今日もお江戸は日本晴れ!|第壱幕|伍(五):夕闇に消えた赤
▼前回▼
「どうしたんですか、恵助さん……」
お雪が泣きそうな顔でいった。
「恵助さん、ここんところずっと元気がないですっ。傷が痛むんですか?」
恵助の頬に張られた湿布に、お雪は手を伸ばす。
恵助はその手を柔らかに止め、自ら湿布を剥がした。腫れは引いていた。
「もう大丈夫。僕はいつだって元気だよ」
明らかに彼は笑む。
「うそ、嘘です……!」
「本当だよ。だって僕は笑える。お客さんと笑って話せる。じっちゃんとだって笑える。
だから、元気なんだ」
お雪はまだ泣きそうな顔をしている。恵助はちょっと困った顔をした。
「お雪ちゃん。きょうの着物綺麗だね」
「え?」
「淡い黄色。僕の大好きな着物の色」
「そうなんですか?」
お雪は少し嬉しそうな顔をした。
「ほら、お雪ちゃん」
袂から、恵助は古びた風車を取り出した。
「僕の宝物。こんなんだけど、まだどうにか回るんだ」
恵助は指で触れて風車を回してみせる。
「だから僕も、まだ生きてけるんだ」
仕事を終えて帰路につく。変わらない毎日。変わらない風景。変われない自分。
人通りの少ない河原で、恵助はまた、視線を感じた。
「──誰⁉︎」
振り返る。そこにいたのは──
「お陽殿⁉︎」
気が抜けた。桜色の着物のお陽が、暗くなりはじめた空と川を背にして立っている。
「どうしたんだい……お陽殿、酒臭い……」
「へ~んだ、あたいだってね、たまには酒くらい飲みますよ〜だ!
おとっつぁんの酒をガメてやったんだ!」
「ちょ、大丈夫? お陽殿!」
「触んないでよすけべ!」
お陽が手を振り回す。それが腕に当たり、恵助は少し痛そうに顔をしかめた。
「ど、どうしたの大丈夫??」
お陽は慌てた。手を彼の腕に伸ばす。恵助はそれを払い退けた。
「もう大丈夫だから。やめてくれよ……むだに心配されるの嫌いなんだ、うざったいよ」
「な、なによそれ!」
「いいから。僕に構わないでくれよ」
「何よ感じ悪い!」
「君はもう僕らに構わないでくれよ。辛くなるんだ……。情けなんてかけて欲しくないんだよ!」
「恵助……どうしたのよ?」
「どうもしないよ。僕は元からこういうヤツなんだよ」
「ふ〜ん。あっそう。あはははは」
お陽はよろける。恵助は仕方なさそうに彼女の肩に腕を回した。
「送っていくよ」
だが、お陽は恵助に寄りかかったまま動かない。
「ははははは。ねぇ、恵助! 人生虚しいよ! あたいもうやだよ……」
「お陽殿……?」
「はかみたいばかみたいっ‼︎ 待ってたって帰ってなんか来ないんだ! 信じたら裏切られるんだっ! もうあんな店知らない‼︎ あんなおとっつぁんなんて知らない‼︎
ねぇ……恵助、どっか行こうよ。あたいとあんたと泰助おじいちゃんと、三人でさ、どっかさ、遠くへ行って、楽しく暮らそうよぉ……」
「……無茶なこといわないでくれよ……」
「虚しいよ。泣きたいよ。嗤えるよ。ははは、あはははは」
「お陽殿……泣かないでくれよ……頼むから」
『泣かないで恵助』
『あんたのせいじゃないんだ』
「お陽殿……泣かないでよ……コレ」
もうほとんどゴミのような赤い風車。
恵助には宝物の風車。
「なによそれ、ボロっちい風車!」
お陽は嗤う。恵助はそれでもお陽に風車を差し出す。
「コレ、母さんが僕にくれたんだ。僕はこれを見てると少し笑える。だから」
母さん──
「うるさいっ‼︎」
お陽は恵助の手を鋭く払った。
「なにが母さんだよっ! 母さんなんて──おっかさんなんて、もうっ、もう、帰ってこないっ‼︎!」
風車は水音を立てて川に落ちた。薄暮のなか、それは流されてゆく。
「あっ──」
恵助は風車を追って、川瀬に飛び込んだ。
「待って……」
「け、けい……恵助⁉︎」
『恵助は……いい子なんです。十の歳に母を失い、そのすぐ後に父を失い、たった一人でわしの面倒を見てくれている。いい子なんじゃ……』
「ご、ごめ……ごめんっ、恵助っ‼︎」
お陽は川岸を走り、恵助を追う。
「ごめ……ごめんなさい……っ!」
「待って……待ってよ、母さん……!」
恵助は風車に手を伸ばす。
▼次回▼
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