子ども好きの私。出産直後、そんなに「キラキラした言葉」は浮かばなかった
私はもともと、子どもが大好きな人間でした。
中学生の頃は、自分で電話をかけて保育園へ何度もボランティアに行っていたほど。
子どもは絶対に欲しいし、条件さえ整えば4人くらい欲しいけれど、現実的には2人かな……なんて、ずっと夢見ていました。
SNSで流れてくる知らない赤ちゃん動画を見てはニヤニヤと癒されていました。
外出先でも赤ちゃんを見かけると可愛くて目が釘付けとなり、夫に「ねえ、話聞いてないでしょ笑」とよく呆れられていました。
キラキラした言葉より、重厚なプレッシャー
4年前、そんな私にも待望の第1子(娘)が生まれました。
何より無事に生まれてきてくれたことへの安堵、そして親や夫をはじめ、支えてくれたたくさんの方々への感謝の気持ちでいっぱいでした。
でも、SNSでよく見る、芸能人のような
「言葉では言い尽くせない命の奇跡に、ただただ涙が溢れました」
「尊い命を前に、母としての深い愛おしさが込み上げています」
といった、高尚で、キラキラした言葉は、私の頭にはすぐには浮かんできませんでした。
そこにあったのは、どちらかというと、**「これからこの尊い命を、どうにか守り抜かないといけない」という重圧感**だった気がします。
自分は本当に母親になったのか夢見心地で、あまり現実感はありませんでした。
「親やきょうだいと比べて、子どもが一番大事!」という感覚も、すぐには湧いてきませんでした。
押し寄せる「怖い」と、ゆっくり育つ愛情
産後の私の頭の中は、感動よりも不安に支配されていたのかもしれません。
ちゃんと育てていけるのか。
SIDS(乳幼児突然死症候群)が怖い。
初めての発熱や熱性痙攣、アレルギーも怖い。
誤飲や窒息も怖い。怪我、事故も。
自閉症や発達障害なんかも、大丈夫だろうか…
そして、思うように動かせない産後の身体。
次から次へと「怖い」や不安が、押し寄せてきます。
もちろん、娘は可愛かったです。
私が赤ちゃんの頃、親もこんな温かい眼差しを向けてくれていたんだな、と気づいて胸が熱くなることもありました。
でも、私が本当に「母親になった」と実感し、ただただ娘が可愛くて心の底から愛していると思えるようになったのは、娘との日々を重ねて、少し時間が経ってからのことでした。
子どもが好きだった自分も、いざ自分が出産した直後は不安とプレッシャーに可愛いと思う余裕を奪われていました。
ちなみに、私は自然分娩。「お腹を痛めて産んでこそ我が子への愛情が湧く」という神話は、やっぱり関係ないなと思います。
あの日の私と、同じように戸惑う誰かへ
昨年、第2子となる息子が誕生しました。
娘のときよりは少しだけ心に余裕が持てて、新生児期をもっと慈しみながら過ごせた気がします。
出産後、助産師さんにも「お姉ちゃんのときはもっとキツい表情をしてたけど、今回は少し柔らかい表情になりましたね」と言われました。
たしかに、そうだったのだと思います。
もし願いが叶うなら…
あの余裕がなくて必死だった娘の「生まれたて」からしばらくの期間を、もう一度やり直したい。
今のこの柔らかい気持ちで、娘の新生児期を過ごしてみたい。
ふと、そんなことを思います。
でも、時間は戻りません。
だからこそ、娘にとっても、息子にとっても、**「今日がいちばん小さい日」**です。
やり直せないからこそ、今日という日のふたりを、嫌というほど可愛がって、めいっぱい愛し抜こうと思います。
そして、最後に。
出産直後、あんな風に、愛に溢れた高尚な言葉たちを心から綴れる人たちは本当にすごいと思います。
でも、我が子がどんなに愛おしくても、目の前の命への責任感や「怖い」という感情のほうが勝ってしまい、きれいな言葉なんて浮かばない人間もいます。
あの日の私のように、感動の言葉が浮かばない自分に戸惑い、「私って愛情が薄いのかな」と密かに落ち込んでいるお母さんが、もしどこかにいるとしたら。
「きれいな言葉がなくても、産んだ直後に泣けなくても、大丈夫。」
愛情は、子どもとの慌ただしい日々のなかで、ゆっくり、でも確実に育っていくものだと思います。
あの日の必死だった私にも、今はそんなふうに声をかけて心にほんの少しゆとりを戻してあげたいです。
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