後継者がいないのではない。守る側を育ててこなかった。
管理職の定年が近づき、世代交代が始まった。
後継者候補には、十分な営業実績もある。
それでも、役職を渡しただけでは管理職にならない。
多くの会社で、管理職の世代交代が急に始まっている。
理由は明確だ。
現在の管理職が定年を迎えるからである。
もちろん、会社が何も考えてこなかったわけではない。
しかし、世代交代を進められない合理があった。
・就職氷河期によって、本来なら管理職を引き継ぐ中間世代が薄かった。
・次の世代を育てるより、目の前の数字を優先した。
・現管理職自身にも、定年後の生活を支える資産形成が十分ではなく、役割と収入を手放しにくい事情があった。
特にプロフィットセンターである営業部門では、実績のある管理職に任せ続ける方が、短期的には合理的だった。
ここで、過去の判断を『育成を怠った』と批判しても意味はない。
当時の会社にとって、数字を守ることは現実の経営判断だった。
問題は、その判断によって何が蓄積されるかを認識せず、期限のある選択として扱わなかったことにある。
先送りには合理があった。
しかし、先送りによって生じる債務まで消えたわけではない。
だが、その合理の内側で、別の問題が育っていた。
現管理職の下にいた人材は、実は守られていた。
重要顧客との交渉
部門間の調整
未達への圧力
部下の失敗の回収
難しい判断と最終責任は、上司が引き受けていた。
部下は、その上司が整えた環境の中で結果を出してきた。
守られていたこと自体が問題なのではない。
育成の過程では、誰もが守られる。
問題は、守られている間に責任の範囲を広げず、本人にも何によって守られていたかを認識させなかったことだ。
大手企業ほど、この構造は見えにくい。
・企業ブランドが顧客との接点をつくる。
・既存の取引基盤がある。
・他部署が実務を支える。
・難しい案件では上司が介入し、失敗は組織が吸収する。
それでも本人から見えるのは、『自分が担当し、自分が結果を出した』という事実だけである。
そこで、自負とプライドが転倒する。
本来の自負は、責任を引き受け、判断し、その結果を背負った経験から生まれる。
しかし、守られた環境での成功体験だけが蓄積されると、責任を十分に引き受ける前にプライドが形成される。
「引き受けてきたから、自分にはできる」ではなく、
「結果を出してきた自分が、できないはずはない」となる。
その人が管理職になると、立場は突然反転する。
今度は、自分が不確実な状況を引き受け、部下が働ける環境をつくらなければならない。
ところが、本人には守る側の経験がない。
部下の未達や失敗によって自分の評価が傷つくと、部下を守るのではなく、自分を守り始める。
さらに会社は、担当者時代の実績を根拠に、その人を後継者として選ぶ。
だが、その実績は管理職としての適性を示しているとは限らない。
管理職が不確実性を取り除いた後の仕事で結果を出すことと、自ら不確実性を引き受けて組織の結果をつくることは、別の能力だからである。
会社はこれを、次期管理職の能力不足や意識の問題として扱いがちだ。
しかし、本質はそこではない。
後継者が育たなかったのではない。
後継者になれる仕事をさせてこなかったのである。
世代交代で移すべきものは、役職ではない。
これまで現管理職が引き受けてきた判断、責任、圧力、そして部下を守る役割である。
守られる側から、守る側へ。
会社はその移行を、本当に設計しているだろうか。
