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【飯短歌】喜怒哀楽をごはんとともに

飯短歌~飯の短歌を振り返る~ 喜怒哀楽をごはんとともに


 

 こんばんは。梅ヶ香堂です。
 今回は、「#創作大賞2025」への参加記事です!

 今年の創作大賞では、「#レシピ部門」が「#フード部門」に変更され、レシピだけでなく、フードエッセイなども募集される……とのことだったので、私の「食事をテーマにした短歌」10首余をまとめてみました。

 普段「日常と性癖の短歌」をテーマに活動しておいて今更という感じもありますが、「食事」という題材は書く人間の生活態度がバレるので、若干の気恥ずかしさを覚えます。

 まあそれはそうとして、せっかくなので、それぞれの歌をどういうシチュエーションで詠んだのか振り返る注釈もつけてみました。
 「日常と性癖の短歌」を楽しんでいただければ幸いです。よろしくお願いします。




カチカチのフォカッチャ食べた月曜の朝のことすら愛おしかった

 初めて「文学フリマ東京」に参加した時の歌です。
 楽しいイベントを満喫した翌朝、電子レンジで朝食のパンを温めたら、あり得ないほど固くなってしまったという思い出の短歌です。なんでオーブントースターじゃなくて電子レンジで温めたんだという感じですが、泊まったホテルに電子レンジしか無かったからです。いけると思ってしまったんです。
 カチカチのパンを食べるというガチの失敗、それすら愛おしいと思えたってこと……なんだろうけど、今思うと極めて個人的な、謎シチュエーションの短歌です。でも大切な思い出です。


「晩ごはん何食べるん?」への回答は電子レンジのチンじゃとけない

 何気ない「今日は晩ごはん何食べるん?」という雑談で、返事に困ったという歌です。まだ「丁寧な暮らしをしている自炊キャラ」でいたかった頃の歌です。そんなもん、どうあがいても冷凍食品に決まっているのに、かっこつけようとしていた若さを感じられます。
 あと、「回答」に電子レンジの「解凍」がかかっているのがこだわりポイントです。やかましいわ。


じゃがいもの芽くらいのさり気なさでいて少し警戒されてたい生

 じゃがいもの芽には天然毒素が含まれているので、食べる前には取り除かなければなりません。じゃがいもは、これほどまでに広く流通し、多くの料理に使われる万能野菜であるのに、調理時に注意が必要なのです。私はじゃがいものそういう在りようが好きで、よく歌に詠みます。
 いつも誰とでもうまくやれるけれど、警戒すべき毒がある、そういう存在ってシビれませんか?


月曜の23時に丁度いい激安茶葉で淹れた2杯目

 月曜の23時って「もう寝ないといけないけれど、まだ起きていることもできる」絶妙な時間だと思います。そんな時間に飲む水分は、アルコールでなく、カフェインでもなく、高級すぎず、飲んで罪悪感がなく、ほどよく落ち着くものがいいです。(要求過多?)
 というわけで、スーパーで売られている激安ほうじ茶ティーバッグで淹れた、少し薄い2杯目がベストだと思うのです。


バキバキのチョコをくるんでパイを焼く明日はましな人生になれ

 バキバキに割れてしまった板チョコを、冷凍パイシートで包んで、焼いて、チョコパイにしてしまう。溶かしてしまえば元の形など気になりません。昔は些細な失敗をするたびに「この世の終わり」を感じていましたが、最近では、大抵の絶望は、絶望に値しないのだと思えるようになりました。
 年を取ると繊細さを失くしてしまいます。それを必ずしも悪いことだと思えない程度には。


脳天を貫くような酒気でした ねえかっこいい大人ってなに?

憧れて買ったお酒がひっそりとカレーの隠し味になる夜

 この短歌は、「にじさんじ」に所属するVTuberグループ「ROF-MAO」さんのバラエティ番組「木10!ろふまお塾」に影響を受けて詠んだ歌です。
 【ガチ泥酔】剣持刀也持ち込み企画!オトナたちが徐々に酔っ払っていく姿を観察したい!(2022年9月15日放送)
 憧れて買ったカバラン(※加賀美さんのものより低いグレードですが)は、結局今もまだ、うちのキッチンの隅に潜んでいます。今度はお菓子の隠し味にしようかと画策しています。こういうの、オタクあるあるですよね?


誰ひとり同じ顔などない雑煮 同じ名前で呼ばれていても

 こちらもVtuberさんの配信から着想を得ました。
 「にじさんじ」所属のVtuber、四季凪アキラさんが配信されたお正月企画に影響を受けて詠んだ歌です。
 「リスナーの『お雑煮』を無限に見るだけの時間【四季凪アキラ/VOLTACTION/にじさんじ】」(2025年1月14日配信)
 お雑煮は、「お雑煮」という同じ名前で呼ばれているけれど、地域や家庭によって見た目や味が全く異なります。
 それって、彼の配信に参加している「リスナー」も同じなのでは、とふと思ったので詠んでみました。「雑煮」をあえて人のように形容しているのはそのためです。それぞれのリスナーにそれぞれのお雑煮があり、生活があるのに、四季凪さんの配信という場で同じ体験を共有しているのが面白いな……。と思いました。


まねしたらあかんねんでと母の声 フィルムの上でハムを切るとき

 私が母から学んだことの1つに「薄切りロースハムを切る時、包装の透明フィルムの上で切る」というものがあります。ハムを切る程度のことでまな板を洗うのは面倒なので、包装フィルムの上で切ってしまう……ということです。
 このズボラ調理技術を私の前で披露する時、母は決まって「まねしたらあかんねんで」「ろくなこと教えてへんよね」と少し悲しそうにしていたのですが、こういうしょうもない日常の方が、案外大切な記憶だったりしませんか?

 

2億回クソがと叫んで飯を食う そういう夜にも飯を食うのだ

 2億回「クソが」と叫びたくなるような夜には野菜炒めを作りましょう。野菜炒めの正解は、唯一解ではありません。人間が野菜炒めを作れば、それはどうあれ正解になります。
 若干の達成感を覚えたら、食べて寝ましょう。それでいいはずです。


2日分飯を作れば2日分食べれてお得!(1回で食う)

 実は、これと上記「2億回~」以外にも、「2」のつく飯の短歌をいくつか詠んでいます。私にとって、食事における「2」はある意味特別な数字なのかも。
 それはそうとして、こういうしょうもない歌がどうしようもなく好きなんですよね。


ささくれを食いちぎる血の味がする 生きてることをやめてやらない

 指先にできたささくれが鬱陶しくて、つい嚙みちぎってみたら、思っていたより血が出て焦った時の歌です。
 私は、食事は生きるための行為、自傷もまた生きるための行為だと認識しています。ということは、「ささくれを食いちぎる」行為は、生きるの二乗。つまり生きるエネルギーがみなぎっているってことなのかもしれません。
 ということに、歌にしてから気づきました。意外にも、短歌にしてから自分の感情に気づくことがよくあります。ささくれを食いちぎる私は、どうしようもなく生きていました。



 というわけで、私の「飯短歌」を振り返ってみました。

 普段は「日常と性癖の短歌」をテーマに、食事以外の短歌もマイペースに詠んでいます。食う以外の生活もしているのでよろしくお願いします。

 


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