【AOE2DE】文明別メモ(24)アルメニア
苦手文明シリーズ。アルメニアは2023年10月末発売のDLC「山中の王族」でジョージアとともに実装された。基本的には海文明で、海戦マップでプロがよく使う。2025年4月のアップデートで歩兵が強化される以前からも、城主の時代で重剣~近衛剣士が出るのは脅威ではあった。
文明特性と基本戦術
「歩兵と海軍の文明」。剣士のアップグレードや槍兵系統を一時代早く使用できるほか、ガレー船系統が矢を1本多く放つのは領主序盤から有力。ジョージアと同様にラバ車を使った効率の良い内政も特徴。城主の時代以降には要塞教会から戦闘神官が出せる。とはいえいきなり軍兵~剣士に全力投入するのはリスクがある。内政効率を活かして斥候R/槍で時間を稼ぎ、城主進化してからが本番。戦闘神官で聖なる箱を集め、相手に応じて騎士またはUUへ展開する。長い城主戦に持ちこんで剣士で平押しするのも有力。
ユニークユニットと天敵
ユニークユニットは2種類。
城から出る戦闘弓射手(35W45G)。訓練時間は12秒で石弓(27秒)の半分以下。相手の射程防御を無視してダメージが通る(兵器類を除く)。基礎射程が4で石弓より1短いが、最初から命中率100%。連弩兵やジェノヴァ石弓と同じカテゴリーで、数が溜まればそこそこ強い。なおEL化コストは600W500GだがHP+5・近接防御+1、育成時間2秒短縮しか変化しないので微妙。天敵は、兵器類の他、散兵や長射程の射手。'26年5月のアップデートでEL戦闘弓射手の最大HPが+5された。
要塞教会から出る戦闘神官(40F50G)は攻撃力のある聖職者(26年2月パッチでコスト増)。味方への回復能力はあるが敵を転向させることはできない。基礎移動速度は0.85だが篤信に加えて戦士小屋の従士(武者修行)でもアップする。神聖(HP+15)や鉄工所の近接攻撃力や歩兵鎧も乗るのでフルアップすればなかなか強力。訓練時間は30秒で聖職者(51秒)よりだいぶ速いのも魅力。天敵は斥候・イーグルなど聖職者に対するボーナスがある機動ユニット。
内政面
ラバの荷馬車のコスト-25%。
木こり・狩猟・鉱山資源の採集用建物であるラバ車を15F60Wで作成できるのはなかなかのメリット。
ラバの荷馬車のテクノロジーの効果+40%
木こりテクを例に取ると、通常は3段階で+20%x2、+10%となるところが+28%x2、+14%で合計+70%まで伸びる。序盤から積極的に研究したい。
ラバ車の仕様
ジョージアの記事からの転載。
採集可能なもの……木、イノシシや鹿系の狩猟肉、鉱山資源
採集不可能のもの……果実の木、羊系の肉、畑の食糧、魚肉(ただし、これらは一旦遠くの鹿やイノシシ等をクリックして所持する肉の扱いを狩猟肉に変換すればラバ車に格納できる)
クロニクルDLCで登場した牡蠣については未検証。ラバ車は移動速度の遅い斥候のようにして探索に使えるが、羊系の家畜動物を獲得することはできない。
テクと出せないユニットのメモ
鉄工所テク
鉄工所テクは馬鎧3以外すべて研究可能。
文明ボーナス
・槍兵系統と民兵系統のアップグレード(軍兵を除く)を一時代早く使用可能
「一時代早く」系では最も有用と思われる。暗黒槍Rのような奇策もあるが、基本的には射手に添えた領主長剣/長槍で前線の戦いを有利に進めるのが有力。一方、重剣だけ(200F100G)ならともかく近衛までのアップグレード(650F350G)よりは帝王進化を優先するケースが多そう。
・最初の要塞教会は無償で聖遺物を受け取る
AI戦でたまにやらかす「聖なる箱をすべて取られて負け」がなくなる。
・ガレー船とドロモンは追加の投射物を発射する
詳細割愛。
チーム ボーナス: 歩兵の視界 +2
民兵/軍兵を仕掛ける時に斥候を帯同しなくてもそこそこ視えるようになる。
ユニークテクノロジー
城主ユニテク: キリキア艦隊(350W300G)
爆破工作船の爆破範囲+20%、ガレー船とドロモンの射程+1。海マップでプロが愛用する所以。
帝王ユニテク: フェレテル(550F400G)
歩兵(槍兵を除く)のHP+30。近衛剣士(HP100)はかなりの脅威で、事前に備えが必要。戦闘神官の回復速度+100%。帝王で主力に据えるほどのユニットではないのでオマケ。
なお、フェレテルとは聖遺物を格納した運搬可能な祠のようなもの(英語版wikipedia)。
要塞教会の仕様
要塞教会はジョージアと共通の地域固有建物で、修道所(175W)に比べ木のコストが多くかかる(200W)代わりに聖職者・戦闘神官と農民やラバ車を駐留させることができる。駐留者数および格納された聖遺物の数に応じて基礎射程4の矢を最大5本まで放つ。TC矢と同じで射程は伸びないため鉄工所/鍛冶場の攻撃テクで射程が伸びるようになった。しかし投石機には弱い。
出せないユニット・使用不可テクノロジー
戦士小屋……暗黒から槍兵を使用可能。領主で長剣剣士、長槍兵へのアップグレード可能。城主の時代に重剣・近衛剣士、矛槍兵までアップグレード可能。基本テクノロジーもフルアップ。
弓小屋……重石弓・精鋭散兵が使えるが弓懸なし。重弓騎兵アップグレード・パルティア戦術研究不可。
馬小屋……ハサー・近衛騎士アップグレード不可。血統と繁殖はあるが、馬鎧3がないので使い勝手は良くない。
兵器小屋……白ラム、破城投石機、大砲使用不可。ヘビースコーピオンは使えるが攻囲技術も研究不可なので全般的に弱体。
聖職者……全テクノロジー研究可能の上、戦闘神官を作成可能。要塞教会の機能とあわさって聖職者最強文明の一つ。
学問所……人力起重機、建築学(建物強化2)研究不可。上述の通り攻囲技術の研究不可。防御塔・狭間研究不可だが砲台は使える。
内政テク……石の掘削、輪作が研究不可。ほとんど影響なし。
海軍……ガレー船系統が矢を1本多く放つ。高速火炎船アップグレード不可。造船技術なし。キャノンガリオン船系統使用不可だが、帝王から化学不要でドロモン船が生産可能。アルメニアのドロモン船は追加の投射物を放つ。詳細は割愛。
戦績・対策
チーム戦で相手チームにアルメニアがいる時に1勝6敗。不戦敗もあるしたまたまかもしれないが……。「海辺の森」で相手後衛の位置から長駆・迂回して剣士を流し込まれたのが強烈に印象に残っている。自分の文明に応じて、早めの帝王から砲撃手を出すか、機動性のあるユニットでヒット&アウェイに徹するのが良さそう。
キャンペーンシナリオ等
12世紀にビザンティンとセルジューク朝のはざまで独立を保とうとしたキリキア・アルメニア王国のトロス2世(大王、在位1145-69。英語版wiki)を扱ったキャンペーンシナリオがある。他に、ジョージアのタマルのキャンペーンで敵味方として出る他、ティムール(タタール)やイスマイル(ペルシア)のキャンペーンでも登場。
参考動画
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歴史のうんちく
現代のアルメニアは黒海とカスピ海の間に位置する内陸国だが、その最大版図は地中海沿岸にまで及んだことがある。もともとバクトリアらくだの産地だったが、ラクダユニットは出せない。また、ペルシアやサラセン諸国に騎兵や弓騎兵を傭兵として提供するほどであったにも関わらず、それに関連する文明ボーナスはない。
古代アルメニア王国
アケメネス朝でアナトリア東部(現トルコ東部)のサトラップ(地方総督)であったオロンテス家が紀元前4世紀頃以降に独立を指向。セレウコス朝期の紀元前188年にアルメニア王国が誕生。パルティアの弱体化に伴い勢力を拡大したがポントス王に加担したため共和政ローマのルクルスやポンペイウスの征討を受け衰退。紆余曲折の末ネロの時代に「王位はパルティア王家の者(王弟など)が継ぐが、領土はローマの属州」として落ち着く。3世紀に入ってサーサーン朝ペルシアが伸長するとその属国のようになり、4~5世紀には東ローマ帝国との間で分割されて滅亡した。3~4世紀には既にキリスト教国化していたため、サーサーン朝によるゾロアスター教の強要は強い反発を招いた。アルメニア使徒教会の最初の大主教・啓蒙者グレゴリオス(英語版wikipedia)が4世紀前半に建立したとされるエチミアジン大聖堂が民族の象徴のモチーフ。451年のマミコニアン家(英語版wikipedia)の反乱の結果、大幅な政治的・宗教的自治を獲得。アルメニア文字の発明など独自の文化を発展させていく。しかし7世紀にかけてペルシアと東ローマの草刈り場のようになり荒廃、人口流出が進む。東ローマ領内への移住者の子孫からはバシレイオス1世のように、皇帝位にまで登り詰めるものも出た。ムスリムの台頭時にはウマイヤ朝に征服されるが、9世紀に入るとアッバース朝からの独立戦争が始まる。
中世アルメニア王国
バグラトゥニ家(ロシア語版wikipedia)は8世紀の反乱に加わらなかったためアッバース朝の信頼を得てアショト4世(英語版wikipedia)の代にアルメニア公となる。しかし結局、孫の代までにアッバース朝からの独立戦争を起こし勝利。その後はテュルクや東ローマ、アラブ、クルド人等への対処に悩まされる。10世紀には首都アニを中心として交易の要衝として繁栄し、教会建築が盛んに行われた。戦乱が続く中、人々は時にこういった要塞化された修道院に逃げ込んだり、防衛の拠点として活用したりしたことだろう。しかし11世紀に入ると王家の分裂につけ込んだ東ローマの征討を受け滅亡する。
キリキア・アルメニア王国
1071年のマラズギルト(マンジケルト)の戦いを期にセルジューク朝が伸張すると、東ローマ帝国は西側諸国に援軍を要請し第1回十字軍(1095~99)がこの地をも通過する。コーカサス出身でアルメニアの貴族のルーベン(ルーペン)は1080年にキリキア北部、トロス山脈の山中に小国を樹立していた。子孫らが周辺の東ローマ勢力などを攻撃して領地を拡げ1132年までに海岸まで含めキリキア全域を手中に収めた。これがキリキア・アルメニア王国で、AOE2でのモチーフでもある。東ローマ帝国皇帝ヨハネス2世コムネノス(アレクシオス1世コムネノスの嫡子でアンナ・コムネナの弟)はこれを征討して王族を捕らえ処刑。しかし王子の一人が脱出して即位しトロス2世となった。最終的にヨハネスの後継者マヌエル1世に臣従することになるが、彼の戦いはキャンペーンシナリオ(1141-69)で描かれている。特に3戦目はセルジューク朝と十字軍国家のアンティオキア公、ルノー・ド・シャティヨンとの間で同盟関係を変更しながらの難しい舵取りを求められ、当時の苦悩が偲ばれる。こちらの記事も参照。
トロス2世の甥に当たるレヴォン2世の時に十字軍諸国家との連携を強め王として戴冠(1199)。後に大王と呼ばれるようになる。彼の死後は別の大貴族であるへトゥム家(ロシア語版wikipedia)へ王統が移るが、セルジューク朝の干渉、その後13世紀後半になってマムルーク朝の圧迫を受けるようになる。モンゴル帝国(分裂後はイルハン朝)との外交や西欧諸国との縁故により対抗を試みるが1375年に最終的に滅亡した。アルメニアの北部は一時、グルジア王国(ジョージア)による保護下にあった(ジョージアの記事やタマルのキャンペーンシナリオを参照)。この後も14世紀末のティムールの征服、さらに黒羊朝と白羊朝による争いの舞台となるなど苦難が続く。
ペルシャ支配下のアルメニア人
1502年に白羊朝がサファヴィー朝に倒されると当地はペルシアの支配下となり25~30万人がエスファハーンへ強制移住させられた。アルメニア人は商人として活躍するが18世紀までに英蘭の海洋交易ルートに圧迫され衰退してしまった。18~19世紀の戦争でペルシア(ガージャール朝)がロシア帝国に敗北した結果、北部のアルメニア人居住地域(現アルメニアに近い)がロシアに割譲された。ロシアはキリスト教圏であったことからも数万人のアルメニア人がこのロシア領へ流入。商工業で財を成したり、モスクワやサンクトペテルブルクでの教育を受けた結果として革命思想を持つものも現れた。
オスマン帝国内のアルメニア人受難
19世紀末になると民主化・民族運動が高まるが、これがオスマン帝国領内へも波及した結果として1895-96年のアルメニア人虐殺を招いてしまう。第一次大戦が開戦するとヴァンの反乱が引鉄となり、アルメニア人の追放が実施される。虐殺や死の行進などによって、60万人とも100万人とも言われる数のアルメニア人が犠牲になったとされている。
近代国家アルメニアの成立とソ連の構成国化
第一次大戦のカフカース戦線においてロシアはオスマン軍に対し優位にあったが、1917年に二月革命が起きると現地の3民族(グルジア人、アゼルバイジャン人、そしてアルメニア人)が政治権力を執るようになる。3民族は対オスマン講和のため、ザカフカース民主連邦共和国を形成するが2ヶ月ももたずグルジア、アゼルバイジャンの両国が独立して離脱。仕方なくアルメニア共和国(1918-20)として独立するも新生トルコ共和国との戦争に敗れ、さらに東部国境からはロシア赤軍の侵攻も受ける。トルコとロシア、どちらの属国となるかの究極の選択の末、赤軍の進駐を受け入れたアルメニアは社会主義国家となった。1922年のソビエト連邦発足時、同様に赤軍の侵攻を受けて共産化していたグルジア、アゼルバイジャンの両国とともにザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を形成し、それを介して間接的にソ連へ加盟する。ザカフカース連邦が1936年に解体されるとアルメニアも直接のソ連構成共和国となった。
ソ連崩壊後~現代の紛争
ナゴルノ・カラバフ自治州はアゼルバイジャン領域内にあってアルメニア人が多数を占めるため係争地になっていたが、ソ連時代の1980年代からその帰属問題が再燃。1988年2月にアゼルバイジャンで起こったアルメニア人虐殺(スムガイト事件)に対して政府もソ連も有効な対応を取らなかったことから権威が下落。1991年の9月21日、バルト3国(8月20日独立)に続いていち早くソ連からの独立を宣言している。スムガイト事件をきっかけに続発したアゼルバイジャン・アルメニア両国各地での民族衝突はナゴルノ・カラバフ戦争(~1994)へと発展する。ナゴルノ・カラバフの帰属はアルメニアの統治者にとって鬼門であり、迂闊に触れると政権が倒れるタブーのようになっていた。
最近2023年9月29日にアゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフで「軍事作戦」を実施し多数の死者・負傷者を出している。この日、アルメニア系住民約10万人(約8割相当)がアルメニアへ脱出し自治州の国家機関は解体。アルメニア系住民がマジョリティではなくなることによって、ついに紛争が終結したのだった。
