【AOE2DE】文明別戦術(18)サラセン
苦手文明シリーズ第2弾はサラセン。最近、ルーブル美術館とのコラボ企画でアイン・ジャールートの戦いをモチーフにしたカスタムキャンペーンシナリオが登場した。
Louvre Partnership - Age of Empires - World's Edge Studio
こちらの記事の後半も参照。
AOEニュース AOM日本参戦。ルーブルマムルーク朝展|fleuret(AOE2 / AOM)
文明特性と基本戦術
「らくだと海軍の文明」。市場での有利な売買を活用した早い進化は様々なビルドオーダーに組み込まれている。徒歩射手に柵を割られて痛い目に遭ったことのあるプレイヤーも多いはず。序盤は射手で相手の囲いの手薄なところを突くのがセオリー。斥候~騎士へと進めてもよいが、重騎士以降は使えないので騎乗ユニットはラクダかハサーへ切り替えていく必要がある。終盤は重石弓にユニークユニットのマムルークを添える編成が良く、兵器類も強力。マムルークは金コストが重いものの、機動力を持つ射程ユニットかつ騎士に強いため、慣れないと対処が厄介だろう。内政ボーナスは市場売買絡みのものに限られるため、石を売り買いするなど活用法を押さえておくこと。他に、深くは触れないがガレー船の攻撃速度+25%は海戦マップでは脅威。
ユニークユニットと天敵
ユニークユニットのマムルーク(55F85G)はラクダに乗って短剣を投げつける一種の射程ユニット(射程3)。訓練時間は23秒と長め。EL化(600F500G)で攻撃力がアップする他にアタックディレイが半減するのが非常な脅威となる(2025年8月アプデで、EL化でのHPアップは削除)。金コストが重いので数をためるのは大変だが、一旦まとまった数が出ると手が付けられない。天敵は、射手や槍兵系統の他に聖職者。意外なことに対ラクダのボーナスはないため、ラクダも有効。
2026年2月追記: 弓騎兵属性はないが、散兵やジェニトゥールからボーナスダメージ+2を受けるようになった。
内政面
市場の取引手数料が5%のみで済む。例えば通常文明が石200を売っても対価は金約181だが、サラセンが石200を売ると約245の金が得られる。これに加え必要なら木も売り、肉を買って進化するのがセオリーのようになっている。また、後にTC増設のため石100を買い戻すケースでも通常金166程度必要なところが金136以下で済む。これにより例えば石切り場に採掘所を建てるのを省いてもトントンで済む、進化時間を短縮できる等のメリットがある。
市場の木材コスト-100。ついでに言うと、木材75で4x4マスの建物が建つのは、射手に対する防衛でかなり有用だという。
テクと出せないユニットのメモ
鉄工所テク
鉄工所テクは3兵種3段階すべて研究可能。
文明ボーナス
らくだユニットのHP+25%……陸戦における重要なボーナス。
ガレー船系列の攻撃速度+25%……海戦ではかなり有利。
輸送船のHP+100%、輸送能力 +20。最初から40体のユニットを輸送できるということ? 要確認
チーム ボーナス: 射手と散兵系列ユニットの建物に対する攻撃力+2
深い森等の柵で囲った部分などはあっという間に突破できるので、相手チームにサラセンがいる場合は領主戦の構えが必要になる。もちろんこれをスルーしてぬくるのも自由。
ユニークテクノロジー
城主ユニテク: ビマリスタン(300W200G)……聖職者が周囲の複数のユニットをパッシブで回復。チーム戦、1vs1問わず、かなり有用なテクノロジー。
帝王ユニテク: カウンターウェイト(650F500G)……遠投投石機と投石機系列の攻撃力+15%。計算方法にもよるが、該当ユニットが20台以下ならば単純に数を増やしたほうが良さそう(計算例: 6~7台しか出ていない時に+1台分の効果が得られるとしてこのコストは妥当か?)。
出せないユニット・使用不可テクノロジー
戦士小屋……フルアップの近衛剣士が出るが、矛槍兵へのアップグレード不可
弓小屋……重石弓、精鋭散兵、弓騎兵等すべてフルアップ可、砲撃手使用可
馬小屋……ハサー、重装ラクダともにフルアップ可能だが、騎士から重騎士へのアップグレード不可。
兵器小屋……白ラム、破城投石機、大砲が出せるがヘビスコへのアップグレード不可。
聖職者……すべてのテクノロジーが研究可能で、城主ユニテク込みで全文明最強の一角。
学問所……建築学(建物強化2段階目)、砲台、火砲学等が研究不可。
内政テク……石の掘削、輪作が研究不可。組合使用不可だが上述のようにもともと売買手数料が安い。
海軍……高速火炎船へのアップグレード不可、造船技術使用不可。詳細は割愛
戦績
チーム戦で相手にサラセンがいるときの勝率が37.5%と低い。対ベンガル入りチームと並んでダントツ。ラクダやマムルークを苦手とする時期が長かったのと、深い森や隠れ家などで柵を割られて(逆サイド含め)即死、というパターンが一定数あるようだ。1vs1で積極的にピックしたことはない。ランクマッチ始めて半年くらいの時にアリーナで3度対戦して2勝1敗。
参考動画
キャンペーンシナリオ等
AOKからあるサラディン(1168–1191)のメイン文明である他、十字軍・モンゴル系キャンペーンシナリオの敵役で頻出。他に、AOC時代にはベルベルが文明として存在しなかったためエル・シッドに登場するムーア人がサラセン文明だったりした。
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以下はゲームに関係ない余談です。
歴史のうんちく
サラセン人というのは中世ヨーロッパにおける中東~北アフリカのムスリム(イスラム教徒・及びその諸国家)に対する他称なので、「我々はサラセン人だ」という人々が歴史上に存在したわけではない。大元の由来はアラビア半島北西部の遊牧アラブ人を指すギリシア語/ラテン語。後にアラブ人からムスリム全般へと拡大した。ムスリム側も西欧人を総称してフランク人と呼んでいたのでおあいこである。
マムルークとは
またマムルークとは本来、10~19世紀までのイスラム世界における奴隷身分の軍人を指す言葉なので、例えば「モナスパ」「ザンジュ」等の奴隷戦士とも同じ枠ということになる。アッバース朝やアイユーブ朝の奴隷出身の兵士やマムルーク朝の軍人たちがラクダに乗ってシミター(短剣)を投げつけていたというような史実は、存在しない。

キャプチャ画像の出典: 10 Historically Bonkers AoE2 Units-SotL
サラセン文明のモデル
ゲームにおけるモチーフはウマイヤ朝(661-750)、アッバース朝(750-1258)等のイスラム帝国の他、ザンギー朝(1127~1250)、アイユーブ朝(1169~1250)、マムルーク朝(1250~1517)等の諸政権であると思われる。
前者は中東~アラビア半島のアラブ人の他、ターリク・イブン・ズィヤード(ベルベル)のキャンペーン(711-732)やトゥール(732)で登場。後者は十字軍(狭義・1095-1303)の敵役としてAOK時代からゲームに欠かせない存在。エル・シッド(スペイン、1072-1099)はイベリア半島の早期レコンキスタをモチーフにしたシナリオだが、AOCのリリース当時はベルベルがまだなかったのでサラセンが主要文明として登場する。その他、フランシスコ・デ・アルメイダ(ポルトガル)やヨディト(グディト、エチオピア)等、東アフリカ~インド洋を舞台にしたシナリオで諸勢力(原住民や商人)として登場する。
正統カリフ~ウマイヤ朝期
7世紀はじめ、サーサーン朝ペルシアが周辺所勢力との戦争で衰弱した空白を埋めるようにイスラム教団が勃興し、僅かな年数でアラビア半島の諸部族を改宗させ傘下に収めた。4代の「正統カリフ」時代にはニハーヴァンドの戦い等を経てサーサーン朝を滅ぼし、更にシリア、エジプトへ勢力を拡大。661年にシリア総督であったムアーウィヤがカリフ位を奪取して世襲を始め、ウマイヤ朝が成立した。西はモロッコ・イベリア半島へ進出。ピレネー山脈を越えての侵略を試みたが、カール・マルテルらに阻まれた(これらの戦役はベルベルのキャンペーンシナリオ、「ターリク・イブン・ズィヤード」や「トゥール」で取り上げられている)。東はトランスオクシアナ(現パキスタン・アフガニスタン圏)まで領土を拡大。
しかし8世紀半ばになると被征服民族の不満を背景に非アラブ人ムスリムが蜂起。アブー=アル=アッバース(サッファーフ)らが750年にウマイヤ朝軍を打倒し、アッバース朝が成立した。彼は非アラブの支持を受けてカリフ位に就いたにも関わらずアラブ人派に鞍替えしたため禍根を残した。翌年には唐とのタラス河畔の戦いで勝利している。第8代カリフのムウタスィム(在位836-842)はマムルーク(軍事奴隷)を導入した他、民族の象徴のモチーフとなったマルウィヤ・ミナレットを建築したが衰退をくい止めることはできなかった。10世紀には各所で地域政権が乱立し、アッバース朝による支配は形式的・権威的なものへ移行。カリフとスルタン・アミール位の分離は、日本の室町時代後期における天皇家や幕府と守護大名のような構造と比較可能かもしれない。13世紀にはモンゴルによるバグダード侵攻(1258)で一旦完全に滅亡するも、マムルーク朝のバイバルス(後述)によって傍系の人物が擁立され、1517年にオスマン帝国によってマムルーク朝が滅ぼされるまで存続した(カイロ・アッバース朝、1261-1517)。イスタンブールに移住した最後のカリフが1543年に死去し、オスマン皇帝がカリフ位継承を認めなかったために完全に滅亡したとされる。
マムルークたちの時代
さて、10世紀の地方政権乱立時に目を戻すと、カスピ海南岸から興ったブワイフ朝(932-1062)がカリフを庇護下においてイラン・イラク地方を支配するようになっていた。ここへテュルク系のトゥグリル・ベグらが到達し、セルジューク朝(1038-1194)を興した。この経緯は「勝者と敗者」のセルジュークのシナリオ(タタール)で扱われているがサラセンの歴史からは離れるので割愛。
12世紀に入ってセルジューク朝が十字軍諸国家によって蚕食される中、テュルク系マムルークの息子であったザンギーが自立、シリアでザンギー朝(1127-1250)を興し十字軍国家のエデッサ伯国を奪う(1144年)など活躍した。サラディン(サラーフッディーン、クルド系軍人)は、父の横死ののちザンギー朝第2代君主の臣下となっていたが、数度のエジプト遠征を経てファーティマ朝(909-1171)の勢力を継承しアイユーブ朝(1169-1250)の創始者となった。背景にはムスリム諸勢力の内訌があり、そのあるものは十字軍国家のエルサレム王国と結ぶことすらしていた。この経緯はサラディンのキャンペーンシナリオ(1168-1191)で取り上げられている。アイユーブ朝は後に、1244年にホラズム兵を雇ってエルサレムを奪回し、第7回十字軍(1248-1254)をカイロに呼び込むことになるがこれも撃破。しかし戦役中の1249年に病床にあったスルタン・サーリフが死去すると後継者はマムルーク軍人たちを冷遇しようとしたため、クーデターが発生。紆余曲折を経てテュルク系のアイバクが即位、マムルーク朝(1250-1517)を創設する。この時代になるといよいよ、かつてのアラブ人に代わりコーカサス・中央アジア出身で元奴隷の軍人たちが主役になっていく。クマンの記事も参照。
後にマムルーク朝の第5代スルタンとなるバイバルスもキプチャク草原出身の奴隷軍人。この第7回十字軍との戦いでも活躍したがアイバクらに危険視されて追放されシリアやヨルダンを放浪することに。1258年に上述の通りモンゴル軍によってバグダードが陥落すると、第4代スルタンとなっていたクトゥズとの間に和解が成立し、アイン・ジャールートの戦い(1260)でモンゴル軍を撃破(これが2025年6月のルーブル美術館コラボのカスタムキャンペーンの背景である)。モンゴルの脅威が去るとクトゥズはバイバルスを冷遇しようとしたため、バイバルスらは共謀してクトゥズを殺害。自ら第5代スルタンとなり各方面へ遠征して版図を広げた他、アッバース朝最後のカリフの叔父にあたる人物を庇護・擁立するなどした。1277年に死去し、スルタン位は元部下の有力者とその子孫へ継承されていく。バフリー・マムルーク朝と呼ばれる時代であった。1382年に即位したバルクーク以降はマムルーク軍団もチェルケス人主体のブルジー軍団へと移っていく。このブルジー・マムルーク朝ではスルタン位が有力者の互選となったため政権が安定しなかった。後期には15世紀のペスト流行や16世紀に入ってのポルトガル(フランシスコ・デ・アルメイダ)の艦隊に対する敗北など振るわず、1516-17年にかけてセリム1世に敗北し滅亡した。これに伴いカイロ・アッバース朝も滅亡し、ムスリム世界の主役は完全にオスマン帝国へと移っていく。
