見出し画像

「大好き」が言えないママでした。娘に教わった、無償の愛についての「勘違い」

無償の愛とは、親から子へ注がれるもの。
ずっと、それが当たり前だと思っていました。

娘が生まれたとき、我が子はもちろん可愛くて、たまらなく愛おしい存在でした。

でも、その感情を「無償の愛」なんていう美しい言葉で噛み締める余裕はなく、ただ目の前の小さな命を守り、日々の生活を回していくことに必死だった気がします。


直球の愛の告白

生後9ヶ月の頃、娘とある親子教室に通い始めました。

そこで何より強調されたのが、「アタッチメント(愛着形成)」の大切さです。

毎日『好き、好き、好きよ、大好きよ、愛してる』を100回言ってください」(好き=1回)

それが、母親である私に課された何よりのミッションでした。

でも、もともと愛情表現が下手な私。

自分の娘相手でさえ気恥ずかしく、「愛してる」なんてとても言えません。

せいぜい「だいじ、だいじ、だいじ」と言いながら抱きしめるのが精一杯でした。

そんな私が変わったのは、娘が言葉を話せるようになってきた頃です。

夜寝る前に、娘が私にギュッとハグをして、ストレートに「大好き」と言ってくれたのです。

娘からの混じりっけのない愛情表現に、私はなんだか自分が恥ずかしくなりました。

同時に、こんなに真っ直ぐに愛を伝えてくれる娘に対して、私もちゃんと応えたい。

そう思い、そこからは私自身も「大好きだよ」と、しっかり言葉にして伝えられるようになりました。

てぃ先生の言葉と「条件付きの愛」

ふたり目の子どもが生まれる前、上の子の「赤ちゃん返り」について調べていたときのことです。

現役保育士であるてぃ先生の、こんな発信を目にしました。

上の子にも『無条件の愛』を伝えてあげてください

そんなことは言われなくても、と思いませんか。

それには耳がいたい続きがあります。

生まれたての赤ちゃんは、そこに存在して、泣いたりお世話を焼かせたりするだけで「かわいいね」と愛され、大人は喜びます。

でも、少し大きくなってくると「上手にお着替えできたね」「これができてえらいね」と、何かを達成したときにだけ喜んでもらえる【条件付きの愛】になりがちだ、と。

だからこそ、何かができたからではなく「ただ存在していること」そのものを愛し、喜んであげてほしいという内容でした。

子どもへの無償の愛なんて、親として当たり前に持っている。

そう思っていた私は、この言葉にハッとしました。

気づかないうちに、私の愛情表現も「条件付き」になっていることが増えていたかもしれない、と反省し、気をつけようと心に誓いました。

理想のママじゃなくても

とはいえ、復職してからの毎日は、ただでさえ余裕がありません。

お迎えが遅くなったり、手の込んだ手料理を出せない日も続く。

一緒にゆっくり遊ぶ時間なんて全然とれなくて、それなのに大人の都合で「早く寝なさい!」と理不尽に怒ってしまう。

理想のママとは程遠い、ふがいない日々。

それなのに。

私がどんなに余裕がなくて、どんなに怒ってしまっても、娘は変わらず「ママ大好き」と抱きついてきてくれます。

「弟くん、うまれてきてくれてありがとう。」

「ママも、うまれてきてくれてありがとう。パパも、うまれてきてくれてありがとう。」

みんなうまれてきてくれてありがとうだね。しあわせ、しあわせ

娘は、そんなふうに言ってくれます。

私がふがいなくても。家事がおろそかでも。自分のイライラを引きずって八つ当たりしてしまっても。私が体調不良で甘えさせてあげられなくても。

子どもは親を信頼し、ただ存在しているだけで、こんなにも真っ直ぐな愛情を与えてくれるのです。

無償の愛は、親から子へ注ぐものだと思っていたけれど、本当は逆でした。

「無償の愛」を与えてくれていたのは、子どもの方だったのです。

娘が今日も私にくれる、無償の愛に溢れた「大好き」という言葉。

その大きくて温かい心に恥じないように、これからもまた、たくさんの愛を伝えようと思います。


いいなと思ったら応援しよう!