【連載小説】第50話(最終話)『真昼に潜む影と真夜中に猛る獣の物語』
イオリとチョウマの二人はまた日常へ歩み出す。
二人の呪いが解けることはない。
あるとするならば、それは雲に梯(かけはし)。
とても叶えられない高望みである。
それでも二人は生きる。
いつかは、と願いつつも。
今を生きる
恋ひつつも たまさか逢ひて空蝉の
科戸の風と 鏡花水月
幻想と現実が交わるとき 願いは実を結ぶ
イオリを背に乗せ黄金の災厄は白い砂を蹴って浜辺の近くの小高い丘の頂上を目指して歩く。
焔はなかった。
いつになく静かで大人しい様子である。
丘の頂上までは、なだらかな坂で斜面には名前も知らぬ小さな愛くるしい花が咲いていた。
黄金の災厄は、その花畑を枯らすことのないように注意を払っているようだ。
やがて頂上に着いた。
花々は朝露に濡れて重たげに頭を垂れる。
黄金の災厄に驚いたのか、小鳥の番が二羽、慌てて花畑から飛び立った。
イオリはその背から降りて花畑に足を下ろす。
柔らかさが足下から伝わってきた。
彼者誰時、藍色の空はだいぶ明るくなった。
山裾から漏れてくる日の光は辺りを照らし、花畑の朝露に反射してキラキラと星のように瞬く。
天満つ星が地上に映り込んでいるかのような、美しい風景だった。
「スゥ」
と、一呼吸入れて新鮮な朝の空気を吸い込む。
潮の香りは、むせ返るほどに濃かった。
イオリの表情は晴れ晴れとしていた。
黄金の災厄に目を遣ると、彼も「ブルルッ」と鼻を鳴らしていた。
そして目線はと云うと、水平線の向こうをただジッと見つめている。
イオリも同じく海を見た。
「気持ちのいい朝ね」
思わず感嘆して云った。
静かな浜辺に丘まで届く潮騒が耳に心地よい。
吹き抜ける風はまだ肌寒いが、春の潮風は穏やかに頬を撫でていく。

おのがきぬぎぬ なるぞかなしき
『古今和歌集』
「お天道さまが顔を出すわ」
そう云って振り向くと、日の光は確実に差し込んでいた。
イオリの云う通り、太陽が山裾から厳かに昇り空は金霞に染まる。
大人しかった黄金の災厄に変化が訪れる。
黄金の輝きが失われ、地面に着いた前足が腕になり、剣呑な角が小さくなって躰を覆う体毛が薄くなっていく。
前に突き出た鼻面が引っ込んで、それはチョウマの凛々しい顔つきとなった。
獣がチョウマに化身した。
「はぁはぁ、はぁ」
チョウマは弾む呼吸を整える。
全身が汗でビッショリと濡れていた。
イオリは膝をついて裸のチョウマを力いっぱい抱きしめた。
「チョウマ! チョウマ!」
ただ、名前を呼ぶ。
チョウマは応えるようにイオリを抱きしめた。
「イオリ! イオリ!」
チョウマも名前を呼ぶだけだ。
それは二人の気持ちと躰が通じ合うひととき。
そして二人はお互いを求め合う。
強く抱きしめて口づけを交わす。
舌を絡め唇を吸い合う。
熱い口づけだった。
日は昇り、降る光は二人と花畑を照らす。
愛くるしい花々は折から吹く春風に戦ぎ、二人を囲む景色は、ひとときの幸せと天からの祝福に満ち溢れていた。
ただ、それも一日の中ではごく僅か。
太陽が完全に昇り切り真円を描くと、チョウマは人の姿に戻った。
イオリの背後から湧き上がる影は、大きな口を開いて彼女を呑み込んでしまう。
そしてイオリは抵抗するも虚しく、眷属の影が伸ばした醜い手に捕まり、白い面を被せられてまた魂の影に化身する。
チョウマはその面をジッと見つめた。
無表情のはずだが心なしか切なげに見える。
見つめ合うのもまた僅かな時間。
魂の影は、
「クルルルゥ――ッ」
と鳴いて、天高く舞い上がる。
そしてチョウマの頭上で渦を描く。
それを見上げて、
「……なんだ? 愉しげだなぁ」
泣き虫だったあの頃のチョウマが、微かに目を潤ませて笑った。

くるくる回って魂の影は太陽へ向かっていく。
影は散り散りになり、一つ一つが鴉となって朝日の中に姿をくらますように、飛んで行った。
そして雲雀は歌うようにさえずり、歓迎しているかのようだった。
見送ったチョウマも浜辺に置いてあった褌を締め直し、浴衣を羽織って同じ道を歩き出す。
今はいい。
これでいい。
今があるから今を生きる。
今があるから明日を生きる。
今があるから明日は
今日という日が想い出になる。
そう。今を大切に。
それは悲恋というには儚くて
純愛というには切ない物語。
一組の男女が愛を大切にして
今を懸命に生きる物語。
チョウマとイオリの物語。
「あぁ! いっけねぇ!
吾作さんに土産頼まれてんだ!
イオリぃ――!
おおぉい!
都に寄ってっていいかなぁ!?」
こうして
チョウマとイオリは
平和に 暮らしましたとさ
めでたし めでたし
……
……
……
続き?
チョウマとイオリの物語
続きはあるよ
聞きたいか?
なら 駄賃をおくれよ
続きが聞きたいなら
駄賃をおくれ
したら 話してやろう
チョウマとイオリの物語
そのつづき
完
参考資料 『エモい古語辞典』 堀越英美著
朝日出版社、2022年
