【AOE2DE】手持ち文明の戦術メモ(5)ブルゴーニュ
こちらの文明別戦術メモシリーズ、第5弾。2021年1月リリースの有料DLC、Lords of the Westで初登場。シチリアと並んで、以後続くDE版でのユニーク城グラフィックの嚆矢となった。
2025年4月のアップデートでフランドル民兵周りの仕様が大きく変更された。この記事はそれ以前に書かれたものだったので、最新情報に基づいて改稿。その後もフランドル民兵はパラメータの調整が続いている。
文明特性と基本戦術
「騎兵文明」。内政テクの先取り研究で領主~城主前半に資源収集量で優位を取れる反面、事前研究に拘りすぎると立ち上がりが遅くなりがち。詳しい計算は割愛するが暗黒で両刃斧を研究すれば領主での木こり2人を節約できる。同じく詳細は省くが引き具は後回しにして畑を早めに張り、斥候・射手2回し・囲って早い進化 のいずれでも一定の戦果を挙げられそう。ぬくりが推奨戦術ではあるが、それを逆手に取っての速攻も効果的。相手文明と索敵結果に応じて柔軟に変えたい。
城主で重騎士へのアップグレード可能かつアップグレードコスト半分で済むため、強い内政を背景に城主中盤~帝王序盤で決めに行きたい。帝王後半になると決め手を欠きがちで、フランドル革命も当初ほどのインパクトはない。↓はdesho氏の金言。2021年の記事だが未だに有効。
- 帝王後期に出せる強い兵は無い、交易をしっかり回して近衛だそう
ユニークユニット
クースティリエ(55F55G、ELアップグレードコスト1000F800G)はチャージ攻撃(+20/EL+25)のできる騎乗ユニット。薙刀のような武器を持つ。リチャージの40秒は1.7倍速の体感で23~24秒に相当。育成時間15秒(EL14秒)は速くもないが遅くもない(騎士は30秒)。EL化のコストも重いし、これ単独で固めるより城主で(重)騎士と混ぜて運用すべき存在かも。
フランドル民兵(新) 30F25G。槍兵属性はなくなった。2025年4月のアップデートで領主の時代から戦士小屋で生産可能になった。8月、コストが削減され、12月のパッチで移動速度が0.94にアップした。時代進化ごとに自動でアップグレードされるのも含め、剣士系統よりややリーズナブルに感じる。
2026年2月、領主で若干弱体化。
領主: HP 40、攻撃力 5、防御 1/1、馬に対して +6、らくだに対して +4。
城主: HP 55、攻撃力 8、防御 1/1、馬に対して +7、らくだに対して +5。
帝王: HP 60、攻撃力 11、防御 1/1、馬に対して +8、らくだに対して +6。
(比較のために残す)
フランドル民兵(旧) 50F15G 帝王ユニテク(下記参照)でフランドル革命を実行した時にすべての農民が変換される。その後にも戦士小屋から生産可能。性能は大まかに言って近衛剣士と矛槍兵の中間と考えておけば良い。数々の弱体化を経ても決まれば強力なのはNAC4でも証明された。
テクと出せないユニットのメモ
鉄工所テクと文明ボーナス
鉄工所で研究できないのは弓鎧3のみ。
伐採所・粉挽所・採掘所の内政テクノロジーや、港の釣り糸、街の中心での手押し車/荷車等を一つ前の時代に研究できる。また、その研究コスト(肉)が-40%('26年5月のアップデートで強化された)
騎兵育成所の研究コスト半減&城主の時代に重騎士を研究可。
火薬ユニット(砲撃手、大砲、キャノンガリオン船系統)の攻撃力+25%。
チームボーナス: 修道所に格納した聖なる箱が金の3分の2量の食糧を生み出す。
城主ユニテク: ブルゴーニュのぶどう園(400F300G)。
畑農民が微量の金を生み出す。
畑60枚張っている時に5分でもとが取れる、という数字がフェアかどうか。DLC実装当初(全ての食料の半分を2:1の割合で金に変換)と比べだいぶ内容が変わったため、ぬくりマップ以外では微妙。プロの大会で終盤に金が枯渇するような長期戦では強い。
帝王ユニテク: フランドル革命(Flemish Revolution)……コストは変動制で、最低コスト200F150Gに、農民1人あたり10F5Gを加算。農民100人のとき1200F650G。
全ての農民をフランドル民兵に変換する。通称「The Button/例のスイッチ」。旧フランドル民兵のコストが50F15Gだったので総コスト15x人数は妥当だったはず。現フランドル民兵は30F25Gなのでだいぶ金コストで得をする計算に。
出せないユニット・使用不可テクノロジー
戦士小屋: 近衛剣士と矛槍兵がそれぞれ出るが、ギャンベゾンがない。また、フランドル革命発動後は領主の時代からフランドル民兵(30F25G)を生産可能。
馬小屋: ハサーと近衛騎士が出るが血統がないため最大HPでは他の馬文明に劣る(-20)。帝王inして即・近衛騎士が研究できること(かつ、コスト半分)は強みだが、いずれ追い越されるものと割り切ること。
弓小屋: 重石弓、重弓騎兵が出ない。弓懸、パルティアン戦術もなく弓鎧3もないため終盤に弓系統を主戦力にはできない。代わりに砲撃手が強力(攻撃力+25%)。
兵器小屋: 白ラム・破城投石機・ヘビスコ等が出せない。代わりに大砲が強力(攻撃力+25%)。
聖職者: ほぼフルアップの強力な聖職者が出る。ただし神政と異端が研究不可のため聖職者バトルをやる人は覚えておく必要あり。
学問所関連: 包囲攻撃技術がなく、兵器の射程が伸びないことに留意(大砲を含む)。また、火砲学が研究不可。火薬ユニットの攻撃力アップは砲台には適用されない。
内政テク: 市場の交易関連テクを含め全てを一時代早く研究可能。また、その食料コスト‐33%。
海軍: 乾ドック、造船技術がないため終盤は失速。また、重爆破工作船アップグレード不可。詳細は割愛。
参考動画の一例
最近のブルゴーニュはいまいち、という動画が上がった矢先のテコ入れ?
キャンペーンシナリオ
ブルゴーニュが主役の「西の大公たち」全6戦がある。ジャンヌ・ダルク(フランク)の宿敵役のほか、アッティラ(フン)やロベール(921)、オットー(936)、バルバロッサ(チュートン)等でブルグント人として登場する。
フランクとの比較
そもそもこの項目を書くために手を付けた記事。フランクは「〇〇が自動」という類の文明ボーナスが多い。何もしなくても果実の採集速度↑、畑が時代進化とともに自動↑、血統が実質無料……など。対照的にブルゴーニュでは文明ボーナスの恩恵を受けるためには能動的に動かねばならない分、やや中~上級者向けとなる。フランク以外の馬文明と比較しても、序盤の立ち上がりの遅れは否めない。逆に低レートで領主まで互いにあまり妨害しないような展開だと優位に立てるケースが多そう、という感触。
対フランク
正直、城主まではフランクのほうが扱いやすく、強いと思う。ブルゴーニュの真の優位が出るのは帝王に進んでからで、近衛騎士の研究が安価かつ早期に可能、ハサーまでアップグレード可能、砲撃手や大砲の性能が優れる、砲台が建てられる……といった搦手要素が重要かもしれない。特にフランクは小手がない分、精鋭散兵の威力がない。また、贖いも償いもないフランク相手には建物や兵器まで含めた転向合戦で一方的に有利になれる可能性がある。そういう意味でもブルゴーニュは玄人向きか……?
対他文明
弓文明、ラクダ文明、象文明等との相性・対処法の違いを考える。
対弓文明: ブルゴーニュは小手があるのでフランクよりは精鋭散兵が使いやすいものの、弓鎧3がないのは同じ。王道はやはり甲冑(馬鎧3)入り近衛騎士での正面勝負か、ハサーを出しての内政荒らしが鍵になりそう。(改良型)投石機の射程が伸びないのは地味に痛い。
対ラクダ文明: 矛や聖職者も強いが、それ以上に(近衛)騎士の数で上回ることを考えたい。
対・象/象弓文明: あらかじめ戦士小屋を多数建てていつでも矛を出せるようにしておくこと。+聖職者マイクロ。
戦績(2024年7月末時点)
チーム戦: 170戦して72勝74敗(他に不戦勝12、不戦敗11、無勝負1)。アリーナでピックした時は案外戦績が悪く62戦して23勝32敗(+不戦勝3、不戦敗4)。大森林で13勝12敗。むしろオープン/セミオープンマップのほうが戦績が良く、アラビアで8勝6敗(+不戦勝2)と勝ち越し、スカンディナビアでの4戦全勝の他オアシスや金鉱でも好成績。最近はアリーナ、大森林(深い森)等の後衛でヒンドゥスタンが被った時などにピックしている。
1vs1: 15勝12敗(+不戦勝1)。低レート時代に多用してアリーナでは12勝5敗、アラビアでは3勝3敗で可もなく不可もなし。2023年4月を最後に使用していない。
負けパターン分析・対策案
クローズ・セミクローズドマップ……前衛が即死でもしない限りは自サイドでの部分優勢は取れているように見える。反面、スニーク小屋や森焼き等の奇策、さらにハスカールR(+矛など)等に翻弄されているがこれは低レート時代の対戦が多いからもある。今なら相手文明を見てあらかじめ剣士&砲撃手へのスイッチを用意するところ。1vs1でもそうだが、しっかり内政を伸ばして適切なユニットが出せた時は勝てている(当たり前の話……)。
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歴史のうんちく
日本語名「ブルゴーニュ」はフランス語のBourgogneのカナ読み、英語での綴りはBurgundians-ブルグンディアン=ブルグント人の意味。
ブルグント人の歴史
スカンジナビア起源とされるブルグント人が歴史に登場するのは4世紀なかばのこと。当初、現ポーランド中央部のヴィスワ川流域に居住していたという。ゴート族の一支族であるゲピド族に敗北して滅亡寸前となったが再起。5世紀に入るとゲルマン民族の大移動の結果、ライン川左岸地域に定住した。この第一ブルグント王国は437年にフン族の傭兵によって滅ぼされ、叙事詩『ニーベルンゲンの歌』のモチーフの一部となっている。ブルグント人はその後、アエティウスにより移住させられ現フランス南東部のヴィエンヌを首都として第二ブルグント王国を形成。カタラウヌムの戦いや、西ゴート族のスペイン遠征に参戦。西ローマ末期皇帝の盛んな改廃にも関与している。フランク族の王との姻戚関係もあり次第にフランクの属国化。534年にフランク族に滅ぼされ、その後はメロヴィング朝の一部となった。後のブルゴーニュ公領の名前の由来の一つではあるが、基本的には無関係。
ブルゴーニュ公国の興隆
ブルゴーニュ公領とはフランドル地方(現在のベルギー、オランダ)と飛び地のフランス南東部にまたがる広大な領地。かつてのブルグント王国の領域であることに由来。11世紀前半からはカペー家傍系のブルゴーニュ家が統治していた。現在のフランス東部、フランシュ=コンテのブルゴーニュ伯領とはもともと別であったが、後述の婚姻により一体化した。ヴァロワ朝フランス時代、百年戦争継続中の1361年に当主が早世して王家直轄領となる。1363年、王弟のフィリップ2世(豪胆公)が封ぜられ、後にブルゴーニュ女伯兼フランドル女伯の婿となったことで広大な同君連合が成立した。ブルゴーニュでは紀元前600年ころから既にブドウの栽培が盛んで、ローマ帝国後期の4世紀には銘醸地のひとつになっていた。豪胆公はコート・ドールにおいてブドウの品種ガメイを禁止してピノ・ノワールの導入を促し、当地で醸造されるワインの商品価値がさらに高まった。これは城主ユニテク「ブルゴーニュのぶどう園」の元ネタを思わせる。
1407年、2代目のジャン1世(無怖公)は王弟のオルレアン公ルイと対立してこれを暗殺。またリエージュ(現ベルギー東部)での反乱を鎮圧(キャンペーンシナリオの第1戦)。その後、イル=ド=フランス(パリ周辺)を占拠していたÉcorcheur(追い剥ぎ団)を掃討しオルレアン派の残党を制圧した(2戦目)。この頃からイングランド軍が内乱へ介入する機を伺うようになる。
アルマニャック派との抗争
1413年にパリでブルゴーニュ派の屠殺業者や聖職者が暴動を扇動したことへの反発から、王・王太子がアルマニャック派に救援を求め、無怖公らはパリを退去。これが3戦目開始時の状況である。コンピエーニュ・ソワソンなどが敵方になっているのはこれが理由。しかし1415年にイングランド王ヘンリー5世が好機と見て再侵攻。アジャンクールの戦いでアルマニャック派の主力が壊滅。1418年に至ってアルマニャック伯がパリの暴徒に暗殺され、ブルゴーニュ派の軍がパリへ入城。ここまでが3戦目。ちなみにゲーム内では城壁のカドからパリ北部の城にこっそり侵入し、背後からベルナール7世を暗殺することが可能。時間切れになるとイングランド軍の介入で敗北になるなど芸が細かい。ジャン無怖公は翌年、アルマニャック派が擁立していたシャルル王太子(後のシャルル7世)との和解交渉に出向いた先で暗殺される。
百年戦争の結末
3代目のフィリップ善良公は当初、イングランドと同盟、王家と重縁を結んだ。またカンブレーを訪問して連携を試みたり、後継者のいないナミュール伯領を継承して勢力を拡大。しかし従妹でエノー女伯のジャクリーヌと結婚したグロスター公ハンフリー(英国王の叔父の一人)がネーデルラントへ出兵したためイングランドとの同盟関係も決裂に向かう(4~5戦目)。最終的にジャクリーヌの領土すべてを入手してブルゴーニュ公領は大幅に拡大した(~1428)。その後、善良公は王太子(1429年7月に即位してシャルル7世)との和解に向かう。善良公の妹婿でイングランド王の叔父であるベッドフォード公はオルレアン包囲戦を敢行、ブルゴーニュを戦争に引きずり込もうとするがジャンヌ・ダルクの活躍により包囲網は破られ、周辺のイングランド軍も掃討される。1430年のコンピエーニュ包囲戦ではフランスとの休戦協定が切れていたためイングランド側で参戦。ショワジー=ル=ロワやマルニーを足がかりにコンピエーニュにいたジャンヌを捕らえてイングランド軍に引き渡す(6戦目)。が、攻囲自体は敗北に終わりフランスと改めて休戦。1435年までにアラスの和約でフランス王家と講和し、百年戦争はフランスの勝利へと向かう。ジャンヌ・ダルクのキャンペーンシナリオも参照。戦争は1450年のノルマンディー奪回、1453年のボルドー奪取により終結した。
ブルゴーニュ家は王弟から始まったこともあり、フランス王家とイングランド王家の長い争いを背景に漁夫の利を得て勢力拡大を目論んだように思える。ジャンヌ・ダルクやその周辺の「愛国者」からすればフランス国家に対する裏切り行為にも見えただろう。そしてそれは3世代にわたる立ち回りと巧みな統治によって概ね達成されたが、次代であっけなく終焉を迎える。
凋落・解体
ブルゴーニュ公国の経済・軍事や文化芸術等はここでヨーロッパ最高水準となったが、次代のシャルル突進公が1477年にナンシーの戦いで戦死すると後継者もなく瓦解。シャルルは神聖ローマ帝国の方向に領土的野心を持っていたようだが、緒戦でスイス傭兵に敗れ、早々に挫折してしまった。彼の構想した軍は重装騎兵、弓騎兵、弩兵など複雑な諸兵科連合と野戦砲の組み合わせからなり150年ほど時代を先取りしたものであったが、時代とインフラが追いついておらず運用には障害が多かった。またスイス傭兵のパイク(≒AOE2でいう長槍)に対抗できず有効に機能しなかった。
ネーデルラントを含むブルゴーニュ公領は、公の死後は娘婿を通してハプスブルク家領となる。皮肉なことに、女系から出た曾孫が神聖ローマ皇帝(兼スペイン王)カール5世(在位1519-56)となることでシャルル突進公の野心もある意味で実現された。1529年の貴婦人の和約により、旧ブルゴーニュ公領のうち北部のフランドル、アルトワ、トゥルネーは神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)に帰属。他の公領は改めてフランスの領有権が認められた。以後の歴史は近世フランス史に合流する。
フランドル革命の元ネタ
フランドル伯領はフィリップ4世により1297年にフランスに併合され、ジャック・ド・シャティヨンが総督となっていた。しかしその支配が過酷だったため、市民の反乱が起こる。1302年の金拍車の戦いで歩兵中心のフランドルの都市連合軍が騎士中心のフランス軍を破ったとされ、これがフランドル革命の元ネタとして有力。英語版のFlemishとは「フラマン語の」「フランドルの」を意味する。
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
— アプロ (@rUyaCVtIiRxgC9M) June 30, 2019
1302年、農民と町民からなるフランドル伯の軍隊は、ほぼ同規模のフランス王の軍勢を粉砕した。
よく訓練された歩兵たちは騎士の突撃にも怯まず長槍で食い止め、脚が止まった騎士をこん棒で撲殺した。
2500人のフランス騎士のうち、1000人が死んだとか。 pic.twitter.com/29fGSWq9uJ
ゴーデンダッグ:14世紀のフランドルの民兵が使用した棍棒と槍を組み合わせた武器。90〜150cmの木の棍棒に穂先を付けただけのシンプルな構造だが、刺突も打撃もでき攻撃力は高い。フランドル戦争ではこの武器を持った歩兵や農民兵にフランスの騎士が散々に打ち負かされたという。 pic.twitter.com/9ArSb80I6m
— 世界の武器防具百科!! (@emonok1) January 15, 2026
これ勘違いしてはいけないのは「この武器だったら甲冑も余裕」ではなく「この武器なら甲冑と戦ってもワンチャンある」なんよね。
— 道具屋こうじ (@KqkeeYEYjGlxeJz) January 16, 2026
当時の常識から言ってそもそも甲冑相手はほぼ無理ゲーな武器はそこそこあった(刃物系は原則キツイ)。… https://t.co/sT8JleNpCB
後に、1566年には宗教改革がフランドル地方にも波及し、カトリック教会とスペイン・ハプスブルク朝に対しプロテスタントが蜂起。暴動は拡大し北部ネーデルラントを制圧。北部諸州はネーデルラント連邦共和国(現オランダ)として独立。これもフランドル革命の元ネタの一つであろうか。南ネーデルラントはハプスブルク領にとどまり後のベルギーやルクセンブルクとなった。
