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【AOE2DE】文明メモ(40)タタール

弓騎兵文明シリーズも大詰めで真打ち登場。DEリリース時のラストハーン拡張パックから。タタールは全文明屈指の強力な弓騎兵が出せるが、内政ボーナスがいまいち噛み合っていないのと、聖職者や歩兵が弱体だったりする関係で戦術に幅が出しにくい。起伏のあるオープンマップではかなり強い。しかし城主~帝王序盤くらいまでにケリを付けられなければジリ貧。


文明特性と基本戦術

元祖「弓騎兵の文明」。内政ボーナスは食料特化のため、基本的には斥候戦術が向いている。そこから騎士/ステップランサー/ラクダか、弓小屋を準備しておいて弓騎兵に切り替えていくのがセオリー。別案として、「畑を張るのが1~2枚分遅らせられる」と解釈すれば木を使って散兵や射手で立ち上げても良い。弓騎兵の天敵はスコーピオンなので、これが出てきたらいったん退いてステップランサー等を溜めることになる。また、歩兵と聖職者が弱体のため、中盤以降で騎士や象対策を考えるならラクダが有力な選択肢。後述の火炎ラクダは、近年のアップデートで出しやすくなったので象対策に活用可能。

ユニークユニットと天敵

ユニークユニットのケシク(60F40G)は比較的安価に出せる騎乗ユニットで、戦闘中に金を獲得する。訓練時間は17秒で騎士(30秒)の半分強。EL化(700F600G)でHP+25、攻撃力+2、射程防御+1。天敵は、槍/矛やラクダ、同種の近接騎乗ユニット、聖職者等。2025年12月パッチで基礎HP増、EL化コスト軽減など強化された。

火炎ラクダ(75F30G)は帝王の時代から兵器小屋で出せるようになる、機動力のある爆破工作兵に似たユニット。象やその他の密集した騎乗ユニット等に対して有効。建物や壁の破壊には向かない。

内政面

家畜から獲れる肉+50%
……通常の羊8匹から獲れる肉が約720とすると、序盤に食料+360。ただし回収速度が速いわけではないので、「畑を張るのが遅くて済む」という効果になる。
新しい町の中心羊2頭を生成
……追加TC1つあたり約180の肉が得られることになる。しかし農民数人で取ろうとすればすぐ尽きて操作に手間を取られる。中盤以降では畑1枚分以下でしかないので、上級者は羊は放置して木を伐ったり畑を張ったりしがち。実質、死にボーナス。

テクと出せないユニットのメモ

文明ボーナス

高所からの攻撃ボーナス+25%
……いわゆる丘上ボーナスが通常+25%なので、これが倍の+50%になる。
弓懸・パルティア戦術が自動・無償
……活かすためには弓騎兵を使いたくなる。資源は合計で500F250W250G浮くので、これをユニットの追加やユニテク研究に回したい。

チーム ボーナス: 弓騎兵系ユニットの視界+2
……気休め程度。

ユニークテクノロジー

城主ユニテク: 絹鎧/シルクアーマー(400W300G)
斥候系統と(重)弓騎兵の防御力+1/+1。鉄工所テクを上げきってから考えるべきテク。弓騎兵とハサーを同時運用しているなら、弓鎧3(250F250G)や馬鎧3(350F200G)(いずれも防御力+1/+2)よりこちらを優先しても良いか……?
帝王ユニテク: ティムールの攻囲技術(500W400G)
遠投投石機の射程+2。
以前は火炎ラクダを出すのにこれの研究が必須だった。現実的にはこれを研究するより遠投2台を余計に出したくなる。城を挟んでの遠投の撃ち合いで一方的にアウトレンジできる……というのは机上論。

鉄工所テク

鉄工所テクは、歩兵鎧2・3がない。

*2段階目が研究できないのは、ビルマの弓鎧、マレーの馬鎧、古蜀の鋳鉄とこのタタールの歩兵鎧だけである。

出せないユニット・使用不可テクノロジー

戦士小屋……近衛剣士へのアップグレード不可、ギャンベゾンなし。矛は出るが鎧2すらないので主戦力にはならない。
弓小屋……重石弓がないが、弓懸が自動なので城主前半までは石弓を主力にしても良い。パルティア戦術も自動で、城主ユニテクでさらに防御力が上がるので全文明最強の弓騎兵といえる。
馬小屋……近衛騎士が出ないだけで騎士・ステップランサー・ラクダ系統がフルアップ。また、ハサーは城主ユニテクで防御力アップ。
兵器小屋……白ラム、改良投石機、ヘビスコが出る。攻囲技術あり。大砲は出ない。帝王ユニテクで遠投の射程が伸びるので活用したい。
聖職者……贖いがなく、神聖(HPアップ)、神政がないため聖職者自体の使い勝手は良くない。異端、信仰がないので転向耐性にも不安が残る。
学問所……建築学、防御塔、狭間なし。なぜか砲台は使える。他に、城壁強化なし。
内政テク……石の掘削と両引きのこぎりが研究不可。
海軍……重爆破工作船アップグレード不可。造船技術、サイフォン・焼夷兵器なし。詳細は割愛。

戦績・対策

チーム戦では3勝5敗。2022年7月に4戦して1勝3敗。勝ちづらいので使うのをやめてしまった。対タタール入りチームは28勝13敗。アリーナ等のクローズドマップでは即城主&兵器系UUに対し無力なので使い所が難しい。1vs1ではピックなし。アリーナで1戦して、ブルゴーニュで1勝。弓騎兵や騎乗ユニットしか出ない以上、槍散兵で構えられると苦しい。

キャンペーンシナリオ等

「勝者と敗者」DLCでセルジューク(985-1092)が追加される以前から、ティムールのキャンペーンシナリオ(1370-1402)、全6戦がある。他に、敵役としてのセルジューク朝やトルクメン、その他の中央アジア~東欧の遊牧民族として様々なキャンペーンシナリオに登場する。

参考動画

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歴史のうんちく

タタルという語は、テュルク系遊牧国家である突厥モンゴル高原の東北で遊牧していた諸部族を総称して呼んだ他称。この語はテュルク語で「他の人々」を意味するとされる(タタール - Wikipedia)。韃靼(だったん)とも。もともと中国の東北部にルーツを持つが、キルギスや契丹との抗争の末に西方へと移住したものらしい。13~4世紀にモンゴルが帝国を形成すると、タタル部はその一員となる。この時代にモンゴル帝国の遊牧民全体がヨーロッパ、中国から「タルタル、韃靼」と他称された。今はテュルク系ムスリムのことを指す場合が多い。

セルジューク朝

セルジューク(英語版wikipedia)自身はテュルク系遊牧民族オグズの一氏族クヌク氏出身の人物で、元来のテュルク語ではセルチュクという。彼らのように遊牧生活を守りながらムスリムとなったテュルク系遊牧部族のことを、ペルシア語でトゥルクマーンと呼んだのが後の「トルコ」の語源にもなっている。キャンペーンシナリオとしては、まず赤/オグズの大きなテントを数個破壊してユルトを入手し、勢力を蓄える。大テントを確保できればマングダイを作成したり、テクノロジー研究が進められる。ここまでが初代。

2代目のトゥグリル・ベグはセルジュークからみて孫に当たる。黄色/カラハン国または緑/キプチャクと婚姻し、のちの遊牧民族の襲撃に備える。また、紫/ブワイフ朝の本拠地に侵攻することで街を確保可能。

3代目のアルプ・アルスラーンはトゥグリル・ベグの甥で、兄弟であるスライマーンやトゥグリルの従兄弟クタルミシュとの抗争に勝ってスルタンとなった。ここでようやくTCや城を新たに建てられるようになる。東ローマ帝国と盛んに戦い、最終的に1071年のマラズギルト(マンジケルト)の戦いで大勝して中東に覇権を確立した。

クタルムシュの長男スライマーンが次代にアナトリアに派遣されたことが、のちのルーム・セルジューク朝の基礎である。

アルプ・アルスラーンが中央アジアへの遠征中に急死したため、彼の子であるマリク・シャーが4代目の主人公となる。引き続き紫/ブワイフ朝と、水色/ガズナ朝を打倒して民族の象徴を建造すればクリア。ガズナ朝の征服は実際には12世紀に入ってからサンジャルによって行われた。サンジャルが1157年に没すると、大セルジューク朝と呼ばれる覇権国家としては崩壊。ホラズム・シャー朝の台頭もあって、十字軍の到達する頃にはルーム・セルジューク朝を残してほぼ滅亡。そのルーム・セルジューク朝も1243年にモンゴルの征西過程で属国化し、1308年に完全に滅亡したのだった。

タタールのくびき

現在のロシア地方にあたるルーシ諸侯国(リャザンウラジーミルトヴェリコロムナキエフ大公国等)は13世紀のモンゴルの侵攻以来約200年にわたって臣従を強いられた。上述の通り、ヨーロッパ側からはモンゴルの遊牧民全体を「タタール」と他称していたため、この服属時代を「タタールのくびき」と呼称する。近年の研究では必ずしもルーシ諸国の発展を阻害するばかりではなく、人的・文化的交流がさかんに行われていたことが明らかになっている。後世「ボヤール」といわれたロシアの大貴族には、その祖先をモンゴル人やタタール人にさかのぼる家系も多いそうだ。

ティムールの征服行(キャンペーンシナリオ)

英語ではTamerlaneで、「跛者のティムール」の意味だという。

名は中世モンゴル語では Temür、現代ウズベク語では Temur であり、「テムル」とも表記される。『明史』などの漢語史料では「帖木児」と表記。語義は「鉄」を意味し、この名を持つテュルク系、モンゴル系の人物は少なくなかった。

ティムール - Wikipedia

モンゴル帝国が数個に分裂して久しい1350年代後半に、西チャガタイ・ハン国マー・ワラー・アンナフル(トランスオクシアナ)で台頭。20代なかばの時にモグーリスタン・ハン国(東チャガタイ・ハン国)の侵攻を受けた時、逃亡した叔父に代わって指導者となる。時に敗北して捕虜となったり右手と右足に矢傷を追うなどしたが、1364年に石橋の戦いで大勝してついにモグーリスタン軍を追い出した。これが1戦目のモチーフ。2戦目では戦場はアフガニスタンからペルシアへと移動。ヘラート、港町ソルターニーイェザランジュタブリーズエスファハーンといった都市を次々に攻略していく。1戦目でも同盟者であったトクタミシュ(ジョチ・ウルスのハン)が引き続き登場するが、彼もまた裏切って敵となる。彼が実際にティムールと同盟するのは1376~以降の話なので、1戦目のトクタミシュはアミール・フサインがモチーフかもしれない。3戦目では金帳汗国ヴォルガ・ブルガールを味方にしてリャザンアストラハンアゾフ等を打倒し、トクタミシュが立てこもるサライを攻略するのが目標(1395年)。

トクタミシュの子供のひとりは、(1410年の)タンネンベルクの戦いで知られるジャラールッディーンである。

トクタミシュ - Wikipedia

4戦目ではインド遠征(1398-99)が扱われ、舞台はインドのデリー近郊へ移る。トゥグルク朝のスルターン・マフムードは大量の戦象部隊を用意していたが、ティムールはこれを奇策の火炎ラクダで撹乱して撃破。デリーを占拠し、しばらく滞在した後本拠地に帰還した。この遠征によって約100,000人の兵士の給料に匹敵するほどの財宝を獲得したとされている。5戦目の舞台はレヴァント……中東。1392年からの五年戦役と、1399年以降の七年戦役をあわせた内容となっている。黒海東岸からスタートしてグルジア(ジョージア)、バグダードを攻略。軍を西方に転じてアレッポダマスカスを破壊し、更にキリキア・アルメニア王国マムルーク朝軍をも打倒する。最終6戦目は当時台頭していたオスマン朝が敵となる。ティムールに従属していた黒羊朝がオスマンの攻撃を受けたことが契機。また、オスマン帝国によって滅ぼされた君侯国の君主たちからの要請もあって、ティムールは軍勢を西に向けた。この征服行でオスマン朝が散々に打ち破られたことにより、滅亡寸前まで追い込まれていたビザンティンも息を吹き返した。しかし、それもわずか数十年の命脈でしかなかったのだった。執筆予定のオスマン帝国の記事も参照。

ティムールは晩年、中国(明)への遠征を計画していたが、1404年、その途上で死去。墓所はグーリ・アミール廟で、棺には「私が死の眠りから起きた時、世界は恐怖に見舞われるだろう」という言葉が刻まれていた。棺の内側にあった「墓を暴いた者は、私よりも恐ろしい侵略者を解き放つ」という言葉は、ソ連による発掘調査から2日後に、ナチス・ドイツバルバロッサ作戦として実現した……ともいう。後継者として予定していた嫡子や孫たちが早逝していたこともあり、死後の帝国では各地に分封されていた王子たちの間で後継争いが起こるが、大胆に割愛。民族の象徴はティムール朝の第4代君主ウルグ・ベクにより1420年代に建設されたウルグ・ベク天文台。残念ながら次代に破壊されてしまったため、発掘された遺構でしか残っていない。ヘッダー画像は復元想像図で、屋上には当時世界最大といわれた観測機の様子も見える。ティムール朝は1469年以降ににサマルカンドとヘラートに分裂してしばらく存続していたが、16世紀初頭にシャイバーン朝ムハンマド・シャイバーニー・ハンによって征服され滅亡した。

ティムールの3男の家系で6代目にあたるバーブルはイランの新興サファヴィー朝の支援を受けて再建を試みたが叶わず、インドに活路を求めることになる。の物語についてはヒンドゥスタンの記事も参照。

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