【AOE2DE】文明メモ(36)ブルガリア
弓騎兵文明シリーズ。ブルガリアは2019年のDEリリース時、ラストハーン拡張パックという位置づけで登場。同期はクマン、タタール、リトアニア。序盤の内政ボーナスが皆無、石弓アップグレードを持たないなど欠点が多く、長らくアラビア最弱文明とされてきた。最近の軍兵復権で一躍、強文明に食い込む可能性をみせ始めたとはいえ、初級者には扱いづらいのは事実。自分のやりたいことをよく考えて、他の文明でもできるのならそちらを使おう。セオリーとしては軍兵と少数の斥候で時間を稼ぎつつ城主進化で先行、安価なクレポストを乱立して乱戦に持ち込むのが勝ち筋。
文明特性と基本戦術
「歩兵と騎兵の文明」。安価な小型の城であるクレポスト(350S)を乱立して混戦に持ち込むのが唯一の勝機とされていた。最近のアップデートで、歩兵の移動速度がアップして激変。領主inとともに軍兵へ自動アップされることや、鉄工所テクのコストの安さが注目されて、序盤の活路が開けた。ただ、石弓アップグレードがないのがネック。その後の展開がほぼ斥候~騎士orコニクで単調になりがち。弓騎兵メタが有効な文明の一つではある。ほぼ唯一の内政ボーナスはTCの石コストが安い。といっても微々たるものなので、やれることが限られている印象。騎士を主力にするなら城主ユニテクは絶対に入れたいので城が一つは必要。クレポストとのバランスが問われるところ。
ユニークユニットと天敵
ユニークユニットのコニク(60F70G)。訓練時間は16秒で騎士(30秒)の半分強。EL化(1000F750G)でHP+20、攻撃力+2。一度倒されると、ディスマウントコニク(歩兵ユニット)として復活する。騎士よりわずかに安いコストで、おまけの歩兵がついてくると考えればかなりお得。天敵は、騎乗時は矛/槍。下馬時は機動力を失うため射程ユニット全般が苦手となる。
クレポストの仕様
城主の時代に石350で建造できる3x3マスサイズ、小型の城。基礎射程は7で城より1短い。HPは城の半分強。コニクを生産できる他、2025年8月のアップデートでELコニクへのアップグレードもここで研究できるようになった。12月、爆破工作兵も作成できるようになった。
内政面
町の中心の石材コストが-50%
……TCが275W50Sで建つようになる。アリーナ等で石を掘らずに5TC、みたいなことも可能だが、どちらかといえば城やクレポストを建てる分の石を温存できると考えるべき。
テクと出せないユニットのメモ
文明ボーナス
城主の時代にクレポストを建設可能(上述の通り)
民兵系ユニットのアップグレードが無料・自動
……軍兵以降の歩兵が移動速度0.96になった効果と、散兵の弱体化でますます軍兵戦術が有力になった。また、長剣~重剣へも自動でアップグレード。
鉄工所(鍛冶場)と兵器小屋でアップグレードコストの食料-50%
……特に領主の鉄工テクは(矢羽根以外は)金を使わないので、実質「半額」である。帝王で白ラム、破城投石機へとアップグレードするのも安価。
チーム ボーナス: 鉄工所の作業速度+80%
1.8倍速なので所要時間が45%減。
ユニークテクノロジー
城主ユニテク: あぶみ(400F200G)
騎士、騎兵、コニクの攻撃速度+33%。ディスマウントコニクは対象外。
帝王ユニテク: バガイン(900F450G)
民兵系ユニットの近接防御+5。自動重剣アップグレードで浮いたコストはこちらへ。
鉄工所テク
鉄工所テクは弓鎧3を除きすべて研究可能で、食料コスト-50%、チームボーナスで作業速度1.8倍。
出せないユニット・使用不可テクノロジー
戦士小屋……時代進化とともに自動で重剣剣士までアップグレードされる他、矛槍兵使用可能。放火、ギャンベゾン、従士(武者修行)も研究可。帝王早期にフルアップの重剣が出せるのは、使いようによっては脅威。重剣はさらに帝王ユニテクで近接防御+5。
弓小屋……石弓アップグレードがないただ二つの文明のうちの一(もう一つはスペイン)。弓鎧3を除いて精鋭散兵と(重)弓騎兵がフルアップ。
馬小屋……近衛騎士アップグレード不可だが、ハサーと重騎士はフルアップ可能。さらに城主ユニテクで攻撃速度+33%が強力。
兵器小屋……大砲がないだけで白ラム、破城投石機、ヘビスコと出せて攻囲技術も研究可能。
聖職者……神聖がないのでHPが低く、活版印刷がないため射程が伸びない。他に、償い研究不可。
学問所……人力起重機、強化壁、狭間、砲台等が研究不可。他に、城の城壁強化が研究できないので最大HPが低い。
内政テク……両引きのこぎりが研究不可
海軍……高速火炎船、重爆破工作船、機動キャノンガリオン船等のアップグレード不可。サイフォン・焼夷兵器なし。カーヴェル船体、乾ドック・造船技術等もないため終盤は海戦の主力になれない。詳細は割愛。
戦績・対策
チーム戦では3勝3敗。遷都した先でどうにか帝王in、そこから戦士小屋を建てて重剣で建物破壊役……みたいな展開があった。遷都せずに済めばそれに越したことはない。対ブルガリア入りチームは24勝26敗で若干負け越し。アリーナで逆サイがクレポストRを食らって即死、というパターンがたまにある。通常の城寄せよりタイミングが早いことに留意。1vs1ではピックなし。対ブルガリアは2戦2勝。射手に力を入れにくいため、こちらが射手多数を出せば押し切りやすいのかもしれない。
キャンペーンシナリオ等
一介の農民から皇帝にまで成り上がったイヴァイロ(?-1181)のキャンペーンシナリオ、全5戦がある。他に、コチャン・ハーン(クマン)やティムール(タタール)、ムスチスラフ(スラヴ)のシナリオでは味方、ヴラド・ドラキュラ(スラヴ)やタマル(ジョージア)、アルギルダスとケーストゥティス(リトアニア)等では敵役として登場する。
参考動画
粉挽所より先に戦士小屋を建てるPre-Mill Drushで軍兵3体を出し、TRと絡めた一戦。その後、散兵を出させてから斥候にスイッチしていく。
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歴史のうんちく
日本ではブルガリアヨーグルトなどで知名度の高い国だが、石油化学工業や電子部品など現代的な産業の盛んな国でもある。
ブルガリア全体の歴史
こちらの記事によくまとまっている。
民族の象徴のモチーフはプレスラフの円形教会(英語版wikipedia)。シメオン1世(在位893-927)の時代に建立された。第一次ブルガリア帝国は、もともと中央アジア西部に居住していたテュルク系遊牧民のブルガール人によって7世紀に建国されたが、11世紀初頭にビザンティン皇帝バシレイオス2世に征服されいったん解体。
1185年、タルノヴォ出身の2人の貴族アセンとペタルによる蜂起の後に、第二次ブルガリア帝国として再興された。1204年に第4回十字軍のあおりでビザンツ帝国が一旦滅亡すると、翌年のアドリアノープルの戦いでラテン帝国に大勝しバルカンの覇権国家となった。全盛期にはトラキア、マケドニア、アルバニアにまで版図を広げる。しかし1237-42年のモンゴル帝国の侵攻により従属化。ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)に貢納を強いられることに。時系列の把握が難しいが、ラテン帝国に対してはその1261年の滅亡までブルガリアがずっと優位にあった。しかしその後、ニカイア帝国により東ローマが復興すると力関係は逆転していく。
キャンペーンシナリオ解説
イヴァイロ(在位1277-79)はモンゴルへの従属時代、第二次ブルガリア帝国で農民反乱を主導して帝位(ツァー)についた人物。元は豚飼いであったといい、1戦目のナレーションでは羊の代わりに豚で索敵する、というメタネタが出る。中央部に拠点を築いてスラヴ人の貴族(ボヤール)の居城やタタールの基地を制圧後、皇帝コンスタンティン・ティフを打倒する。2戦目では皇帝の未亡人マリア(英語版wikipedia)と結婚し、王族イヴァン・アセン3世やそのバックに居るビザンティンと、民族の象徴(モニュメント)の支配権を巡って争う。なお、マリア自身はビザンツ皇帝の姪に当たり、先帝の遺児を擁する彼女との婚姻が、イヴァイロの帝位正当性の一助であった。3戦目ではまず金帳汗国(いわゆるジョチ・ウルス)の攻勢下にある味方の基地に駆けつける。その後ノガイの部下であるハーンたちを倒しタタールやクマンを味方に引き戻すミッション。本シナリオで最難関の一つ。弓騎兵を溜めてスナイプするのがセオリー。この戦いでイヴァイロが戦死したとの噂が流れたため、イヴァン・アセン3世(上述)が皇帝に擁立されてしまう。4戦目では彼を打倒するために山中の農民たちを転向させつつマップ中央の味方に合流し、勢力を蓄えて逆襲する。山間部の農民を転向させて味方につける必要がある。コツコツ蓄えた戦力が投石機の一撃で全滅したりするのでこまめなセーブ推奨。5戦目では盟友であったはずのゲオルギ・テルテルに裏切られてしまったため、ノガイに助力を仰ぐことになる。前半ではハンガリーの基地を破壊し、ノガイの大テントへの道を切り拓く。前半で作成したユニットは引き継げないが、テクノロジーは引き継がれるため可能な限りすべて研究を済ませておくのが良い。5戦目後半では小規模な基地から再開して、キエフを占拠しているポーランドや、クリミア半島のジェノヴァ人を排除することになる。しかしミッションを達成したにも関わらず、イヴァイロは暗殺され、最終的にゲオルギ・テルテルが帝位に就くことになるのであった。
コニクの武器・フレイル
実在性が疑われることもあるフレイルだが、農機具の唐棹(殻竿とも)を改造して打撃力を高めたものだとされている。甲冑が発達した時代には斬撃が無効なので、こういった打撃武器が工夫されたとも。馬から落ちてもなお戦いをやめないコニクは、一度滅亡しても再起したブルガリア帝国や、最後まで諦めなかったイヴァイロの不屈の精神の象徴でもあろうか。
その後のブルガリア
14世紀前半にはコンスタンティノープルへの遠征を試みるなど勢い盛んなブルガリアであったが、弱体化したビザンティンの背後からオスマン帝国が台頭。また、国内でも各地の封建領主が力を持ち始め統一を欠いた状態になってしまった。1356~96年まで断続的な戦争が続くが次第に劣勢に。1393年のタルノヴォ陥落、1396年のニコポリスの戦いでの敗北を機に中世ブルガリアの国家はすべて消滅しオスマン帝国領となった。
ぐっと下って1878年、露土戦争におけるトルコの敗北によりブルガリアは自治公国(ブルガリア公国)として独立したものの、事実上はロシアの保護国であった。1908年、オスマン帝国で勃発した青年トルコ人革命に乗じて独立を宣言。翌年国際的承認を得てブルガリア王国が成立。第二次世界対戦で枢軸国側であったため1944年にソ連の侵攻を受けその衛星国となる。1989年に共産党政権崩壊。2001年に首相となったシメオン・サクスコブルクゴツキはソ連侵攻時に廃された最後の国王(退位時に9歳)で、2025年現在でも88歳でご存命である。
