宣材写真を撮影する日が来るなんて……
自由が丘へ。
仕事で使う、
宣材写真を撮ってもらった。
人生初。
正直な感想は、
「宣材写真を撮影する日が来るなんて……(笑)」
ついこの前まで、
“宣材写真”という言葉は、
異世界に転生しないと
使わないものだった。
モデルとか、
著名人とか、
ちゃんと「何者か」
になった人が撮るもの。
少なくとも、
以前の私の人生には、
登場しない予定の単語だった。
……はずだった。
カメラの前に立つと、
当然のように、体がこわばる。
一体、
どんな顔をすればいいんだろうか。
まったくわからなくて、
とりあえず、
口角だけ無理やりあげてみたら、
マニュアル通りの、
不気味な作り笑顔が爆誕した。
即、不採用。
一瞬、空気が止まった。
──仕事できそうな顔!仕事できそうな顔!
いや、
実力以上のものは出ない。
……出ないのだが、
カメラマンさんがとても優秀だったので、
段々、緊張がほぐれてきて、
自然体になれた。
「いいと思います!」
そう言ってもらえるたびに、
心が、少しずつ和んでいった。
ああ、
“ちゃんとした自分”を
無理に演じなくてもいいのか、と。
そんな気がした。
素人の私は、宣材写真って、
自分を盛るためのものだと思っていた。
でも実際は、
「今の自分を、自然体で表現すること」
だった気がする。
撮影が終わった帰り道、
自由が丘の街を歩きながら、
何かが“始まった”というよりも、
「もう戻れない場所を、一歩越えた感じ」がした。
宣材写真を撮ったからといって、
急に何者かになったわけじゃない。
でも、人生は
「なるようになる」というより、
「在るようになる」ものだと思っている。
たぶん今日は、
先に在り方のほうが、
少し動いた日だった。
こうしてNOTEに書いているのも、
その延長線上にある。
コーチングをしていると、
たまに、こんな声を聞く。
「もう少し整ってからでいいかなって」
その気持ち、
痛いほどわかる。
でもたぶん、
整ってから始めるんじゃない。
うっかりだったとしても、
始めてしまったから、
少しずつ整っていく。
宣材写真を撮る日が来るなんて、
昔の私は、きっと笑う。
でも、
その笑いの中に、
今は、ほんの少しの誇らしさも
混じっている気がする。
……というわけで、
今日はちょっと、
テンションが上がった日になった。
あなたの日常が
多幸感で包まれますように。
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多幸感は、きっと分け合うほど静かに循環していくもの。
今日、あなたの中に小さな光や気づきが生まれたなら、
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