【AOE2DE】手持ち文明の戦術メモ(2)フランク
こちらの記事の第2弾です。
正直なところフランクは最近あんまり使ってないけど、後衛文明最強の一角かつ弱点もはっきりしているので取り上げる。すべての馬文明(+ラクダ文明)の基本であり応用が効くので。
文明選択は、極論すれば最初はフランクとブリトン以外触る必要がないんだよな。Interactive Build Order Guideで定番のビザンティンやサラセン、マジャール等は「文明による内政ボーナスがない」からこそ選択されている。あれで練習しておくと資源ボーナスのある文明では色々余る。
— Tamejirou (@Tamejirou) April 19, 2023
2025/7/2追記: 最近のテンプレートに沿って改稿しました。
文明特性と基本戦術
「騎兵文明」。序盤から果実の作業速度アップと畑のアップグレード自動による食料ボーナスが大きい。かつ実質血統が無料。素直に斥候から騎士に繋げるのが王道。
天敵: ラクダ文明全般(特にヒンドゥスタンやグルジャラ、サラセン)、聖職者、ジェノヴァ石弓(イタリア)、チュートンナイト、トルコ即帝王の砲撃手etc.
象・ラクダに対しては矛/聖職者。聖職者に対しては騎兵(ハサーは出ない)。矛を含む歩兵全般に対してはフランカスロウ/砲撃手。小手・弓鎧3がなく重石弓も出ないのが欠点。相手の(重)石弓やジェノヴァ弓の数が多いときは(改良型)投石機の投入も可? フランカスロウを使うなら城主ユニテクで射程を伸ばす。帝王ユニテクのためにも、城は複数建てておきたいところ。
普通にやってるだけで圧倒的に農民人口が増えるフランク、やっぱりなにかおかしい(26+2から石は改めて掘って4TC pic.twitter.com/ZeOtDcAUnY
— Tamejirou (@Tamejirou) December 24, 2023
ユニークユニットと天敵
ユニークユニットのフランカスロウ(55F25G)は手斧を投げつける歩兵。英語圏の実況では「Throwing Axeman」や「Axe Thrower」など。初期射程3、EL化で+1、城主ユニテクで更に+2。素の攻撃力7(ELで8)は長剣剣士(9)には劣るものの鉄工所で同様に強化可能。訓練時間は13秒、EL化コスト850F550G。以前は中盤の長槍/矛対策や、城に取り付いたラム破壊目的で生産しても良い、という程度だったが射程+2ともなればマムルークやグベト並に活躍の余地もでてくるか。
天敵は、騎乗ユニットや、射手・砲撃手等の「本当の」射程ユニット。
内政面
収穫する人の作業速度+15%……最序盤に食料資源が豊富になるのはメリット。また、カワサンや灌木地等の特殊なマップで強く働く。
粉ひき所の技術が無料・自動……畑の更新タイミングが遅くて済むため中~終盤に木材が節約できる。
テクと出せないユニットのメモ
鉄工所テク
小手と弓鎧3がない。重石弓もなく、精鋭散兵を出したとしてもイマイチ。
文明ボーナス
・領主の時代から騎乗ユニットのHPが+20%
騎士については実質的に血統(HP+20)以上の効果がある。騎兵はHP72までしか上がらないので他文明の血統入り騎兵・ハサーにはやや劣る。
・城主の時代に城のコストが-15%、帝王の時代に-25%
城が安価になる(城主553S/帝王488S)ので積極的に建てておきたい。
チーム ボーナス: 騎士系の視界が+2
地味に有用。
ユニークテクノロジー
城主ユニテク: ビアードアックス(300F300G)
フランカスロウの射程+2。(2025年8月アプデ以前は+1)
帝王ユニテク: 騎士道(600W500G)
騎兵育成所の作業速度+40%。重騎士・近衛騎士アップグレード所要時間(それぞれ80秒・170秒)も短縮されるとはいえ、これ自体の研究に40秒かかる。最大で70秒以上早く研究完了できるのは魅力だが、タイムアタックではないのでその分小屋を多く建てて騎士の数を増やすほうが有効ではないかと思われる。
出せないユニット・使用不可テクノロジー
戦士小屋……フルアップの近衛剣士/矛槍兵が出せる。
弓小屋……重石弓へのアップグレード不可。重弓騎兵は出るが、弓懸・パルティアン戦術が使えない。
馬小屋……文明ボーナスでHP+20%のかわり、血統がない(ほぼ上位互換)。ハサーへのアップグレード不可
兵器小屋……白ラム、破城投石機使用不可。
聖職者……贖い、償い研究不可のため兵器や建物、聖職者を転向できない。
学問所……人力起重機、火砲学のほか監視塔、砲台使用不可。
その他……土木技術研究不可研究可能。
内政テク……石の掘削、両引きのこぎりが研究不可
海軍……造船技術がなく、機動キャノンガリオン船へのアップグレード不可。焼夷兵器なし。詳細は割愛。
戦術の考え方
チーム戦での役割は、後衛でしっかり内政を整えて(近衛)騎士を出すこと。近衛騎士にすること自体が目的ではないので、戦場で手遅れにならないように適切に(重)騎士を出すこと。普通にやれば内政はモリッと伸びる。
オープンマップ……基本的には後衛で斥候を数体出して城主進化を急ぐ。3TC騎士2回しを続けていればだいたい勝手に帝王進化の資源が貯まる。ただ、前衛でも斥候を出す人はよく見る。ダブル斥候はハマれば強いが槍を出されると惨敗。また後衛に直撃するのは大戦果になることもあるが、前衛どうしの戦線で負けては本末転倒。あくまで奇策の範疇か。大森林の前衛で早い帝王進化から大砲+騎士を見かける。有力だと思う。
畑を張るタイミングについて。できれば領主inしてから畑を張り始めたい。アリーナでは城主inしてからが理想。そのためには一時的に果実に6~8人が群がるのもやむを得ない。粉挽き所の建て方に工夫がいる。粉挽き所テクのボーナスは、「畑を更新するタイミングが遅くなる」という表れ方をする。その分、しっかり小屋を建てて兵を回すのが最も有効活用できると思う。
なお、AI2vs2などオープンマップでフランクを使わせると、よく射手スタートしている。1vs1等でも射手から散兵を誘って、斥候にスイッチするのはフランクに限らず馬文明全般で有力。
格ゲーで迷わず強キャラを選べという話、AOE2ならブリトンやフランクでまずは普通のプレイを覚えよ、ということなんだろうな。
— Tamejirou (@Tamejirou) August 29, 2022
戦績
後衛で33戦して16勝16敗1無勝負(2024/3/1現在)。切断や序盤の放棄を除いた31戦のうち、アリーナで6勝11敗、要塞で2勝。オープン/セミオープンマップで8勝4敗。特にアリーナでは逆サイがひどく負けない限りは優勢か互角を堅持できているもよう。
前衛で使用した場合は1勝4敗。大森林で城主速攻にやられたケースが1、逆サイ負けが2、後は2022年の対戦なので割愛。
負けパターン分析
・後衛に直攻されて騎士が出ない……面倒でも最低限の柵と槍兵を出しておくこと。
・前衛に対し的確な支援ができない、味方前衛の即死……領主で斥候を出す。ただし決定力はないので6~10体程度にとどめて進化を急ぐ。
・金が尽きる(交易できてない)……マップにもよるが交易をしっかり整える。
・スコーピオンを溜めた相手への対処……(改良型)投石機や大砲
・対面との力量差……こればっかりはしゃーない
キャンペーンシナリオ等
ジャンヌ・ダルクのキャンペーンシナリオ(1429-53)はAOKリリース時からの看板キャペーンで、初心者向きでもある。他にカール・マルテルのトゥール(732)やウィリアム征服王のヘイスティングス(1066)などがフランクとしてプレイ可能。他にブルゴーニュのキャンペーンシナリオで敵役として出るほか、シチリアの実装前はノルマン人役で登場することもあった。
「勝者と敗者」DLCでの登場についてはこちらの記事も参照。768年~のシャルルマーニュ、921年の西フランク王ロベール1世などがプレイ可能。
2024/4/18追記: Heraのこちらの動画でも、フランクは初心者がマスターすべき文明ナンバーワンとして紹介されました。
以上です。他の騎馬文明を扱うときもこのあたりの話をベースに展開します。ご意見・ご感想はツイッターまで
歴史のうんちく
フランク人とはゲルマンの一部族。francus、franciの語義は「勇敢な人々」「大胆な人々」あるいは「荒々しい」「猛々しい」「おそろしい」等であるとされ、Frankly speaking、To be frank等「率直に言って」を意味する慣用句にそのニュアンスが残っている。
フランク王国以前
フランク人が記録に登場するのは帝政ローマ後期に入ってからで、241年頃の出来事を歌った行軍歌が『皇帝列伝』(4世紀)に収録されている。はっきりした起源は不明だが、ドナウ川中流域のパンノニアから現ドイツ中央部付近へと移住したという伝承がある。定説では3世紀なかばまでにライン川とヴェーザー川の間の地域に居住するようになった複数の部族の総称として始まった呼称だとされる(「フランク人の〇〇族」のような存在が複数あった)。後に皇帝となる「背教者」ユリアヌスはガリア(現フランス)の軍司令官であった頃(355-360)、撃破したフランク人の一部族であるサリ族を国境内に移住させた。定住したサリ族からは執政官になるものも現れた。また5世紀なかばに西ローマ帝国がガリアを放棄した後もローマ軍の傭兵となり、カタラウヌムの戦い(451)にも参戦してフン族の王アッティラと戦っている。この時の指導者の孫にあたるクローヴィス1世がフランク王国を建国(481年頃~508年以降に完了)し、メロヴィング朝の時代が始まる。もちろん、彼らのようにローマと同盟関係を結ぶことなくローマ領内を荒らし回っていた他のフランク人諸部族も存在した。「サリ族」という特定の部族がいたというよりは、ゲルマン諸部族の中で末期ローマに帰順して相応の地位と権力を持つようになったものが「サリー・フランク人」、対照的に蛮族的に侵入と寇略を続けたものが「ライン・フランク人(リプアリー・フランク人)」にそれぞれ収斂したと理解すべきかもしれない。
メロヴィング朝・カロリング朝期
クローヴィス1世は祖父の代以来のローマとの友好関係を破棄し、北部ガリアの支配者であったシアグリウスをソワソンの戦いで打倒(486年)。ライン・スイス地方を制覇し、507年には西ゴート王アラリック2世(ローマを寇略したアラリック1世の曾孫にあたる)を敗死させピレネー山脈以南に追い出した。511年に没するまでに周辺のフランク人王国を攻略または謀略により奪取し、東ローマ皇帝アナスタシウス1世からもその地位の承認を受けた。メロヴィング朝フランク王国はその後、西暦700年過ぎまで数世代にわたり分割相続と再統合を繰り返していく。その中で台頭したのがフランク王国北東部アウストラシア(東王国)の宮宰の家柄であったカロリング家で、年少の王が続く中でピピン2世(中ピピン)とカール・マルテル(688-741)父子に至るまで数世代に渡って勢力を蓄えた。カール・マルテルは庶子であったため父の正妻により幽閉されていたが脱出。ネウストリア(西王国)の宮宰を破って718年にはフランク王国全体の宮宰となった。盛んに外征を行った他、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝軍を撃破。これは「歴史上の戦い」のトゥールで体験可能。息子の小ピピンが宮宰位を継承し、教皇の権威を背景に751年に王位に就いてカロリング朝を興した。カール大帝(シャルルマーニュ)はその息子である。しかしカロリング朝もまた分割相続を繰り返し、西部(西フランク王国)、東部(東フランク王国~後の神聖ローマ帝国)、中部(ロタール、後にイタリア北部のみへ)に分かれそれぞれの歴史をたどることとなる。
西フランク王国の成立から中世フランスへ
カロリング家が西フランクでの支配に興味を示さなかったため、ロベール家のパリ伯ウードが888年に王に推戴された。彼はノルマン人の侵入を撃退して声望を高めた人物。弟は後のロベール1世。ウードの死去後はカロリング家のシャルル3世が即位していたが、ロートリンゲンへの偏重や外戚の重用などで貴族の反乱を招く。ロベール1世は922年に推戴されて戴冠。翌年の会戦でシャルル3世を撃破して捕らえるが負傷がもとで死亡。この時期の抗争は「勝者と敗者」DLCで扱われている。後にロベール1世の孫にあたるユーグ・カペーが987年に即位してカペー朝を開くことになる。AOE2フランクの文明ロゴはこのカペー朝の白百合の紋章がモチーフ。12世紀後半から名君を続けて輩出しカペーの奇跡と呼ばれるとおり王権の強化が進んだ。しかし第7回十字軍(1248-54)・第8回十字軍(1270)は財政面での大きな負担となった。
国王ルイ9世までが捕虜となった第7回十字軍の顛末についてはサラセンのページも参照。また14世紀に入るとローマ教皇庁と対立してアヴィニョン捕囚を起こすなど、宗教的権威からの自立が進んだ。
1328年にシャルル4世が嗣子なく死去すると傍系のヴァロワ朝に王統が移る。しかしこれに対しフィリップ4世の外孫でシャルル4世の甥にあたる英国王エドワード3世が相続権を主張して介入し、百年戦争(1337-1453)が勃発する。有力貴族のアルマニャック派とブルゴーニュ派の内部抗争はブルゴーニュのキャンペーンシナリオで追体験できる。また、1415年のアジャンクールの戦いやジャンヌ・ダルク(1412頃-31)の活躍もこの時代のこと。詳細は下記の記事も参照。
紆余曲折を経て英国王家は大陸側の領土を喪失し、百年戦争は終結。現在の国境線に近い領土をもってフランスの国民意識が形成されることになった。
近世~現代フランス
これ以降はAOE2の時代からは外れるので概略に留める。ヴァロワ朝はその後、イタリアへ領土的野心を向けるがハプスブルク家により挟撃されて敗北(イタリア戦争、1494~1559)。宗教紛争が激化する中、1589年に至って第13代国王アンリ3世が暗殺され王統が断絶。ルイ9世まで遡る遠縁筋のブルボン家へと王統が移る。ブルボン朝は対外戦争の戦費で疲弊してフランス革命(1789)を招いた。その後ナポレオン戦争を経て第三共和政が成立。複雑な国際情勢の中で取り組んだ勢力均衡策の結果として世界大戦が勃発。本土だけでなく海外植民地を含め多くの場所が戦場になった。続く第二次世界大戦では早々にパリが陥落したもののド・ゴールの亡命政権(自由フランス)やレジスタンスの抵抗は続いた。1944年6月にパリが解放され臨時政府が帰還。戦後に第四共和政が発足するが海外植民地が次々に独立。ついで1959年に第五共和政が成立してからはサハラ砂漠での核実験(1960)を経て核武装したほか、ド・ゴールの強権的統治が始まったが、五月危機、金価格高騰によるゼネストなどを経て1969年に辞任。その後はEC(後のEU)結成、冷戦終結とドイツ再統一などの歴史的事件を経て欧州の一角を占める大国としての地位を確立している。近年の移民問題での苦悩は、そもそもがローマ帝国のガリア属州への侵略者として始まった民族・国家であり、また十字軍の主体の一つとしてムスリムと戦った長い歴史を持つだけに皮肉を感じる。
