【連載小説】第15話『真昼に潜む影と真夜中に猛る獣の物語』
〜これまでのおはなし〜
チョウマとイオリは田舎の郷の村に居を構え、そこで平凡な暮らしを送っていた。
村では近頃、妙な噂が広まるが、まさか誰も二人に関連するとは思っていない。
知り合いの吾作を、家に泊まらせたチョウマだったが夜は家を空け、代わりにイオリがひと晩、吾作と過ごした。
何気ない会話に始まり何もなく終わる。
チョウマと吾作は、そうして朝を迎えるが、そんな二人を黙って見下ろす幻があった。
不穏④ 朝
気遣いの寛ぎ 豪勢な朝餉
其処に”嘘“があると思わずに
幻想と現実が交わる祈りと魂の叙事詩
トントントントン。
包丁が何かを刻み、まな板を叩く小気味よい音がする。
ご飯の炊きあがるにおいと魚が焼ける香ばしいにおいが鼻孔をくすぐる。
日が昇り、家の外では雀たちがチュンチュンと鳴いている。
「んあぁぁ。朝かぁ。
よく寝たぁ」
「起きたかね、吾作さん」
「ん。おはようさん」
「おはよう」
眠い目を擦りながら吾作は起き出した。
「どうなされた?
布団から出て板の間で寝ているなんて?」
問いかけてきたのは女のそれではない。
よく耳にする張りのいい男の声だった。
「あれ? チョウマさんか。
帰ったのかい?
なんか大変だったそうな」
台所で朝飯の支度をするのはチョウマだった。
吾作は部屋の中をぐるりと見回してチョウマに尋ねた。
「イオリさんは? 帰ってきたのじゃろ」
「あゝ、タケノコを採りに行ってる。
刺身を食べてもらいたいって」
「んだか。面倒かけてすいません」
「ハハハ、んなことないの。
気にせんで。
さあさあ、まずは顔を洗って」
「んだね〜〜、じゃ。
ところでチョウマさん、なんで裸なの?」
台所に立つチョウマがなぜか褌一つで炊事をしていた。
「いやぁ、いろいろあってさ。
その辺りも話したいから、早う顔洗って」
「んだか」
そう答えると、敷いてあった布団を片づけて吾作は外に顔を洗いに出た。
ただ、チョウマの影が二つあったのには気がつかなかったようだ。
一つは日差しのもとに現れる影。
そしてもう一つは……。
吾作の様子を見遣ったチョウマだったが、それは黙して語らず、取り敢えず朝飯の支度を続けた。
お膳に並ぶのは玄米のご飯と大根の葉を菜種油で炒めたものの味噌汁、伽羅蕗と実山椒の佃煮、沢庵と焼いた川魚の干物である。
囲炉裏を囲んでチョウマと吾作はそれらを食べた。よほど腹を空かせていたのだろう、吾作は貪るように全部たいらげた。
チョウマはとうに着替えを済ませている。
「チョウマさん、いつ帰ったの?」
「ん、明け方。
早く帰んないと、と思って呉服屋さんから裸で逃げ帰って来た」
「んだか? それでか、裸でって。
ハハハ」
「ハハハ」
「イオリさん遅いね?」
「そだね。でも心配しないでも大丈夫だよ。
直ぐ帰ってくるから」
「んだか」
白湯を飲んで食後一息ついたチョウマと吾作はしばし語らった。
チョウマの話は昨夜の呉服屋との酒の席の話だった。吾作は終始話に耳を傾けて笑っていた。
「んだば、帰るね」
「え? もう帰るの?」
「んだ。オラも畑仕事があるから」
「そうか」
「イオリさん、帰ってこんね?
ホントに大丈夫?」
「ん。大丈夫、大丈夫。
でも遅いは遅いなぁ。吾作さん帰っちゃう。
タケノコ食べてもらえないじゃないか」
「いやぁ。仕方ないべ。
また今度」
「そうかい? 悪かったね」
食器を片づけるとそのまま上がり框に腰かけて草履を履く吾作。
チョウマも食器を片づけて吾作を見送る。
開けた扉から二人が表に出てきた。
「なば、ごちそうさまでした」
「いいえ。
なんもおもてなしできなくて、すいません」
「今度は呑もうね」
「はい。今度はね」
「んだば、また」
「はい、お世話さまでした」
吾作はそうして川沿いのチョウマたちの家をあとにして村に向かった。
数歩進んでは振り返り手を振る。
また数歩進んで振り返って手を振る。
そうして去る吾作をチョウマはいつまでもいつまでもずっと見送った。
もう吾作の姿が小さくなって声も届かないのが判るとチョウマは一人で呟いた。
「ふぅ。なんとかなったかな」
チョウマはそのとき本当に一人だったのか。
吾作は気づかなかったが彼の頭の上、上空に不思議な黒い影があった。
当然チョウマからはそれが見えている。
吾作に注意を促すこともなかった。
黒いその影の中に白い面が現れた。
警戒しているようにも思え、気配を消して吾作の頭の上でぐるぐると渦巻いていた。
晴れた青空のなかに異質な黒い影は漂い、その白茶けた面はまるで皺を刻んだ髑髏が酷薄な笑いを浮かべたようで、ひたすらに不気味だった。
つづく
