【連載小説】第13話『真昼に潜む影と真夜中に猛る獣の物語』
寝ていた吾作に優しく声をかけるひとがいた。
寝惚け眼の吾作が目を留める。
そこにいたのは、誰あろうイオリだった。
出掛けたチョウマは結局帰らなかった。
だが、行灯の小さな灯りの下で聞くその理由を、吾作は嘘だとは思わない。
それは決して他人には云えない、影の嘘だった。
不穏② イオリの笑み
つい居眠りをした吾作が気づくと
覗き込むその素顔に見覚えがあった
幻想と現実が交わる祈りと魂の叙事詩
「……さん、……さくさん、……ご作さん」
「ん?」
と聞こえた声に気づいて吾作は目を覚ました。
「吾作さん?」
微睡みながら目覚めた吾作が声の方を見る。
行灯の僅かな明かりの中に見出したのは白い肌の卵型の顔つきの美女。
吾作は彼女をよく知っている。
顔を合わせるのは何回目だろう。
「……イオリさんかい?」
床に寝そべっていた身体を起こし、佇まいにらしくなく気を遣った。
「あゝ、いかんいかんいかんいかん。
こりゃ参った。寝てもうたか?」
ほんの一瞬、自分が何処にいるのか判らなかった吾作だが記憶は直ぐに戻った。
ここはチョウマとイオリの家である。
どうやら獨酒を何杯か呑んで酔いが回ってそのまま寝てしまったらしい。
齧った跡のある沢庵が一切れ、皿の上に載っている。
窓は閉まっていた。
外からの光は隙間から漏れてこない。
きっともう日は落ちて真っ暗なはずである。
イオリは囲炉裏の火を火箸でいじりながら吾作の顔を覗き込むように見つめていた。
吾作を思いやっているのか柔和な表情をしている。
結っていない長い黒髪がサラサラと密かな音を立てて肩口から流れるように滑り落ちていく。
「お目覚めになりましたか?」
「あゝ、イオリさん。おかえりなさい」
「ただいま」
クスクスと笑みを絶やさないイオリだった。
「お酒を召し上がっていらしたの?」
「んだ。チョウマさんと一杯やろうと思って持ってきたんよ。獨酒」
「お水をお持ちしますか?」
「んだか。いただけるかね?」
「はい」
天井を見上げ家の中を見回し、そこではたと気がついた。
背中を向けているイオリに声をかけた。
イオリがいるならいるはずではないか。
「あら?
イオリさん?
チョウマさんはどうされた?
一緒ではないのかい?」
よく洗った湯呑に水を注いでイオリは吾作に持ってきた。
膝を折ってしゃがみ、湯呑を吾作に手渡すとその問いに答えた。
困り顔ながら微笑み続けて。
「あの人は私を迎えに来たとき、そのまま呉服屋さんに捕まってしまって。
今頃は吾作さんと同じように酔って舟を漕いでいるのかも知れませんね。
責任を感じます」
フフフッと笑う。
「あら? んだか?
すっぽかされた?」
「ごめんなさいね。
吾作さんが待っているのにほったらかしで他の人と呑んでるなんて。
いけませんよね」
「いやいや。
お客さんからの誘いは断れねぇだよ。
そらしょうがねぇだ」
「そう云って頂けると助かります。
私が、あの人に吾作さんの下に早く帰るようにお祈りいたしましょうか、とも思ったんですけど。
その必要もないみたい。
フフフ、お茶を淹れますか?」
「あゝ、いや大丈夫。
そんなぁ、お祈りなんて。
巫女さんでもねぇのに、イオリさんが云うとマジで説得力あんなぁ!
ハハハ、冗談好きだねぇ」
「フフフ。
お布団を敷きましたから、どうぞおやすみになって下さい」
「んだか。なら遠慮なく」
そう云うと吾作は敷いた布団に滑り込んだ。
「イオリさんはまだおやすみにならないの?」
「ええ。まだ仕事が残っていますから」
「んだか。
仕事熱心だなぁ。
ならおやすみなさい」
「はい。おやすみなさい」
果たしてイオリの声が最後まで聞こえたかどうか。直ぐに大きなイビキをかいて吾作は夢の続きを見ることとなる。
微笑まずにはいられないイオリ。

吾作が寝入ったのを確認すると、裁縫道具を取り出して針仕事を始めた。
しばらく繕い物をしていたが吾作の寝顔を見つめて、ただ一言呟いた。
「チョウマには気がつかなかったのね……」
ここにチョウマはいない。
では何処に。
春灯のもとで、微笑みに隠したイオリの本音には吾作も気づかなかっただろう。
つづく
