【愛知】美浜町の河童(3回/全4回)| マイナーヒストリー | 愛知県美浜町 | (2013年~アーカイブ)
母河童「ゆり子母ちゃん」(河和)
「かっぱの苑」がある河和フェリーターミナル近くの堤防上に建つ、母親カッパの ゆり子ちゃん。
女性なので当然ながら貝の上に立っている。

名前を背中で語るのは河童界の常識らしい。
孫もいるナイスシルバーであるが、後ろからみるとただの立小便。

こちらは昭和34年の「かっぱカーニバル」時の写真。
ゆり子母ちゃんの足元部分はシャワーになっていたのが分かる。
この「かっぱカーニバル」、当時は土日に会場を持ち回りで変えながら開催していたようだが、この写真を見る限り、「かっぱ」を冠するわりには河童の存在感はあまりなかったようだ。
とはいえ、この「かっぱカーニバル」は意外に息が長く、30年以上にわたって続き、平成3年まで開催されていた。
ちなみにこの年、昭和34年9月、伊勢湾台風が襲来した。愛知・三重両県を中心に、被害は全国に及び、戦後最大級の風水害として記録されることになる。

お腹が痛いのか、出てきたお腹が気になるのか不明だが、乳を露出し、タコ壺を持って微笑む姿はなかなか ナーバス バット グラマラス。

ゆり子母ちゃんの乳首は残念ながらスーパー陥没乳首。
とはいえ、台座下のシャワーとは別に、乳首部分から母乳よろしく水を噴き出すタイプのシャワーも備えていたようだ。
ちなみに、乳から噴水(?)が出ることで有名な間々観音の「おっぱい観音」は片乳からしか出ないが、こちらは両乳から噴出していたようだ。海水浴場の設備としては、なかなか攻めた仕様である。

とはいえ、現在、左乳首は乳腺詰まりを発症。

左腕に抱えているタコ壺の中は「I feel Coke」の紙コップ。
もしかすると「Yes Coke Yes」の紙コップかもしれないが。

ゆり子母ちゃんと海。
「かっぱカーニバル」の写真には見られないテトラポッドが積まれている。花ちゃんの河和口よりはまだましだが、やはり海水浴場とは言い難い。

ゆり子母ちゃんが立っている堤防の下には、段ボールが敷かれ、エサ箱まで置かれている。
夜になるとここへ降りてきて、食べて寝ているらしい。河童というより、もはや地域で見守られている外猫に近い。

その堤防も、鉄骨・コンクリート共にかなり痛んでおり、正直ゆり子母ちゃんの横に立つのは怖い。

露出した鉄骨も、鉄骨の意味を成していないし。

父河童「野間太郎」(野間)
残る父親が見つからず、あちこち歩いて日没後にやっと発見。この蟹モニュメントの裏に隠れていた。
河童といい、ふなっしー似のてへぺろ顔の蟹といい、美浜町、建てる像に節操がない。

こちらが父ちゃん河童「野間太郎」。
ヒッポリト星人でもこうはうまくいかないだろうというくらいのブロンズ像色が特徴である。
リーフレットには「手に持っていた軍配はなくなってしまいましたが、ガッツポーズが父ちゃんかっぱの力強さを表しています。」とある。
美浜町、決して後ろを振り向かず、攻めの姿勢を崩さない。

リーフレットに掲載されていた昭和31年の餅まきシーンの写真。当時はコンクリート製の塔状台座の上に立っていたようだが、上の写真のとおり、この台座は現存しない。
台座の庇部分にファンネル調のシャワーヘッドが見える。

父ちゃんかっぱ拡大。
当時は貝の上に乗っておらず、現在の台座とも異なるのが分かる。残念ながら右手に掲げているはずの軍配は写っていない。

当時の台座と同じかどうかを確かめるべく、夜中の12時過ぎに撮影に出向いた父ちゃん河童。やはり当時のものとは異なるようだ。
平成23年のリニューアルを経て、背中の名乗りがひときわ目立つようになった。ただし正しくは「野間 太郎」ではなく、「野 間太郎」
——つまり「間太郎が来る!」となるのである。

妻は陥没乳首だったが、夫は陥没男根。

次回、花ちゃんの婿、子供たち
<つづく>
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