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【兵庫】日本三大仏の三番目? | 兵庫大仏(能福寺) | 兵庫県神戸市


<能福寺と兵庫大仏>

能福寺は、平清盛が出家した寺で、没後にその亡骸が葬られたとも伝えられる、由緒ある寺です。とはいえ、実際に訪れてみると住宅地の中にあり、境内は広くなく、観光客も多くはありません。

また、境内に鎮座する兵庫大仏は、奈良鎌倉と並んで日本三大仏に数えられることもありますが、知名度は決して高くありません。
そもそも三大仏として奈良、鎌倉は誰も異論をとなえないと思いますが、三番目については高岡大仏岐阜大仏が挙げられることもあり、その点でも兵庫大仏は「ローカルな存在」という印象を受けます。
ローカルといえば、境内にある平相國廟の説明板には、能福寺二十四世貫主による「日本の国土と民衆を、兵庫県民を、神戸市民を守護したまえ」との言葉が記されており、この寺の地元愛の強さを感じさせます。

現在ではかなり世の平準化の波に飲まれてしまっていますが、私が住んでいる愛知県もローカル志向が強く、
明大より名大
フラペチーノよりシロノワール
スカイツリーよりテレビ塔
といった具合で、こうした「オラが村」の心意気にはとても共感できます。


能福寺は805年に最澄によって開創された古い寺ですが、兵庫大仏の建立は明治時代で、それほど古いものではありません。太平洋戦争末期には金属供出により一度姿を消しており、現在の像は平成三年に再建されたものです。長い時間を経て復活した大仏には、町の人たちの思いが込められているように感じられます。

高さは約11メートル。あらためて向き合うと、その形は落ち着いており、静かな佇まいが印象的です。

能福寺の兵庫大仏は、にぎやかな観光地の大仏とは異なり、知名度や規模よりも、土地と歴史に寄り添う存在としての重みを感じさせます。


能福寺の境内に入った瞬間、石畳の参道の奥に巨大な仏像がまっすぐ見える構図になっています。



<兵庫大仏>

空は広く、境内は開放的ですが、人の気配は控えめです。

戦時中の金属供出では、大仏本体は金属製であったため回収されましたが、台座は石造であったため対象外となり、そのまま残されたとされています。
兵庫大仏が再建されたのは平成3年(1991年)なので、金属供出から50年近くの間、この場所には台座だけが残っていたことになります。
実際どうだったのか知りませんが、それはそれで、ちょっとシュールな風景だったんでしょうね。


奈良や鎌倉のような主役というより、表情の強さもあって、番人のような印象です。


台座下が建造物になっており、なにやら入口が見えました。
もしかしたら胎内めぐりができるかも」と少し期待しましたが…。


当然ながら、ドアは固く閉ざされていました。
ドアの上には「Mahavairocana Hall」と書かれており、「日本語で書いてよ~」と思いつつ調べてみると、どうやら永代祠堂のようです。

内部には、国の重要文化財に指定されている「木造十一面観世音菩薩立像」が安置されているとのことです。
ただし、一般公開はされておらず、この納骨堂に納骨していたとしても自由に拝観できるわけではなく、毎年1月18日の「初観音会」など、限られた日にのみ拝観できるようです。


<名もなき?石仏>

こちら境内に置かれている、そこそこ大きな石仏です。
少し特殊な造形に目を引かれ、由来も確認しないまま夢中で写真を撮っていました。
帰宅後にあらためて調べてみましたが、これだけ目立つ石仏でありながら、寺の公式サイトには特に記載は見当たりませんでした。
隣に立つ「天真独朗」と刻まれた石柱が手がかりになるかと思いましたが、「作為や迷いを離れ、澄みきった心で生きる」という意味を持つ言葉で、悟りの境地を示す表現にすぎず、石仏の由来を示すものではありませんでした。

なんとなく「サザエさんみたいだな」と思ってからは、サザエさんにしか見えなくなってしまいました

<平相国廟>

平清盛の死去にともない、その遺骨をもって能福寺の寺領内に墓所として「平相国廟」が設けられたと伝えられています。しかしその後、平家滅亡とともに福原の町ごと廟は破壊されてしまったそうです。
現在の平相国廟は、昭和55年に執り行われた平清盛公八百回大遠忌を機に、あらためて整備・再建されたものです。

説明板
平相國廟の説明板には、平清盛の遺骨がこの寺に埋葬されたのではないか、という伝承が書かれています。
清盛の最終的な埋葬地についてははっきりした定説はありませんが、ここは古くから「清盛の遺骨が納められた(可能性のある)場所」として知られてきたようです。
その根拠は「平家物語」にも記述があり、清盛と能福寺の深い関わりを伝えています。

冒頭にも述べましたが、再建当時の貫主による「日本の国土と民衆を、兵庫県民を、神戸市民を守護したまえ」という願文はとても印象的です。
守護する対象が「」から「」、そして「」へと降りてくる感じがとてもいいですね。
これほど思いを向けてもらえる、兵庫県民、特に神戸市民の方々を、とても羨ましく思いました。

名古屋でも河村たかしさんあたりが、こんな感じでどこかに書いてくれるとよかったのですが、市長から衆議院議員への鞍替えをしてしまったのは本当に残念です。


<神戸事件顕彰碑>

境内を歩いていると、兵庫大仏や平清盛ゆかりの史跡だけでなく、幕末の神戸事件の顕彰碑がありました。
神戸事件は、開港間もない神戸での衝突が外交問題に発展した出来事で、ここに葬られている滝善三郎はその責任を取って切腹した人物です。
歴史が古い寺だけあって幅広い歴史の層があります。

神戸事件犠牲者、滝善三郎の顕彰碑

<滝善三郎正信碑の説明板>
この事件より少し前になりますが、感じとして生麦事件に似ていると思いました。生麦事件は薩英戦争にまで発展しましたが、こちらはそこに至らず、すぐ切腹です。
外国に対する考え方がだいぶ変わっているのは、その強さを知ってしまったからでしょうか。

こちらの説明板の方が分かりやすいです。少々「カネテツデリカフーヅ㈱」推しが目につきますけど。

後半の「カネテツデリカフーズ㈱」、
怒涛の四連発は少々笑えました

<寺周辺>

寺の東側に掘られた神戸運河を渡る橋に置かれたキャラクター像。(なんちゅう文章だ…)
像の下に「平清盛のまち」と書かれていたのを見て、「あぁそうか」と思いましたが、最初に見たときは何も考えずに「信玄くん」だと思いました。

「笑点」のざぶとん積みかとも思いました

周辺の寺社を含めた清盛七辨天の案内板です。
ちなみに「松王丸くん」とは、清盛の侍童だった子で、港を造る難工事で自ら人柱になったそうです。

清盛くん」「松王丸くん」といった、「〇〇くん」のネーミングって、妙に昭和から平成初期な感じしません?

<最後に>

開創は平安時代初期、平清盛の時代から幕末、そして現代。さまざまな時代の出来事が、この小さな境内に積み重なっています。
観光地 神戸(ドン!)」といった派手さはありませんが、歩いているうちに、日本の歴史を足元からたどっているような気持ちになりました。


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