善意が人を弱くする瞬間
最近、スタートアップ支援に関する議論を耳にすることが増えました。
資金を出す。
人材を派遣する。
技術を提供する。
プレゼンの機会をつくる。
そのどれにも違和感はありません。
けれども、
「顧客になることで支援する」という話を聞いたとき、
心の奥で静かな違和感を覚えてました。
その後、なぜだろう、と考え続けていました。
スタートアップが直面する「死の谷」は、
資金の問題だと言われます。
確かに資金は必要です。
人材も、信用も、機会も必要です。
しかし、本当に越えなければならないのは、
資金の谷なのでしょうか。
私は、少し違うのではないかと思っています。
越えるべきは、
判断の谷 なのではないかと。
誰を顧客と定めるのか
どの仮説を捨てるのか
何を削り、何に集中するのか
どの指標を信じるのか
この判断を 引き受けられる かどうか。
そこに向き合うことなく売上が立つとしたら、
それは谷を越えたことになるのか。
人は弱い。
組織もまた、弱い。
目の前に売上があるなら、
それを取りに行くのは自然なこと。
買ってくれる存在がいるなら、
そこに寄りかかるのも自然なこと。
それは怠慢ではありません。
合理的な選択 です。
だからこそ、
構造を誤ると、 依存 は必ず生まれます。
善意は美しいです。
「助けたい」
「育てたい」
「機会を与えたい」
どれも間違っていません。
けれども、
善意が
厳しさを抜き
検証を飛ばし
判断を肩代わりする とき
人は、 本来引き受けるべき局面 を通らずに済んでしまいます。
守られた経験は残りますが、
鍛えられた経験 は残りません。
私は、守ることを否定しているわけではありません。
守るべき局面はあります。
しかし、鍛えるべき局面で鍛えないことは、
その人の未来を奪うことになるかもしれない。
そう思ってしまいます。
「死の谷」は、
売上が立たないことではなく、
判断から逃げたくなる局面を、
逃げずに越えられるかどうか。
その瞬間にあるのではないでしょうか。
善意がその局面を取り除いてしまうとしたら、
それは本当に支援と言えるのか。
まだ答えは持っていません。
ただ、
守ることと、鍛えることは、同じではない。
その違いだけは、
大切にしていたいと思っています。
