけではありません。この時点での症状がピークだったのか、それともまだ悪化が続くのか、回復の兆しが見えるのかどうか、私自身には全く分かりませんでした。ただ、この壮絶な闘いがいつまで続くのかという不安だけが、漠然と胸の中にありました。
この日から、私のギラン・バレー症候群との本当の闘いが、ICUの中で本格的に始まったのでした。
2023年7月26日:HCUへの転入
ICUでの集中治療が続き、私の容態は少しずつ安定していったのでしょう。7月26日、私はICUからHCU(高度治療室)へと戻る(転入する)ことになりました。
次回予告
今回の日記は、IVIG治療が実施された期間に絞りました。
それはまた次の段階の話になりますが、次回は、ICUでの記憶が曖昧な日々と、その後HCUへと移ってからのわずかな光と回復への道のりについてお話ししたいと思います。
