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初めてのkindle本がAmazonレビュー100件越えた人

今回のインタビュー参加者は3回目のインタビューの方。約1年半ぶりでしょうか。
本文にもありますが、最初の参加のときはkindleを出される前でした。私のインタビュー手法もまだ手探りの中、面白そうという抜き身の好奇心で参加してくださった方です。8番目の参加者。
今回、読み返してみて、純粋に3回目のインタビューをして良かったなと思いました。単純に、その人の変化を読み取ることができる。インタビューしたときの記憶がすこしだけよみがえる。今自分がそのときとは違う地点にいることを誇らしく思える。
とはいえ、同じ人からの2回以上のインタビューは基本的には受けつけていないんです。
理由は、無名人インタビューはまだ発展途上の試みで、今はまだたくさんの方にこのインタビューをできるかぎり体験してほしいからです。
無名人インタビューという試みを、200人以上の方に受けていただきました。なにも有名人だけが自分の話を残せる権利があるわけじゃなく、ほら無名の人でも面白い話が聞ける、記録に残すに十分に値するじゃないか。と、証明できたのではないかと思っています。
でもまだ、これって多くの人に伝わりきってない。
私は世界を想像しています。それは無名人インタビューが気軽に受けられる社会で、むしろ人口の過半数がインタビュアーとしての手ほどきを受けていて、帰宅途中とか、夕闇の公園のベンチで、日常として他人の話を聞く風景のある世界。そこでは、至るところ、今あなたは何をしている人ですか? から始まる一連の質問セットが展開されている。無料で、呼吸みたいな営みとして行われる見知らぬ者同士の、まだ何も共有していない者同士の対話。あるいはまだ自分たちが何を共有できるかわかっていない者同士の対話。
その話は、現時点の自分自身の心模様を浮き彫りにする。「シンプルに頭の中身を整理する」なんて言い方もあるが、この見知らぬ者同士の対話はもっと大げさに扱っていい。人間は、見知らぬ他人に自分のことを話そうとするとき、新たに自分を再構成すると言っていい。自分を伝えるために、新たに言葉を生みだす。この力を最大限に引き出す。
そして、その新たに生まれた自分像は記録されるべきだ。その記録が、自分の心の来歴をいつでも点検する。迷ったときも、より高く飛ぼうとするときにも、それを役立てる。
そういう世界を実現するためには、まだ力が足りない。複数回のインタビューは必要でというか、当然生まれてから死ぬまで対話の記録は残されるべきだ。けれど、今はまだ待ってと。きっとすぐに、近いうちに。(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 石田優 さんです!

インタビュー1回目

インタビュー2回目

現在:自分の守備範囲に責任を持つ「よろず屋」

森逸崎:今回3回目ということですが、また参加しようと思ってくださった理由を教えていただけますでしょうか。

石田:今出してる電子書籍が、Amazon電子書籍の「キャリア部門」というジャンルで1位を獲得したことをnoteのつぶやきに書いたことがあったんですね。そのつぶやきに、無名人インタビュー主催者のqbcさんから直接コメントをいただいて。
話の流れで、「インタビューをまたやってください」みたいなことを言っていただいて、それでまた申し込んだという感じです。

森逸崎:そうだったんですね。1位獲得、おめでとうございます!
それでは今回は、どんなインタビューにしていきましょうか。 

石田:ぶっちゃけ、本の宣伝を兼ねています(笑)
1回目のインタビューのときに「電子書籍を書きたいな」とか「今計画してますよ」みたいなお話をしていて、2回目のインタビューのときがちょうどその電子書籍を出したタイミングだったんですよね。で、今その書籍が伸びてますという、すごく良いタイミングというか。ホップステップジャンプじゃないけど。

森逸崎:良いですね。
書籍のターゲットとしては、どういった方向けの内容なのでしょうか? 

石田:会社をお休みしている人とか、何か行動したいけどできない人とか、そういう人向けに書いてはいます。自分で言うのもなんですけど、割と結構いろんな、どんな年代の方でも読みやすいと思います。結構レビューも、年齢が偏ってないので。

森逸崎:(Amazon書籍購入ページを見ながら)この目次が20項目ぐらいある中で、特に自分の中で強いメッセージって、どの部分になりますか? 

石田:どれかな。決められないですね。
というのは、この本ってどの章からでも読める構成にしているんですよ。目次を頭から最後まで読んでくださいというよりは、「自分に引っかかりそうだな」と感じていただけるところだけを読めばいいのかなと思っていて。なので、あんまりここで、これとこれという明言は避けた方がいいのかなと。自分は全部伝えたいことだから、自分に合ったものを持って行ってくださいみたいな、そんな感覚です。

森逸崎:では、「どんな本ですか?」って聞かれたときに、何て紹介しますか? 

石田:ひとことで言うと「背中を押す本」ですかね。これ、もうレビュー丸パクリでいきますけど(笑)
よく言ってもらえるのが、一歩踏み出す人の背中を押す本。レビューでも、「読んで背中を押してもらえた」というのを、よく言われます。

森逸崎:おお。周りの方の反応はどうでしたか?

石田:予想以上に好評でした。
というのも、本の中で、結構今まで自分が関わってきた人たちに対する反対意見のようなことを書いているので、知っている人が見たら「あれ、何書いちゃってるの?」と感じることが多い気がするんですね。
例えば、目次でいうと「自ら体育会系を名乗る人に良い人はいない​​」とか、「『お前のためを思って言っている』は嘘​​」とか(笑)
ちょっと踏み込んだところも書いたんですけど、これが結構ウケてるんですよ意外と。
レビューの中でも、「これとこれとこれが良かったよ」と具体的に書いてくださってる人もいて。比較的目についたのが「体育会系」と「お前のため」というワードでした。

森逸崎:結構、石田さんのご経験が反映されている内容なのでしょうか? 

石田:そうですね。全て実話です。

森逸崎:なるほど。
改めて、今は何をされている方なのでしょうか?

石田:今はフリーランスでエンジニアやストアカの講師をやっていますが、何をやっているかと聞かれれば、本当に色々、です。
よく人にも言うんですけど、僕の職業って「エンジニアじゃない」と思っているんですよね。なんでかというと、フリーランスになったということは、ある意味、僕個人という会社であって。現時点で稼げる業種がITなだけで、もうエンジニアではないと思っています。エンジニアはあくまで一つの手段。
だから、一時期「エンジニア」と名乗っていましたし、今もTwitterの名前にはそのワードを入れたりとかしてますけど、本当は、あんまりそれをやりたくなくて。
そうすると、「エンジニアしかやらない人」みたいに思われるし。フリーランスエンジニアなんていくらでもいるから、負けるなと思ったんですよ。

森逸崎:それで、noteの名前にも「よろず屋」というワードを入れているのでしょうか? 

石田:そうです。「結局僕は何でもする」と。ストアカ講師だとしても「何とかの先生」という表現も少し違うんです。あくまで講師業も、僕の仕事の一つだから。
そういうのをうまく表現できないかなと思って、それで、今、音声配信を一緒にやってる友人と話していた時にたまたま「よろず屋」というワードが出てきて。それを使おうかな、いい名前だなと。

森逸崎:へえー。
「よろず屋」と聞くと、本当に「何でも請け負います、何でもご要望にお応えします」みたいなイメージが湧いてしまうのですが、石田さんの中の「よろず屋」は、どういう存在でしょうか。

石田:結構難しいこと聞きますね(笑)
もちろん仕事の内容は考えて、選択します。それこそ、お願いされて自分にできることは引き受けますが、逆に自分にできないこと、自分にできなくて責任が持てないものは、引き受けないです。だから、お願いされていくつか断ってることも、実際にあります。
何でも屋だけど、「自分の能力でできる範囲の何でも屋」です。ただの何でも屋だと、本当に何でもやる人になっちゃうんで。あくまで、自分の守備範囲の中の何でも屋。ただ、その守備範囲を広げる努力は自分でしています。
自分から、「自分頑張ってます」的なことを言う人、僕は好きじゃないんで(笑)

森逸崎:あはは(笑)

石田:もちろん時と場合によるんですけど、例えば、僕が自分の実績を公表しているときって、「誰が見てもわかるもの」しか出してないんですよ。
よくSNSとかで「月100万円稼ぎました!」とか、あるじゃないですか。でも、それって本当のところは本人にしかわからないじゃないですか。給与明細出してくれればわかりますけど。
だから、僕が実績アピールしてるときって、嘘のつきようがない、「絶対に誰が見てもわかるもの」にするようにしています。

森逸崎:例えば、それは何になりますか? 

石田:書籍なのであれば、レビューの数とかです。だから、例えば僕の収入とかは、一切公言してないし。
よく最近言ってるのですが、「頑張っている」というのは、自分で言うものじゃなくて、人に言ってもらうもの。人から言われるのは、それだったら全然いいと思うんですよ。自分で言うものじゃないだろというのを、根底ずっと思ってます。

森逸崎:いつからその考えを持ったのでしょうか。

石田:明言は避けますが、過去出会った方々の中で、やっぱりそういう「自分、頑張ってます」を全面に出す人は少なからずいて。逆に、出さない自分が認めてもらえない感覚みたいなのがあったんです。自分の中で。
でも、いざ振り返ったときに、自分で頑張ってるって言って周りに認められるより、黙っていきなり結果を出して言われた方がいいじゃん、と思い始めました。

過去:「我慢・我慢・我慢」からの取捨選択

森逸崎:2年前のインタビューでは、自分の子供時代を「普通の子供というよりは、合わないことを我慢する子供」と表現されていましたが、今はどのように捉えていらっしゃいますでしょうか。

石田:変わらずですね。普通ではなかったと思いますし、合わないことを我慢していました。

森逸崎:何に対して「合わない」と感じてたんでしょうか? 

石田:「何が合わない」とかではないですけど、おそらくみんなが通る一通りのものを。
例えば、「合わないんだろうなー」と自分で思ってても、中・高・大と、「石の上にも三年」みたいな考え方とかあるじゃないですか。ああいうのを信じてしまっていた部分があったり。部活とか塾とか。
今だったら、合わなかったらやめるんですよ。でも当時はそれができなかった。振り返ると、子どものときもそうでしたね。

森逸崎:なるほど。
そもそも「石の上にも三年」という考え方が石田さんの中にあったのは、何が影響しているのでしょうか? 

石田:体育会系の両親のもとで育ったことは少なからず影響あるかもしれません。
とはいえ両親が悪い訳ではなく、僕が縦社会の「取らなくていい部分」を取ってしまったのかなと。
例えば、僕は中高一貫校へ行ったんですけど、「別の高校を受験しよう」と思っていても結局元の学校に通ってしまったりとか、大学のサークルも「もういいかな」と思っていたけど、結局4年間続けちゃったりとか。というところに表れてるのかなって思います。
要は、もう全体的に体育会系の考え方に対して、「合わない自分がおかしい」くらいに思ってたんだと思います。「合わない自分の方が駄目」という捉え方に、自然となっていったから。それが続いて、結局うまくできないみたいなこともありました。

森逸崎:うんうん。

石田:あとは割と、無駄かもしれないな、と思う上下関係や理不尽さ、人間関係とか、いろいろ経験としてありましたね。それこそ、随所に「体育会系」の考え方が来るんですよ。

(具体的にいつどのタイミングで何があった、というお話はご本人の希望により割愛)

森逸崎:そうだったんですね。

森逸崎:ある意味そういう、自分が違和感を感じていた方々に対しての反骨も含むのが、今回の書籍内容なんですね。

石田:割とそうですね。
書籍発売から3-4ヶ月ぐらい経って、ある程度レビューが20件くらいかな?溜まってきたんですね。そのときって、結構知り合いの評価がすごく高かったんです。良いことしか書かれていない。でも今のレビューは星5で40%ちょいですね。これは、すごく健全だと思っています。やっぱり人間、いろんな考えがあるじゃないですか。僕は別に、この本を読んで、この考え方に染まれって言いたいわけじゃないんです。あくまで、こういう考え方もあるんだよということを知ってもらいたい。

いきなりですがInstagramもさいきん開設されています!

森逸崎:なるほど。
自分が違和感を感じていた人とは、当時はどのような関わり方をしていたのでしょうか?

石田:もう、それこそ体育会系が身に染みているから、先輩の言うことに対しては「はい」なんですよ。そうやって割り切るしかなかったんですよね。
嫌なことも全部我慢しました。全部我慢して、言えなくて。自分がおかしいんじゃないかぐらいに思ってました。

森逸崎:先ほど仰っていた子供時代からもう、ずーっとだったんですね。

石田:ずっとです。
だから、書籍に関しても、僕がこれまで我慢してたものを放出している感じです。目次にある「自ら体育会系を名乗る人に良い人はいない​​」とか、「『お前のためを思って言っている』は嘘​​」とかもそう。
それこそ僕自身がこれまで「自分は周りの人の心をわかってないんじゃないか」ぐらいに思っていたんですけど、逆にこれが結構ウケたんですよね。本なんで、こういう断言はしたくなかったけど、わりと共感を呼んでいます。

森逸崎:お前のためは嘘、と考えるようになったのはどんなことが影響しているんでしょうか?

石田:もともと僕は自責思考が、たぶん人一倍ある方だと思っていて。基本的に「本当にその人に伝わるような話し方をしていれば、お前のためだとわざわざ言わなくても伝わるはずだ」と考えているんですね。それで伝わらなかったときに、「伝えられないからこの言葉で逃げていたんだ」って。自分が傷つきたくないから。
これは、実は僕も言ったことがあるんですけど、結局、僕が伝えられていないだけなんですよ。自分の気持ちがあっても、相手はわかっていない。
それこそ先輩後輩の関係とかでも。今は本当に後悔しかないんですけど、僕はかつて後輩に、「伝わってないな」と思って、最終的に「俺はお前のために考えてるんだ」みたいなことを言ってしまったなって。あー、カッコ悪いなと思って。

森逸崎:ご自身でその言葉を使って初めて、これって逃げるんだって気付いたってことでしょうか?

石田:そこで気付いたというよりは、書籍を書くときに自分の考えをまとめながら、「自分もこんなことをやっちゃってたな」というような振り返りをしました。人にされて、あんまりよくなかったな、でも、自分もやっていたなと思って。

森逸崎:なるほど。
これまで一番印象に残っている「お前のため」は、どんなシーンでしたか?

石田:こちらも明言は避けますが、例えを一つ挙げるとしたら、会社を辞める時の引き止めのシーンとかでしょうか。僕は以前勤めていた会社を2回辞めようとして、2回引き止められているんですけど、そのときにその言葉を聞きました。

森逸崎:言われた時はどんな気持ちになりましたか?

石田:「だったら、引き止めないでくれ」って思いました。「そんなことはわかってるんだよ」と。でも結局、2回目とも自分の意思を押し通せず、でしたね。3回目に辞めようと思ったときはもう休職して、それからフリーになるって決めていましたし。
休職したというのは、それこそ本当に疲れてたんですよ。先が見えないというか。
結局、どこで身についたかわからない自責思考が、全部響いてて。その自責思考を、フリーになる前は悪いところへ使ってたんですよね。それこそ、「合わないから自分が悪い」とか。
でも今は、「合わなかったら、合う環境を探せばいい」と思っています。
勤めていた会社を辞めて、フリーになった時点で全部吹っ切れちゃったんですよ。

森逸崎:ほー。

石田:それこそ、フリーになる前なんかは、なんとなくエンジニアの中での方向性があって。
例えば、システム開発にあるいろんな工程や役割、それこそプロジェクトリーダーとか、プロジェクトマネージャーとか。なんとなくそういう方向へ行くんだろうなと思っていたんですけど、結局気づいたらフリーになってました。
ただ、休職のときも、よく「会社のことが嫌になったのか」とか聞かれるんですけど、ちょっと違うんです。確かに会社を離れたいと思っていなかったとは言わないけど、一番嫌だったのは、「自分がそんなところを選んでしまった」ということなんですよ。「自分が間違ってたんだ」と。
そこで出会った人との縁を、僕から切るつもりはないですし、そこに対して否定するつもりは別にありませんが、ただ、「僕の就職活動は間違っていたんだ」ということに気づいて、絶望してしまったことはあります。自分の見る目がなかったというか。

森逸崎:そこも自責。

石田:そうです。だから、それこそ転職する人の理由で、「元の会社が良くなかった・条件と合わなかった」とか言ってる方も中にはいるじゃないですか。でも「会社が良くないのはいいんだけど、そこを選んだのは自分じゃんか」って。僕の場合だと「自分がこんなクソで合わない会社を選んじゃった、アホー」みたいな(笑)
次は気をつけようかなって思ってる人はいいんですけどね。

森逸崎:自責の念が昔から人一倍強いのは、何が影響しているのでしょうか? 

石田:それがわからないんですよね。昔から人のせいにするのが嫌でした。それはなぜか、ずっと根底にあるんですよね。おそらくそれも両親の影響だったりもするのかもしれませんが、明確になぜだかはちょっと、わからないですね。

森逸崎:なるほど。
先ほど「フリーになるタイミングで吹っ切れた」と仰っていたのですが、それができた要因は何だったんでしょう? 

石田:なんで吹っ切れたのかは多分、自分の中の足枷がもう何もなくなったから、かもしれません。
さっき、人一倍「自責思考がある」という話をしましたけど、フリーになって、ようやく自分の理想とする自責の環境に身を置けたわけですよ。「良くも悪くも自分の責任」という環境に身を置けた。会社のことも何も気にする必要がなくなったから、吹っ切ることができたというか。

森逸崎:うんうん。

石田:野球で例えるなら、会社にいるときは僕はボールを投げる前から「お前、絶対暴投するよ。お前、投げても無駄だよ」ぐらいに、今まで人から言われてたんです。ボールすら投げられなかった。
でもフリーになって、やっと投げられる状態になって。だから、やっとストライクかボールかも自分でわかるようになった。使えるかどうかとか、投げないとわからないじゃないですか。投げないとわからないという前に、これまでは止められていた感覚でした。やっと、自分のフィールドで投げたいところへ投げられる環境が整った。

森逸崎:なるほど。

石田:サインも気にしなくていいんです。だって、自分でサインを出すから。
今までは、監督からの「こう投げろ」とかそういう指示を気にしてたけど、それがなくなったから。だから吹っ切れて。
そこで暴投しようが、いいんですよ。だって、自分の思う通りに投げられてるんだから。暴投しても、暴投しないようにする作業がまた楽しいから。もちろん、目的に沿って進むことが大前提ですけどね。勝ち負けでいうと、勝ちに向けて動くのが前提で。

森逸崎:うんうん。

石田:これも最近言ってるんですけど。よく、「失敗は成功のもと」とか言う人、いるじゃないですか。失敗しろみたいな。それって、成功に向かった行動じゃないと意味ないと思うんですよ。
たまーに、本当になんでもかんでも「どんどん失敗して」と言う人がいるけど、あの捉え方って結構危ないなと思っていて。「失敗は成功のもと」という言葉も、成功のもとは成功するための行動で得た失敗であって、最初から失敗するつもりだったら何も残らない。
どうしても僕の伝え方だと、「ただ投げて満足してる人」みたいに思われちゃうかもしれないんですけど、そうではなくて。何も考えず闇雲に投げているんじゃなくて、全部勝利のために、全力で狙ったところへ投げるんで。それが外れたら悔しいし、というかまだ外れたことしかないですけど。でも、心は折れないわけですよ。だって、自分が望んで投げてるから。

森逸崎:なるほどー。
石田さんの目下の目的は何になるのでしょうか? 

石田:それこそ、今のエンジニアの仕事もそうですし、ストアカの講師とか、今はそれぐらいですかね。それらを良くするために、「こういうことを試したらどうなのかな」ということをやり続けてます。
エンジニアの方は、守備範囲を広げる意味でもスキルを深める意味でも、自分のできることを増やしていきたいですし、ストアカの方も、発注数増加に向けて動いています。

森逸崎:良くするということについて、「勝ち負け」という表現もされていたと思うんですが、石田さんの中で、勝っている状態って、どんな状態ですか? 

石田:勝ってる状態は、例えば「これをしたらこうなるだろう」というものになったとき、ですかね。自分が思い描いたコース通りに、キャッチャーミットにパシっと入っている。それが勝っている状態になる。
長期的に見ればわからないですけど、そこの策はうまくいったな、勝ったってなるけど。外れたときは、クソすべったな、という感覚ですね。思い通りにいかなかったら、負け。自分の読みが外れたということなんで。

未来:今日より楽しい明日を

今、自分の思い描いたコースに投げられない方や、冒頭書籍のターゲットとして挙げられていた「一歩踏み出せていない方」「行動できない方」に対しては、何てアドバイスしますか? 

石田:これもやっぱりその人によって事情が違うので、みんなにこうだというメッセージとしては難しいですね…。でもあえて全員に綴るものを話すんだったら、「自分の行動に責任持てますか」ということ。それが一番ですかね。
自分の行動に責任を持てないのに、何かやろうなんていうのは間違ってるし、持てないんだったら止めた方がいいですとしか言えない。というのと、僕もそうだったんですけど、一歩踏み出せない人とか、行動できない人って、何かリスクを避けてるんですよ。

森逸崎:うんうん。

石田:ありがちなのが、リスクがある状態が普通じゃないと思ってる人。たまにいると思うんですよ。「あれもこれも心配だ、あー動けない」みたいな。でも、あれもこれもリスクだらけの中で、動くんですよ。
職場で例えると、人間関係、給料、勤務地・通勤にかかる時間とかがあったとするじゃないですか。たぶん、人によって、どれにもストレスってあると思うんですよ。ストレスは、ある意味リスクですよね。じゃあ、自分はどのリスクだったらうまく付き合えて、どれだったらもう付き合えない、嫌というのを考えて動いていけばいいのかなって思います。
うん、今の表現、いいかもしれないです。リスクはなくすものじゃなくて、うまく付き合うもの。付き合えないものは止めればいい。

森逸崎:ほほー。

石田:あと、一歩踏み出せないとか行動できない人に言いたいのが、「怖くて当たり前」ということ。たぶん怖いんですよね、怖いんですよ。どうしようかなー、大丈夫かなーみたいな。でも、この感情は健全だということは、伝えたいですね。どうしてもみんな、成功者の表面しか見ないから。

森逸崎:うんうんうん。

石田:例えば、日本ハムの新庄いるじゃないですか。あの人も、表面は「怖いこと何も考えていない」みたいなイメージ。でも考えていないように見せておきながら、たぶん裏ではめちゃくちゃ考えていて、いろんな計算ができる人だと思うんですよ。そんな感じですね。みんな、裏でちゃんとやってるんだよって。新庄に関しては、怖いものなしという印象が今一番目立っているだけで。

森逸崎:なるほど。
それでは過去の自分や、過去関わってきた、体育会系の「そういう方」達には、なんと伝えますか?

石田:うーん、「環境を変えることは悪じゃないよ」と。
環境を変えるのが悪というのを教えられたことはないですけど、やっぱり「石の上にも三年」が大事みたいな感覚。それは、人によってはそうかもしれないけど、それに限らず、何事も取捨選択が大事だと思います。
「石の上にも三年」という言葉があって、それって、自分に合う考え方なのかな、そうじゃないのかなというところを、たぶん僕は考えてなかったんですよ。
一段飛ばしちゃって、「あ、そうなんだ、自分も石の上にも三年いることが大事だ」みたいな。そこのワンクッションが足りてない人、わりと多いと思うんですよ。

森逸崎:うんうんうん。

石田:僕の本もそうなんですよ、目次からいくと、上から順番に全て自分に当てはめて共感してほしいなって、これっぽちも思ってなくて。自分に合うようなものを、まず自分で選ぶこと。人間、こんなこと言われても別にそんなにすぐ変われないんで。
そこでいうとこの本を書くときに気をつけていたことがあって。この本って、「フリーランスになってハッピー」みたいな本じゃないんですよ。僕の経歴とか、正直に話しちゃうと、僕はフリーになったから、今、幸せなんだ、うまくいってるんだって思われがちなんですけど、そうじゃないんですよ。

森逸崎:そうなるように自ら選択してきた。

石田:そうなんです。それこそ、僕がフリーになったのも、たまたま後輩と飲みに行って、たまたまそういう話をもらったというだけなので。
そのきっかけやその時思ったことも、書籍に記載していますが、だからもともとフリーランスになりたくて、なったわけではないんです。自分はフリーになって良かったから、そういうふうに持ち込むことはできますけど、本の中では、あんまりそういう感じにならないようにしたんですよ。勘違いする方がいるので。
フリーランスになったから、今うまくいっているわけじゃなくて、自分で取捨選択がしっかりできるようになったから、今ちゃんと思い通りにいくように行動できている。

森逸崎:なるほど。
そういった石田さんの考え方や、これまでの経験から具体的に何をどうしてきたのかが、この書籍にキュッとまとまっているということですね。

森逸崎:ちなみに、ご自身で取捨選択ができるようになった理由であったり、きっかけというのは、なんだったのでしょう。

石田:自分が取捨選択できるようになったのは、自分でも振り返りを行なっていることが大きいかもしれないですね。noteでも何でも、自分はどう思っているのか、何を考えているのかを言語化することで、気づくことがありました。
今も、インタビューを受けながら、「こんな感じだったんだ自分」みたいなことを思いました。こういうインタビューで気づくことってあるんですね。

森逸崎:それは、うれしい限りです(笑)

石田:それに、僕の場合は、「何かを得るためには何かを捨てないといけない」ということをフリーランスになる時に知りました。フリーになったときに、自由を得るために安定を捨てたと、僕は思ってます。
今は、そこからもう取捨選択が始まったのかなと思っています。

森逸崎:ご自身の中の「自由」な状態って、どういう状態ですか? 

石田:それは、さっきの自責。自分の責任の範囲で仕事をする。会社とかに縛られないみたいなことは、ある意味、心の自由みたいな。そう、心の自由ですね。これ、結構しっくりきています。
逆に安定というのは、自由な代わりに、人から、お金とか収入とかという安定を与えられませんよみたいな意味の安定。

森逸崎:「自由を得て安定を捨てよう」と決意ができた理由は、何だったのでしょうか? 

石田:うーん、何でしょう。
フリーにならないかという話をもらって、一晩考えました。会社にいて、収入面はもちろん上がりましたよ。上がりましたけど、フリーになって自分の思い通りにできた時、収入が上がらなくてもやってみたい、と思えたというか。要は、おそらく自責の環境に身を置くということを、ずっとしたかったんでしょうね。
だから僕、文章だけ追うと劇的に人が変わったように見えますけど、実は何も変わってなくて。

森逸崎:そうですね。軸が常に自己責任。

石田:そうです。人のせいにしない、自己責任というのがブレていないから。
だから余計に、人に違和感を覚えちゃうのもありますけどね。こいつ何でも人のせいにしやがって、みたいな(笑)
実は、僕はこういう取材とか受けるのも、かつて自分が違和感を感じていた人に今の自分の姿を見せる目的も若干あります。

森逸崎:それでは、5年後、10年後、もしくはご自身が死ぬ前に、どういう気持ちでいたいですか?

石田:それに関しては、「毎日楽しく過ごしたい」ということしかないです。
よく、長期的なビジョンとか聞かれたりするんですけど。それこそ、僕、何も言えないで、そういう何も言えない自分に対して「駄目だな自分」みたいな自己嫌悪に陥ったりをよくしていたんですけど。
でも純粋に、僕は毎日楽しく過ごしていればいいかなって思うんです。これはずっと変わらないし、そのためだったら何でもします。だから書籍タイトルの「明日を楽しむために」というのも、そこから来てるんですよ。「明日楽しみだな」みたいな気持ちでいたいと思って。

森逸崎:うんうん。

石田:明日楽しみがあるから、今日はちょっとしっかりしようとか。もっと楽しむために、こういうことを勉強しようとか。本当に、今日より明日、明日より明後日みたいな。それをやっていければいいのかなって思います。

森逸崎:いいですね。
ちょっと話はズレますが、最近の楽しみは何ですか?

石田:なんだろう。趣味だったら、野球見てるとき。巨人ファンです。
部活は野球部ではなかったのですが、小2で初めて東京ドームへ連れて行ってもらって、生で試合を見てからハマりました。でも確か、ボロ負けだったんですよ巨人(笑)だけど、なぜか自然とハマっていって、今にいたる感じですね。

森逸崎:へえー!

石田:応援してるチームが勝つのは好きですね。でも僕、巨人ファンですけど、アンチともしゃべれるんで。巨人って特に「巨人はクソだ」みたいなアンチな人が多いんですよ。でも僕、そういう人とも楽しくしゃべれますね(笑)12球団全て。話している相手が野球好きって分かって、どこのファンかを聞いたら、それぞれのファンの人たちに話を合わせられる自信があります。それこそ、もともと巨人にいた人が別のチームへ移ってたりするので、その選手の話を聞いたりとか。

森逸崎:いいですね。石田さんが今日よりもちょっと楽しい明日を送るためにも野球は欠かせなさそうです。

森逸崎:それでは最後に、みなさん共通で「もしもの未来」という質問を聞いていまして。
もしも石田さんが、幼少期から「吹っ切れて」いたら。体育会系の考え方に対してNOと言えて、自分の思い描く道を進む力が小さい頃からあったら、今どんな人生を歩んでいたと思いますか?

石田:わー、何だろう、おそらく、日本にいないと思います。
海外で何かしてるみたいな感じかと思います。それこそ、留学したいなーとか、憧れてたんで。

森逸崎:へえー!

石田:そこもやっぱり自分で限界を決めて、なんでか知らないけどフェードアウトしたというのがあるので。もしもの未来だったら、たぶん海外で生活していると思います。
今だと、アメリカで野球見るか、イギリスかスペインでサッカーも見たいです。その国の本場のものを、見たり食べたり楽しんだりしたいなって。

森逸崎:いいですね、楽しい!

石田:そうなんですよね。今さら海外へ移住するというのも、さすがに限度があるって思っているので、仕事とかどうなるかわかんないですけど。

森逸崎:応援しています。
今回のインタビューは以上となります。石田さん、ありがとうございました!

あとがき

やっていることも考え方も感じ方も変わっていっても、「自責」という自分が大事にしている軸は変わらない石田さん。お話を聞かせていただいた後、私の「変わらない軸」は何だろうかと、ついつい思いを巡らせてしまいました。
書籍についてもお話も、切り込み方がスパッとしていて面白いお方でした。「え、そんな言い切っちゃう?」と感じる表現も、石田さんの言葉を見たり聞いたりすればするっと納得してしまう。「オフレコなんですけど」と言いながらもお話してくださった内容もまあ濃ゆい。読者の皆様に公開できないのが残念です(笑)
どっかで一緒に仕事できたら楽しそうだなあ、と思えるそんな方でした。これからも応援しています。

インタビュー担当:森逸崎 海

編集協力:有島緋ナ

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