今日もお江戸は日本晴れ!第壱幕|参(三):甘い罠、闇の鎖
▼前回▼
それから。お陽はときどき一人で泰助を訪ねてくるようになった。
護壱と路月を連れていないときのお陽は、決して借金の話をしなかった。そういうときのお陽は、まるで泰助の孫想のように振る舞った。
明るいお陽の笑い声を、恵助も次第に耳にする機会が多くなったが、彼女は恵助の姿に気づくと、決まって逃げるように家から走り去ってしまうのだ。
だから、プライベートな彼女の姿を、恵助は祖父の話や、自分に気づくと消えてしまう彼女の笑い声、彼女の残り香──家の様子でしか知ることができなかった。
彼女の作った料理。掃除された家。温かな匂いのする布団。
彼女が一人で来た日は、祖父が元気になる。
だから恵助も、淡い色をした瞳を、優しく細めるのだ。
人混みで、恵助は時折立ち止まる。目元を歪め、男たちを数秒観察する。
それからため息を吐き、何事もなかったように歩きだす。
恵助は気づいていた。近頃視線を感じるようになった。振り返ると誰もいない。
気のせいなのだろうか?
それとも、まさか──
「恵助さん、大変大変!」
商品棚に漬物を補充していた恵助は、妹分の声に腰を上げた。
「どうしたんだい、お雪ちゃん?」
店に入ってきたお雪は、興奮した声でいう。
「あのね、冬黒屋さんが家事だって!」
目をむき恵助は暖簾を潜《くぐ》り店の外へ出た。
冬黒屋の方向へ瞳を凝らす。数迷って、恵助は駆けだす。
「恵助さん……⁉︎」
お雪が叫んだ。
息を切らした恵助が、土足で家に上がり込んでくる。
「お陽殿!」
横になった泰助と話し込んでいたお陽は、慌てて立ち上がる。
「やっぱり、ここにいた──よかった」
恵助は目を和ませた。最近彼女はよく彼のうちに来る。
緊張した声で彼は言葉を続けた。
「冬黒屋さんが家事だって……」
家事は幸い大したことはなかった。ぼやで済んだ。けが人もでなかった。
厨房の辺りからの出火だということだ。昼飯どきから少し経ったころだったので、調理の火の不始末が原因──と考えられたが──火の始末はしかとつけたと、料理人らは訴えた。
役人たちはあまり真剣には取り合わなかった。大した被害が出なかったからだろう。
冬黒屋の宝だという黄金の招き猫は無事だったし、借金の契約書なども勿論無事。厨房の辺りが少々ぼやに遭っただけと、冬黒屋主人のほうもあまり問題にしなかった。
ただちょっと料理人の中に給料カットを言い渡されて泣くものがいたくらいで、この件は終わったのだった。
「これが、今月分の利息です──」
お陽は金を受け取り、帳簿に印《しるし》をつけた。
「う~ん……」
残金の欄を睨んで、お陽は唸った。
目の前には恵助の申し訳なさそうな顔。
果てしなく感じられる金額だ。恵助には利息を払うだけで精一杯なのだ。いくらなんでも金利が高すぎた。異常だった。
(コイツ、なんでこんなバカな契約したんだろう??)
お陽はいつもそう思う。恵助はバカじゃないはずだ。というより、聡明にすら見えるのに──。
これはやはり冬黒屋でもトップクラスの利息し──?
彼が高額の借金をしたのが五年前──。悪意剥き出しの利息。こんなの返せるわけがない。第一、五年前といったら、恵助はまだ十歳だ。お陽なんかまだ九歳。
あぁナニ考えてんのおとっつぁん。
そして恵助!
一生金を吸い取られるのだろうか。彼は。
ちゃんと天寿を全うできるんだろうか──。
……なんか可哀想になるから普段は敢えて考えないようにしている。
もう逃げちゃえばいいのに。こんなバカな話もないだろう。あぁでも、寝たきりに近いおじいちゃんがいるから無理なのかな……。
役人に訴えられても文句言えないような額だ──。
惠助のクソマジメな顔が憎らしい。こんなんマジメに返すことないって絶対。
ねぇ、秦助おじいちゃんもそう思うでしょ? 思うよね?
だからお陽は護壱と路月を先に帰した。その際二人は目配せを交わしたが、お陽は気づかない。
なぜこんな契約をしたのかと訊くと、恵助は家の外にお陽を連れ出した。しばらく路地を進んでから、疲れた顔で呟く。
「あの頃僕は子どもでした。母さんが亡くなり、父さんが死に、じっちゃんと二人──。
叔母さんの漬物屋で働かせてもらえることになったけど、とてもとても不安でした……」
お陽は真剣な顔で聞く。柳の木が二人を見守っている。どこからか子どもの笑い声が聞こえる。空は高く青く限りないほど広い。
「そんなときでした。冬黒屋のご主人がうちに来てくださって……」
「おとっつあんが……」
「低金利でご融資してくださると……」
「つまり」
「……騙《だま》されたんですよ、僕は」
あの腹黒い父親ならやりかねない話だ。
お陽はうなだれた。
「騙された僕だって悪いんです……」
力なく片笑う恵助。
「ううん。悪いのはあの親父よ……」
「──僕にどうしろっていうんですか……」
恵助のそんな弱気な顔をお陽は初めて見た。
なんとなくわかった。祖父の前では彼は精一杯気丈に振る舞っていたのだ。
「ろくに契約書を読みもせずに判を押したのは僕です。僕の落ち度です。僕にはご主人が仏様みたいに思えたんです」
お陽は深いため息をついた。あの親父なら改ざんだとてやりかねない。
あの親父をそうとまで思える子ども──。
きっととても結粋で、とても世間知らずな子ども──。
ていうか子どもに金貸すなバカ親!
「一応じっちゃんの名義で借りました。でもじっちゃんの承諾は取りませんでした。僕一人で勝手にやったことです……」
「あ、あのさ」
「──どうしろっていうんです? 借りた以上は返し続けるしかないでしょう? 僕にはじっちゃんがいる。一人で逃げるわけにはいかない。叔母にだってお金を貸してもらったりして随分迷惑をかけている。お役人に助けを請うわけにもいかない。
こんなことあなたに言っていいものかどうか──」
恵助は言い淀んだが──こう言ったのだ。
「脅されています。もし僕が何かすれば──じっちゃんは──ただでは済まない──と……。お殿は気づかれていないでしょう、いつも誰かがうちを見張っています」
血管がブチ切れそうになった。
▼次回▼
いいなと思ったら応援しよう!
応援してくださると、次の物語を書く励みになります✨