【AOE2DE】手持ち文明の戦術メモ(3)ヒンドゥスタン
以前の記事の第3弾です。
ヒンドゥスタンの文明特性と基本戦術
「ラクダと火薬に特化した文明」。全文明で唯一近衛ラクダまでアップグレード可能、帝王ユニテクで砲撃手の射程が9まで伸びる……などといいつつ、最大の特徴は農民コストの安さ。浮いた資源を活かしての斥候戦術から城主でラクダにつなげて騎士文明を圧倒、矛が出てくる頃にはユニテク(後述)入りで射程の長い砲撃手にスイッチ……というのが王道。ラクダと斥候系列の建物に対する攻撃力+2はチームボーナスとして非常に強力で、領主戦~城主序盤で試合を決める原動力にもなりうる。
ユニークユニットと天敵
ユニークユニットのグーラム(30F45G)は足が速い歩兵で、射程防御が高いのでイーグルウォリアやハスカールの同類である。訓練時間は12秒でまあまあ速い。EL化(950F475G)で射程防御が3から6に上がるので、射手の天敵として機能する。また、密集した敵ユニットに対し貫通ダメージを与える。槍を持っているように見えるが騎乗ユニットに対し特にボーナスダメージを持たない。ラクダを主力にしていて相手の長槍/矛や(重)石弓に対応が必要な時の選択肢。天敵は騎士、カタフラクトや剣士系ユニット。
馬アンチの最強ラクダ、弓アンチのグーラム、歩兵アンチの最強砲撃手……と揃ってはいるが何を主力にするかは悩ましい。相手の軍をよく見て臨機応変に編成を変える必要はある。
内政面
町の人のコストが暗黒/領主/城主/帝王の時代でそれぞれ -8/13/18/23%。それぞれ46→43→41→38となる。農民100人生産するまでに食料500~800が削減できる計算(©Blue Emotion)。
帝王の時代にキャラバンサライ(175W50S)を建設可能。20x20マス範囲を通る交易馬車のHP回復(1/秒)、速度アップ(約20%)。
文明ボーナス
らくだ騎兵の攻撃速度+20%
近衛ラクダへのアップグレードも合わせこれが第一の主力。
砲撃手&大砲の近接防御/射程防御+1/+1
帝王ユニテクで砲撃手の射程+2とあわせ全文明最強の砲撃手の一角。
チーム ボーナス: 斥候系統とらくだユニットの建物への攻撃力+2
序盤の斥候Rで柵がガンガン割れる。城主でラクダが出るようになると効果を一層実感できる。2026年2月以降、チームのステップランサー系統には適用されなくなった。
ユニークテクノロジー
城主ユニテク: 大幹道(250F200W)
すべての金収入が+10%、市場の交易手数料が10%に減少。木と肉だけで研究できるのがおかしいくらいの効果。
帝王ユニテク: シャタニ(500F650G)
砲撃手の射程+2。基礎射程7+2で、精鋭散兵(射程5+3)をアウトレンジ可能になる。2025年8月アプデでコストを上方修正。さすがに300Gでは安価すぎた。
鉄工所テク
鉄工所テクは歩兵鎧3以外研究可能。その代わりグーラムのEL化で射程防御+3がある。
テクと出せないユニットのメモ
戦士小屋……近衛剣士が出るがギャンベゾンなし。矛槍兵へのアップグレード不可。
弓小屋……重石弓アップグレード不可。弓懸あり。重弓騎兵は出るが、パルティアン戦術なし。砲撃手は上述の通り全文明で最強の一角。インド系4文明で唯一、象弓が出ない。
馬小屋……騎士系統使用不可。帝王の時代に重装ラクダから近衛ラクダにアップグレード可能(1000F500G)。
兵器小屋……破城槌の代わりにアーマーエレファント/シージエレファントが作成可能。大砲が出るが破城投石機、ヘビスコなし。
聖職者……償い、異端研究不可。聖職者どうしの転向合戦にならない限り使い勝手は良い。
学問所……人力起重機、火砲学、建築学(建物強化2)なし。狭間なし、監視塔・砲台建造不可。全般的に建物での防御には向かない。
その他……土木技術なし
内政テク……輪作研究不可。組合がないが、城主ユニテク(上述)が上位互換。
海軍……乾ドック、造船技術ともないため終盤には苦戦必至。サイフォン・焼夷兵器なし。高速火炎船、重爆破工作船へのアップグレード不可。詳細は割愛。
キャンペーンシナリオ
ティムール朝のサマルカンド政権から分かれてムガル帝国を建国したバーブルのキャンペーンシナリオのほか、ブハラ(557)のホラーサーン、グルジャラのキャンペーンの敵役、ティムールの4戦目のデリー攻囲戦の敵役等で登場する。
戦績('24 5月・10月追記)
今年2月末に久しぶりに使い始めたのでそれ以降の19戦に絞る。13勝6敗だが実質10勝5敗。クローズドマップはアリーナ後衛で4戦全勝、大森林の前衛で1勝、後衛で1 no game(記録上は勝ち)。オープンマップではロンバルディア(現ランゴバルド)で2戦2勝、海辺の森で2戦2敗(1 no game)、浅瀬/前衛で1敗。オープンマップでは、前衛ポルトガルで弓を選択するケースが多いため登場が少ない。遊牧系は8戦して5勝3敗だが実質3勝3敗。
10/2追記。その後25戦して12勝12敗1無勝負(不戦敗)。アリーナ後衛で5勝5敗、大森林では2勝2敗。ロンバルディアで負けなしの3勝。アラビアで2敗、凍結湖で1敗なので距離の近いオープンマップが課題っぽい。
(2023年6月以前には7回登場。アリーナ後衛で3勝1敗1 no game、遊牧で負け、山脈で切断によるno game(記録上は負け)。旧名インドだが、自分がランクマデビューした2022年4月末には既にインドDLC発売後だったので、インドとしてのプレイ経験はなし)
負けパターン分析と戦術の考え方
農民コストが浮くとはいえ領主までの軍ユニットに特筆すべきボーナスはなく、塔も普通なのでTRや即騎士などの速攻に弱い。チームの前衛含め即死に注意。遊牧系マップで前衛っぽい位置を引くとだいたい負けている。また、ラクダが出せる状況でも相手の石弓が溜まっていると苦戦する。城を建てる石がないとグーラムも出ないので、投石機を出すのが次善の策となるだろうか。
農民の肉コスト削減効果は後半ほど強い。20pop進化では暗黒まで肉64程度しか浮かないことを考えると、やはり安全な位置で城主進化を急ぐのが基本なのだろう。遊牧型マップでも、即城主でラクダが回せたときはだいたい勝っている。城主進化後にTC増設、しっかり畑を張り、農民コストの安さを活かして帝王inを急ぐのが文明の強みを活かすことにつながる。
3/20のHeraのアラビアメタ文明を取り上げた動画でも、ヒンドゥスタンはTop5には入らないもののHonorable Mentionとして紹介されています。
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歴史のうんちく
ユニテク名
インドでは四大文明の一つ、インダス文明が古くから栄えた。紀元前3世紀のマウリヤ朝時代には既にバングラデシュ~北インド~パキスタン東部~カーブル(アフガニスタン)までを結ぶ大幹道が存在し、国際貿易が盛んに行われていた。またこれは貿易だけでなく異民族の侵入経路としても機能した(後述)。
シャタニ(shat‐agni、字義「100の火」)は近世インド人の銃砲に対する呼称。100人の敵を倒す能力がある、という由来だという。以前のユニテクとしての効果は命中率100%化だったが、恐らくゲームバランス上の理由で現行の射程+2(シャテイニ)に変更された。残念ながら長距離ほど砲撃手の弾丸の命中率は低下する。
バーブルの時代
バーブルはティムールの3男の家系で6代目にあたり、母方の祖父はチンギス・カンの次男チャガタイの血筋を引いている。ティムール朝は当時サマルカンドとヘラートの2つの政権に分裂していた。バーブルの父は前者に属するフェルガナの領主であったが事故で急死。11歳で家督を継いだバーブルは伯父・母方の叔父たちに領地を奪われそうになるがこれを撃退。その後、従兄が継いだサマルカンドの宗家と抗争するが決定的な勝利を得られず、またウズベクのシャイバーニー・ハンの介入を招いてしまう。これはキャンペーンシナリオの1~2戦目で扱われる。彼らに敗北したバーブルはカーブル(現アフガニスタン東部)に足がかりを得てインドへの侵攻を企図することに。1504-07年の征服行が3戦目のモチーフ。1511年までにサマルカンド奪回を断念したバーブルはインドの征服に本腰を入れ、数度の遠征を重ねていく。1526年のパーニーパットの戦いでデリー周辺を支配していたローディー朝に勝利(キャンペーン4戦目)。荷車の背後に銃火器を配備する戦術はオスマン朝のチャルディラーンの戦い(1514)を模倣したというが、ひいてはボヘミアのフス派のワゴンブルク戦術(1420~)を連想させる。1527年にアーグラ近郊のハーヌアーでラージプート諸侯の連合軍を打倒(キャンペーンシナリオの5戦目)、インドでの覇権の基礎が築かれた。1530没。
ヒンドゥスタン前史
「ヒンドゥスターン」の定義はまちまちだが、狭義ではインド北部またはヒンドゥー教徒の居住地域、広義ではインド亜大陸全域をさす。北インドでは10世紀後半からイラン系王朝のテュルク系マムルークが現アフガニスタンに樹立したガズナ朝やその後継のゴール朝などが進出している。ゴール朝のマムルークであったアイバクが1206年にデリーで自立(奴隷王朝)。この時代のムスリム諸王朝をデリー・スルターン朝と称する。一時は全インドを統一するほどの勢いをみせた。バーブルがカーブルを拠点にヒンドゥスタン地方へ遠征を繰り返し最終的に居着いた、というのも実は彼らの伝統と同じことを繰り返したに過ぎないのであった。
なお、14世紀にはデカン高原でデリー・スルターン朝の地方長官が自立、5つの王国が割拠しデカン・スルターン朝と呼ばれるが、最終的にムガル帝国に滅ぼされている。
ムガル帝国の時代
バーブルの玄孫にあたる5代シャー・ジャハーンの時代に帝国は最も繁栄した。彼が愛妃の墓廟として建造したタージ・マハルがヒンドゥスタンの民族の象徴のモチーフ。6代皇帝のアウラングゼーブは宗教的寛容策を改めて厳格なイスラーム教スンナ派に基づく統治を行い、ジズヤ(人頭税)を復活したためにヒンドゥー教徒の支持を失い各地で反乱が勃発した。1674年に成立したマラーター王国と、台頭する大英帝国との抗争は陳舜臣の「インド三国志」で活き活きと描かれる……はずだった(未完)。
アウラングゼーブは帝国の最大版図を達成したが、衰退のきっかけを作ったのもこの時代であった。少し前、英国は1639年にチェンナイ(マドラス)を取得して要塞を建造。このあたりからはAOE3の領分なので概略に留めると、18世紀におきた何度かの戦争で英国によるインドの植民地化が確立。19世紀には機械製綿織物がインドへ流入して産業が衰退。英国により茶、アヘン、インディゴなどのプランテーションが拡大し、中国・英国との独占貿易が発展する(アヘン戦争の一因でもある)。1857年のインド大反乱(セポイの反乱)鎮圧を期にムガル皇帝位は廃され、英領インド帝国が成立した。
なお、シパーヒーとは「兵士、軍人」を意味するペルシア語に由来するというが、オスマン朝におけるスィパーヒー(ユニテク名にある。主に重装備の騎兵)とインドのセポイ(小銃を主装備とする歩兵)とは、大本の語源が同じというだけであまり関係はない。
近代インド史(略)
英国による分断統治は巧妙であり、独立運動は硬軟両方で続いていたものの最終的な独立は第二次世界大戦後まで成らなかった。また独立前後、パキスタン・バングラデシュへのムスリム移住/分離を強いたことは現代に至るまで禍根を残している。
