「女性は専業主婦になりたい」への違和感。自信のない私を動かす、厄介な仕事とプライド
以前、「専業主婦は務まらない。終わりのないタスクから『仕事』へ逃げる私の矛盾」という記事を書きました。
正解も評価もなく、誰にも褒められない家庭という密室のプレッシャー。
そこから逃れるために、私は適度な距離感と評価が用意されている「仕事」を免罪符にしているのだ、と綴りました。
実際、「仕事なんてしたくない」「いっそ、ぶら下がり社員になりたい」と何度もぼやいていました。
夫から「なんだかんだ言って、仕事好きだよね」と指摘されても、「こんなにストレスだらけなのに、そんなわけない」と思い込んでいたのです。
終わらないタスクや判断の連続。自分の至らなさへの直面。
子どもの前でも仕事のことが頭から離れず、眠れなくなる夜もありました。
私のような人間には、抱えきれないほどのストレスでした。
だから、好きでやっているわけじゃない、と。
■ 「女性」という、大きすぎる主語への違和感
私は今、2人目育休中の身です。
誤解のないように言っておくと、猛烈に仕事が恋しくなっているわけではありません。
夫婦で育休を取り、心穏やかに過ごせている今、娘の笑顔も増えたような気さえしています。
子どもとの有意義な時間が増えて、仕事のストレスやプレッシャーのないこの日々が、ずっと続いてほしいのもまた本心です。
それでも、SNSでたびたび目にする
「共働きじゃないと生活できないから、現代の女性は仕方なく働いている」
「男が大黒柱になれない今の世の中が悪い」
「女性でも男性でも本当は仕事なんかしたくないに決まっている」
といった言葉には、ふと強い違和感を覚えました。
もちろん、子どもとの時間を第一に考えたいという思いや、家庭を優先する生き方を否定するつもりはまったくありません。
ただ、「女性はみんな、本当は専業主婦になりたい(お金のために仕方なく働いている)」という大きすぎる主語でひと括りにされると、どうにもモヤモヤしてしまうのです。
自分自身の心に問いかけてみると、「いや、私にはあの仕事に対するそれなりのプライドがあったはずだ」と、静かに反発する自分がいました。
■ 自信のない私が、ドーパミンを感じる瞬間
私は決して、自信に満ちた「仕事ができる人間」ではありません。
むしろ、「あんなメールでよかったのか」「あの質問にはもっとこう答えればよかった」「私はどう思われているんだろう」と、日々うじうじと反省しては落ち込んでばかりです。
仮に、家事も育児もすべて家政婦さんやシッターさんが担ってくれて、お金も十分にあり余っていたとして。
「それなら仕事をしないよね?」と問われても、いまの働き方や仕事と全く同じかどうかは別に、きっと私は、仕事を続けると思います。
(自分が無趣味でなんの特技もない人間だから、仕事くらいしかやることがないだけかもしれませんが…)
そして、単調でラクな仕事よりも、多少のストレスがあっても難易度が高く、やりがいや達成感を得られる環境を自ら選んでしまうはずです。
常にうじうじと悩み、胃を痛めながらも、振り返ってみれば私にとって仕事は、アドレナリンとドーパミンが出る瞬間の連続でもあったのだろうなと思います。
「厳しい」と社内外で言われている顧客の前で堂々と資料を説明し、鋭い質問にもしっかりと受け応えができたとき。
「面倒」で有名な顧客から「まさにこういう資料が欲しかったんだよ」と評価を得たとき。
エースである顧客の担当者と伴走し、相手方の役員層へアプローチして、大きな予算や提案が通ったとき。
私のちょっとしたアドバイスで、若手が「そういうやり方があったんですね」と、パッと視界が開けたような表情を見せてくれたとき。
自分の至らなさに落ち込みながらも、私はこの「自分の世界が少しずつ広がっていく感覚」や「難題をクリアしていく確かな手応え」を、手放したくないのだと思います。
■ 仕事の向き合い方への苛つきと、隠れた執着
仕事でのストレスや、周囲へのイライラの正体も、今なら少しわかります。
「相手や次工程のやりやすさを、なぜもっと考えられないのか」
「こんな粗末なアウトプットで恥ずかしくないのか」
「小手先の処理だけじゃなく、理由や背景から教えて若手を育てようと思わないのか」
こんなに自信がなくて悩むくせに、他者の仕事ぶりに腹を立ててしまうのは、私の中に「自分なりにここまではやりきりたい」「チームとしてこうありたい」という思いが、人一倍強かったからなのだと思います。
自分にはずっと自信がないけれど、マイナス思考な私へのお世辞かもしれないけれど、周りからは「優秀なんだから大丈夫」「管理職に向いているよ」と上司や先輩たちから声をかけてもらうこともあります。
そう言ってもらえるのは、良くも悪くも私の中に「妥協したくない」という厄介な執着があるからなのかもしれません。
ただ、その執着があるからこそ、勝手に他人へ期待して勝手にイライラし、最終的には自分で仕事を抱え込んでしまっていたこともよくありました。
■ 働く母として、これからの線引き
私の脳はどこかで仕事をおもしろいと思っているのかもしれません。
そう認めたうえで、2人目の復職後は、この仕事とどう折り合いをつけていくのか。
まずはきちんと時間で区切り、自分の理想とは少し違っていても、こだわりと「あるべきゴール」の線引きをして、(育成目的以外でも)ある程度割り切って人に仕事を任せていくこと。
古きよき大企業である私の会社は、競合他社に比べても営業の事務処理が複雑かつ膨大だと言われています。
けれど復職後は、細かな事務作業はもっと外に出されているはずですし、生成AIもさらに業務活用できるようになっているはずです。
だからこそ、自分自身も今まで以上に事務職の方やAIと仕事をする勘所を磨き、本質的で付加価値の高い仕事に集中しなくてはなりません。
そしてなにより、今は子育てを優先する時期だと、自分の中でしっかりと割り切ることも必要です。
明確な優先順位と線引きを持ち、周囲の理解も得ながら、サラリーマンとして、母として、社会の一員として職務を全うしていきたいと思っています。
もちろん、現実はそう甘くはありません。
きれいごとだけでは回らないし、ときには息抜きすることも大事だと身をもって感じています。
それでも、子どもには、社会に貢献するためにはつらつと働く母の姿を見せたい、そう思わずにはいられません。
