ギラン・バレー症候群 闘病記⑥〜回復期リハビリテーション病院での新たな挑戦〜
こんにちは、烏骨鶏です。前回は、セカンドオピオニン目的での大学病院での日々を綴りました。
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今回は、回復期リハビリテーション病院に転院した2023年11月16日から、お正月を終える2024年1月3日までの期間、私にとって回復への第一歩を歩み始めた大切な時間を振り返ります。
リハビリ病院へ転院した日、私は身体がほとんど動かせない状態でした。1階の入り口で看護師さんに車椅子を押してもらったのですが、そのスピードが思っていたよりも速く、足がうまく上がらずに床に引っ掛けてしまいました。筋力低下に加え、車椅子に乗ること自体にも慣れていなかったからです。
病棟に着いてすぐ、主治医の診察を受け、手足の動きをチェックされました。その後、妻が主治医から「一生車椅子生活になるかもしれない」と告げられ、ひどく動揺していたと後から聞きました。病室は、ナースステーションのすぐそばにある大部屋でした。重症度が高かったため、いつでも目が届くように配慮されていたのだと思います。
実は、前の病院(HCU病棟)にいた頃、私はテレビで放送されていた「グレートレース 復活!ワールド決戦~ウルトラトレイルマウントフジ2023~」という番組を観ていました。
その番組に登場していたのが、友人Bさんでした。山梨県の山中で動けなくなったトレイルランナーを助けている姿をテレビで観て、思わず涙が出ました。
届かなかったメッセージ、そして電話
そんな入院生活が始まって数日後の2023年11月18日、私は約3ヶ月ぶりにスマホを手にしました。画面には、私が倒れてからアクセスできなかった数々のメッセージが溜まっていました。その中の一通、8月15日付の友人からのメッセージが目に留まりました。
烏骨鶏さん、あれから1ヶ月が過ぎましたが、烏骨鶏さんのことを考えない(心配しない)日がありません。きっと連絡が取れない状況かと思いますが、こちらでできることあれば、奥様経由でもいいのでお申し付けください。これからも治療やリハビリが続くと思いますが、応援しているので!
このメッセージを読んだ瞬間、胸が熱くなりました。連絡が取れない状況でも、ずっと私を心配してくれていた。その温かい想いに、言葉が出ませんでした。私は、何も文字を打つことができず、ただ病院の窓から見えた「病院外の景色」の写真を送りました。
するとすぐに、友人から返信が届きました。
涙が出た!!! 毎日烏骨鶏さんのことを心配していた!
そして、メッセージの直後、電話がかかってきました。久しぶりに聞く友人の声でした。通話が終わった後に届いた、友人のメッセージは、私にとって大きな宝物になりました。
ただいま。回復中ということで本当にホッとしました。応援しているから、リハビリ頑張ってください。
このやり取りは、私の身体が回復に向かっていると同時に、人とのつながりも少しずつ戻ってきていることを実感させてくれました。
入院生活の中心、1日3時間のリハビリ
入院生活の中心は、1日合計180分、つまり3時間のリハビリでした。土日祝日も休みなく、理学療法士さんや作業療法士さんが毎日ついてくださいました。地道な訓練が続く日々でしたが、私はそれでも毎日のリハビリを楽しんで取り組めました。
2023年11月19日(日) の理学療法リハビリでは、歩行練習ロボットに乗りました。入院したばかりで、まだ身体が思うように動かなかったため、軽く乗る程度でしたが、大きなロボットに固定されて足を前に出す感覚を覚えています。

2023年12月1日(金) の作業療法リハビリでは、指がほとんど動かない代わりに、口でペンを加えてタブレット端末を操作する練習をしました。

当時の私は、末梢神経の軸索の障害のため、回復には時間がかかると分かっていました。入院から2ヶ月ほどは思うようにいかず、半分諦めて開き直っていたのかもしれません。理学療法士さんは立ち座りという地味なトレーニング中心、作業療法士さんの当初の手のトレーニングは、記憶に残らないほど微々たるものでした。車椅子を足で漕ごうとしても筋力がなく、進むのに苦労したことだけははっきりと覚えています。
そんな中、気分転換になったのが、2023年12月13日(水) の理学療法リハビリでした。理学療法士さんに車椅子を押してもらい、病院近所の神社へ連れて行ってもらいました。久々に病院の外に出て、新鮮な空気を吸い、鳥居をくぐったときの気持ちは忘れられません。
また、面会時間の制限も大きな壁でした。面会は平日の15分間のみで、電話予約というアナログな対応。そのため、妻との面会もほとんどなくなってしまいました。金銭的な面でも、大きな負担がありました。高額療養費の限度額申請をしていても、二つの病院で合わせて傷病手当金を超える支払いが発生しました。ギラン・バレー症候群は指定難病から外されたため、医療費は3割負担でした。一時的に高額な支払いをしなければならないことは、妻の精神面に大きな不安を与えたと思います。
友人のお見舞いと季節の移り変わり
2023年12月27日には、友人Bさんが、翌日28日には、友人Mさん、Yさん、Iさんもお見舞いに来てくれました。皆さんと直接会うことができて本当に嬉しかったです。

大晦日の2023年12月31日には、年越しそばが食事に出ました。そして、2024年1月1日には、おせち料理。普段は病院食ですが、お正月期間は特別で、料理が美味しかったのを覚えています。入院中でも季節を感じられるのは、ささやかな喜びでした。


入院時の状態を記した「退院時要約」
このような状況で、入院当初の私の身体は、ほとんど動かせない状態でした。それは、主治医から受け取った「退院時要約」にも記されていました。この要約には、入院時の血液検査の数値についても言及されていました。
(生活歴) アレルギー (なし、COVID-19 ワクチン 3回目摂取時 (モデルナ製)3か月下垂足)、利き手:右(強制なし)、身長173cm (Ideal BW 65.8kg、発症前体重71kg)
(身体所見) 吸気にて肋骨挙上ほぼ認めず、意識:清明、Speech: 明瞭で内容も正常、顔面神経 (VII): symmetric. full、提舌正中突出可、Motor:両上肢MMT1/5(右第1指の軽度屈曲可、その他は共同運動で筋収縮あり)、
両下肢 MMT3/5(両足関節 MMT2/5、背屈はわずかに可)、Tonus: 両上肢は弛緩性、両下肢ほぼ正常、sensory:祖触覚左右差なし、振動覚低下なし、右第2、3足趾のみ同定不可、吸気時肋骨の教示に乏しい印象、 肢反射消失
(入院経過) #2 入院時 CPK385U/Lと高値。MM 分画が主体。抗核抗体、抗Jo-1抗体は陰性。
【補足説明】
CPK: 筋肉の細胞が壊れると血液中に流れ出す酵素で、筋肉の炎症や破壊の程度を知る指標となります。入院時は385U/Lという高い値でした。
MM分画が主体: CPKの中でも、筋肉に由来する「MM分画」がほとんどでした。
抗核抗体、抗Jo-1抗体: 筋肉の炎症を引き起こす自己免疫疾患の可能性を調べるための検査です。私の場合は陰性でした。
MMT1/5: 徒手筋力テストの略で、筋力を6段階で評価します。1/5は「ごくわずかな筋収縮は認められるが、関節は動かない」状態。両腕は、かろうじて筋肉が動いているのが分かる程度でした。
MMT3/5: 「重力に抗して関節を動かすことはできるが、抵抗には抗せない」状態。両足は自力で持ち上げられましたが、少しでも押されると力がなくなってしまう状態でした。
肢反射消失: 腕や足の反射(ハンマーで叩いたときに足が跳ね上がるような動き)が全くありませんでした。
吸気にて肋骨挙上ほぼ認めず: 息を吸い込んだ時に、肋骨がほとんど上がらない状態でした。これは呼吸に必要な筋肉が弱っていることを示します。
小さな変化が希望を運ぶ
このような状況から、リハビリは始まりました。しかし、口にくわえたタッチペンでタブレットを操作したり、友人からのメッセージに返信したりと、ほんの少しずつですが、自分の意志で動かせる部分が増えていきました。
物理的な回復と並行して、友人とのやり取りやお見舞いも再開しました。それは、身体を動かす原動力となり、次のステップへ進む勇気を与えてくれました。
次回は、2024年1月から2024年4月中旬に退院するまでの約3か月半の間を綴ります。
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