ギラン・バレー症候群 闘病記⑦〜回復期リハビリテーション病院での後半戦〜
こんにちは、烏骨鶏です。前回は、回復期リハビリテーション病院での前半の日々を綴りました。
前回記事はこちら
約5か月にわたった回復期リハビリテーション病院での入院生活もいよいよ後半戦。今回の記事では、2024年1月から2024年4月中旬に退院するまでの約3か月半の間を振り返り、日々のリハビリの様子や入院生活で起こった出来事、そして退院時の身体機能について、これまでの記録とともにお伝えしたいと思います。
入院経過:退院時要約から振り返る回復の道のり
リハビリ病院の後半戦、約3ヶ月半の間の入院生活と、その成果をまとめた「退院時要約」の入院経過から整理してお話します。
退院時要約は、医療関係者の間で情報共有するために作成される、病気や治療の経過、退院時の状態などをまとめた重要な書類です。今回は、これをできるだけ元の形を崩さずに、医療関係者ではない方にも分かりやすく解説しながらご紹介したいと思います。
2023年11月中旬の入院当初は、両腕は肩関節以外ほとんど動かすことができず、機能が全廃している状態でした。両足もMMT3/5程度の運動は可能でしたが、体幹の筋力低下もひどく、自力で立つことや安定して立つこと、車椅子からベッドへ移る動作などには、重度の介助が必要でした。
リハビリを重ねるにつれて、バランス、起立、移乗、移動能力はゆっくりとですが改善していきました。2024年4月中旬の退院時には、両側に短下肢装具(足首を固定する装具)を装着すれば、屋内を歩くことができるまでになりました。


リハビリ:身体機能の回復と新たな挑戦
回復期リハビリテーション病院でのリハビリは、作業療法と理学療法を中心に進められました。
作業療法士とのリハビリ
年が明け、リハビリの一環として、病院が一時的に導入した高価なロボットアームを使いました。この機器は麻痺した腕の動きを補助するものでしたが、思うように使いこなすことができませんでした。
フォークを使って食べる練習を試みましたが、ロボットアームの補助があっても操作は難しく、現実を突きつけられるような思いでした。そのショックで、珍しく落ち込んでしまう時期もありました。
しかし、その後の地道なリハビリと自身の自然回復によって、徐々に両腕の動きが見えるようになりました。両肩や両肘を自分の意思で動かせるようになり、完全にではありませんが両手や指も曲げられるようになったのです。
日常生活での変化
回復が進むにつれて、日常生活でもできることが増えました。両手首を甲側に反らす動き(背屈)はまだできませんでしたが、手を口元まで動かせるようになったことで、自助具(車椅子用のグローブや万能カフ)を使えば、食事を摂ることが可能になりました。
また、入院の早い時期から、口にくわえたタッチペンでタブレットを操作することはできていたので、以前から試行錯誤を続けていました。


電動アシスト歯ブラシとジェル歯磨き粉を使うことで歯磨きもできるようになり、日常生活のQOL(生活の質)が少しずつ向上していくのを実感しました。

トイレの動作も、入院時から使用していたユニクロのエアリズムの布パンツを履くのに苦労したり、立ち小便ができず座って用を足したりと、スムーズにはいきませんでした。退院間近の3月頃にようやく自分で紙で拭くことができるようになったことは、大きな一歩でした。
理学療法士とのリハビリ
理学療法では、立ち座りや、立ち上がった際のバランスに問題がありました。
まるで『アルプスの少女ハイジ』のクララのように、立つ・歩くというのは想像以上に大変なことです。クララの病気はビタミンD不足による「くる病」だったと言われていますが、私の場合も、一度失われた身体機能を回復させることの難しさを痛感しました。
車椅子から勢いをつけて立ち上がっていた日々でしたが、約145日間にわたるリハビリの結果、退院時にはゲイトソリューションという装具を使って数百メートル歩けるまでに回復しました。しかし、階段の昇降は退院までにクリアできませんでした。


Berg Balance Scale (BBS) というバランス能力を評価するテストでは、2024年2月には10点だったのが、3月には30/56点にまで向上しました。
入院生活:人と人との関わりと、忘れられない出来事
食事の介助をしてくれる医療スタッフの方々とは、小さな声で話すことができました。これまでの病院と同様に、スタッフの方々はいつも優しく接してくれました。
しかし、病室では他の患者さんとの衝突もありました。特に70代で認知症の傾向があった2名の患者さんとは口論になることも。元気な方だったので扱いに困ることもありましたが、医療スタッフの方々にはいつも助けられました。
また、忘れられない恐怖体験もしました。同じ部屋の隣のベッドの80代の患者さんが、入院から5日ほどで亡くなったのです。数日前まで奥様と電話でお話をしていたのに。夜中の12時過ぎに目が覚めると、隣で医療ドラマさながらの心肺蘇生が行われていました。胸部圧迫の音が聞こえ、恐怖でほとんど眠れませんでした。優しい介護助手の方が気遣って、コロナ検査の個室に誘導してくれましたが、興奮してほとんど寝ることができませんでした。寝不足なのに早朝には元の部屋に戻されました。
リハビリ病院なので処置する病室もありませんでした。夜中の見守り時に既に亡くなっていたそうですが、ご家族が来るまでは蘇生を続けるそうです。このリハビリ病院で亡くなった方は5年ぶりだったそうです。普通は、悪くなる前に近くの大学病院や救急病院に搬送されるのです。
退院前には、大部屋のナースステーションから離れた部屋に移り、同室の方と交流する機会も増えました。また、テレビのリモコンのボタンも少し操作できるようになりました。
CPK値の変動
入院中にCPK(クレアチンキナーゼ)という酵素の値が変動しました。
CPK385U/Lと高値:入院時には385U/Lという高い値を示しました。CPKは、筋肉の細胞が壊れると血液中に流れ出す酵素で、筋肉の炎症や破壊の程度を知る指標となります。
MM分画が主体:CPKの中でも、筋肉に由来するMM分画がほとんどでした。
抗核抗体、抗Jo-1抗体は陰性:筋肉の炎症を引き起こす自己免疫疾患の可能性を調べるための検査は陰性でした。
2024年2月9日:726U/Lで最高値 2月27日:580U/L 3月12日:503U/L 4月8日:940U/L(最高値)
最終的には940U/Lという最高値を記録しましたが、転院先の病院に報告し、経過観察や必要に応じた処方変更をお願いすることになりました。
退院時の身体能力評価
最後に、退院時の身体能力の評価についてです。
10m歩行:14.04秒で25歩 6分間歩行:270m
FIM(機能的自立度評価表)は、食事や着替えなど、日常生活動作の自立度を点数で評価するものです。点数が高いほど自立度が高いことを意味します。私の場合は、入院時に60点だったのが、退院時には80点にまで改善しました。
入院時:60点(運動25点、認知35点)
退院時:80点(運動45点、認知35点)
この20点の改善は、私の回復を明確に示しています。特に、食事の自立度が「最小介助」にまで改善したことは、大きな自信につながりました。
FIMの内訳(退院時) 食事:最小介助(少し手伝ってもらえば自分でできます) 整容:中等度介助(半分の動作は手伝いが必要です) 清拭、更衣(上半身・下半身):全介助(すべて手伝いが必要です) トイレ動作:全介助 排尿・排便管理:完全自立 移乗(ベッド、車椅子、椅子):修正自立(補助具を使ったり、少し手伝ってもらえば自分でできます) 移乗(トイレ):監視(そばで見守ってもらう必要があります) 移乗(浴槽):全介助 歩行:最小介助(両側短下肢装具を着用して、少し手伝ってもらえれば歩けます) 階段:中等度介助
リハビリ病院での約5ヶ月間は、文字通り「回復」のための期間でした。失われた身体機能が少しずつ戻ってくるのを実感し、特にFIMの点数が上がったことは、大きな自信につながりました。
また、2023年12月に申請していた身体障害者手帳ですが、2024年2月から医療費が無料になりました。身体障害者1級で、上肢1級、下肢2級でした。
ギラン・バレー症候群発症後、失われた身体機能は奇跡的に回復し、リハビリ病院の主治医の予想を裏切ることができました。退院後2年以上経った今、この日記を振り返って書いていますが、スマホやPCのタイピングには支障がなくなっています。キーボードを3つ同時に押したり、マウスの繊細な動きはまだ苦手ですが、本当に嬉しいことです。
次回の記事では、2024年4月中旬から2024年7月末にまでの療養型病院(障害者施設等一般病棟)での約3か月半の間を振り返り、日々のリハビリの様子や入院生活で起こった出来事、在宅復帰を経て、2024年11月1日に仕事に戻るまでの約8ヶ月間の道のりをつづります。引き続き、私の回復の記録を見守っていただけると嬉しいです。
次回記事はこちら

