今日もお江戸は日本晴れ!|第壱幕|弍(二):お日様の匂い
▼前回▼
(……はぁ。お仕事ってタイヘン……)
(やっぱり向いてないのかなぁ……)
(てもなぁ、あの家から金返してもらうのって、やっぱ無理あるよな……)
うなだれるお陽を、活気溢れる町中にて、護壱と略月が必至に励ましている。
「お嬢はお優しすぎるんでさぁ。あんなボロ屋のクソボウズとジジィにお情けかけてやらなくても」
「元気出しておくんなせ。次はサムライくずれの栄之介《えいのすけ》のうちに取り立てです」
「ヤツをボコって慶さ晴らしといきやしょう! いえいえ、お嬢は見ていてくださるだけでも結構でぁ」
お陽は空を仰いだ。ため息ついた。
次に顎を上げたとき、お陽の瞳から憂いの雲は散っていた。
いつもの明るいお嬢モードで、お場は強気にのたまった。
「うしっ! 行くでぃ‼︎ 栄之介みたいなサイテー男にはかける情けなし!」
「「おうよっ‼︎」」
護壱と路月は、駆けるお陽を追う。
(がんばるからね──)
「いらっしゃいまし!」
小さな漬物屋で店番をしていた恵助は、やってきた客を笑顔で出迎えた。
この店は、恵助の亡くなった母の、妹──つまり彼の叔母の店である。
恵助は十のときからここで働いている。もう五年も勤務しているのだ。
「恵助さん恵助さん」
赤い着物のお雪《ゆき》が、甘えた声で寄ってくる。常連のお雪を、助は妹のように思っている。
「こんにちはお雪ちゃん。きょうはお雪ちゃんの好きな、ナスのしば漬けが残ってるよ」
「くださいなくださいな! あと、いつものぬか漬けもっ!」
「まいどあり!」
漬物を受け取っても、お雪は店を立ち去る気配を見せない。
「恵助さん恵助さん……」
「ん?なんだい?」
恵助の笑顔はいつも優しい。お雪は頬を染めて微笑む。それからうつむく。
「あのね、恵助さん……。恵助さんにはいいひとはいらっしゃらないの?恵助さんなら、そういうひとがいても不思議じゃないわ。というか、いないほうが不思議なくらい……」
「まさか」
恵助は苦笑する。
「で、でもでも」
「お雪ちゃんのほうこそどうなんだよ?」
いたずらっぽく恵助は訊いた。
「え……? あ、もう、恵助さんのイジワル」
お雪は真っ赤な顔で恵助を睨むまねをする。
「いないよ。本当に」
恵助が言う。
お雪は晴れた空のように笑った。
恵助に自覚はなかったが、この店には恵助目当ての客が多いのだ。
お雪が出ていってしばらくすると、目つきの悪い痩せた男が入ってきた。初めて目にする客だった。男は抜け目なく恵助を見つめ、たくあんを買って帰っていった。
そのあとも恵助は数人の客の相手をし、お屋敷に漬物を届けに行き、また店番をし、客が来ない間に掃除をし──と、忙しく働いた。
客待ちのときなどふとした合間にだけ、恵助は沈んだ顔をした。そういうときの彼は、家で一人で寝ている祖父や、亡くなった両親、借金のことなどを考えているのだった。
思助は袂《たもと》から赤い──とても傷んだ風車を出し、息を吹きかけた。辛うじて、風車は数秒軽く回る。血のような赤色。
今度は指で直接回してみた。
恵助は違い目をした。深い梅根が瞳を染めた──。
甘酒売りが目についたので、二杯ほど買ってみた。
それを持ってお陽は住み慣れた江戸の町を歩く。
きょうは護壱と路月は一緒ではない。二人は何か言い訳をしていたが、お陽にはわかっていた。自分がいては邪魔なのだ。きっと自分の父親に何か言われたのだろう。
自分は持て余されている。
父にも。護壱たちにも。
そんなことわかっている。
わかっているけど──自分は約束したのだ。遠い日。立派な金貸し屋になると。父の跡を継ぐと。──《《あの人》》と。
だから。
だから負けない。──なにがなんでも負けられない。
無性に逢いたくなった。あの寂しい目をした少年に。彼はどこか自分に似ているから……。
だから、お陽は甘酒が冷めないうちに彼の──古くて汚くて陰気くさい家に向かった。
そんな家が、今は日溜まりに思えた。
家には、苦手なじいさんがいた。布団で寝てた。……恵助はいなかった。きょうも漬物屋でお仕事だという。
さすがに職場まで訪ねて行く気にはなれなかった。……きっと迷惑がられてしまう。
「ほら、じいさん。甘酒、温かくておいしいわよ」
甘酒を勧めるとじいさんはとても喜んだ。おいしいおいしいと何度も言ってくれた。お陽も嬉しくなった。哀れなだけだった老人が笑うところを、彼女は初めて目にしたのだ。
恵助がいたら飲んでもらおうと思っていたもう一杯を、じいさんと一緒に飲んだ。少しぬるくなっていたけど、とってもおいしかった。
お陽は朝に恵助が作っていったという卵粥《たまごがゆ》を温め直して、じいさんに手渡した。じいさんは嬉しそうにそれを食べた。いつもは半寝たきりなので冷たい粥ばかりを食べているらしい。体に悪そうだ。
お茶も淹れて、また二人で飲んだ。世間話もした。じいさんは泰助《たいすけ》という名前らしい。泰助はお陽が何かするたびにありがとうといってくれた。お陽は照れた。なんだか申し訳なかった。いつもあんなにひどいことを言っているのに──自分は所詮取り立て人なのに……。
「お陽さん、いつもすみません……。必ずお金はお返しいたします」
なんて見込みのないことをいう。
「お陽さんも大変ですね」
大変なのはそっちのほうだ。
「恵助は……いい子なんです。十の歳に母を失い、そのすぐ後に父を失い、たった一人でわしの面倒を見てくれている。いい子なんじゃ……」
お陽は結局、家の掃除をし、布団まで下し、夕飯まで作ってしまった──。
その日。仕事から帰ってきた恵助は、不思議な声を耳にした。祖父と金貸し屋の娘が楽しそうに談話しているのだ。
金貸し屋の娘は自分に気づくと、ばつが悪そうに家から出ていってしまった。
家の中は、いつもよりもこざっぱりと片づいていた。
恵助は祖父と一緒に温め直した夕飯を食べた。なんとあのお陽が作ったというのだ。温かなご飯、焼きザケ、ワカメと豆腐の味噌汁、ほうれん草のお浸し。それに恵助が叔母の店からもらってきた大根の漬物を合わせた。
食料はお陽が自腹を切った物ばかり。
とてもおいしかった。
意外な気がした……
祖父は嬉しそうに彼女の話をした。祖父の語る彼女は、自分の知っている彼女とは別人のようだった。
疲れた体を布団に横たえた。仕事にかまけてあまり干しもしない、薄汚れた煎餅布団──。
だけどきょうは、お日さまの匂いがした。
▼次回▼
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