センスって何。
センスとはなんなのか?
最近、その問いが頭の中を巡っている。
浮かんでは消え、また戻ってくる。
その繰り返しだ。
文章を書いているとき、
写真を撮っているとき。
創作に向き合うたびに、
この言葉がちらつく。
センスがあれば、
もっといい表現があるんじゃないかと
考える必要はないとわかっているのに
考えてしまう。
それじゃあいっそのこと
しっかり考えたというのがこの記事だ。
「センスがある」とは何を指すのだろうか。
それは才能か? 経験か?
そんなことを考えているとき、
あるnoteに出会った。
まずタイトルが「なんで?」って思わせる。
そう思うと同時に、
親指が記事をクリックする。
気づけば、
息をするのを忘れるほど引き込まれていた。
この書き手をリアルで見たことはない。
けれど、その文章を読んでいるうちに、
まるで映画化された小説のように
文字を追うごとに映像が
頭の中に広がっていく。
ただ事実を並べただけの文章ではない。
言葉の温度がある。
そのときの空気、その場の匂い、
一つひとつの言葉が、
見えない何かを運んでくる。
読み終えた頃には
「いつかこんな文章を書きたい」
そう思った。
だが、なぜこの文章に惹かれたのか?
言葉が巧みだから? それだけではない。
単なる表現技術の問題なら、
言葉の配置を工夫すれば
似たような文章は書けるかもしれない。
いや、無理か。。
でも、それだけでは
心を揺さぶることはできない。
では、この文章の何が違うのか。
考えているうちに、
ふと気づいた。
センスとは、
土壌のようなものではないか。と。
美しい花を咲かせることが、センスではない。
表面を飾ることが、センスでもない。
大切なのは、その土壌がどんなものかだ。
何を養分として蓄えてきたのか。
どれだけの雨や風を受けてきたのか。
それが、創作ににじみ出る。
このnoteの文章が心を揺さぶったのは、
単に書き手の言葉の選び方が
絶妙だっただけではない。
その人が生きてきた時間、
考えてきたこと、
触れてきたものすべてが、
言葉の奥に沈殿して感じられたからだ。
砂漠のような土では、
どれだけ水をやっても花は咲かない。
逆に、豊かな土壌なら、
そこに蒔かれた種は自然と根を張る。
言葉も同じだと思う。
どれだけ技巧を凝らしても、
その土壌に養分がなければ、
伝わるものは生まれない。
では、その土壌をどう耕せばいいのか。
すぐに「センスのある文章」が
書けるわけではない。
けれど、土を耕すことは、今からでもできる。
本を読むとき、ただ眺めるのではなく、
気になった一節を書き写してみる。
心に残ったフレーズは、
なぜ響いたのか言葉にしてみる。
映画を観るとき、
ただストーリーを追うのではなく、
映像の切り取り方や余白の使い方を
意識してみる。
日常の風景を眺めるとき、
ただ見るのではなく、
色や光の移り変わりに目を凝らす。
そうして少しずつ、
自分の中に積み重ねていくものが、
やがて文章に滲み出ていくのだろう。
どんな花を咲かせるかより、
どんな土を耕しているか。
そこからすべてが始まるような気がした
昼下がりだった。
ほなまた。
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今日の一枚

実家での1枚です。
午後の昼下がりを
象徴するような一枚になりました。
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