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「どうしよう」って、私は何を探しているんだろう。

スマホを持ったまま、検索欄を開く。

何か予定外のことが起きたとき。
人とのやりとりで、少し引っかかることがあったとき。
仕事で、思っていた通りに進まなかったとき。

私はわりとすぐ、頭の中でこうつぶやく。

どうしよう。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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今日は、「どうしよう」と思ったときに、私が本当は何を探していたのかについて、少し考えてみます。

「どうしよう」と思った瞬間、私は答えを探していた

「どうしよう」と思うと、私はすぐに答えを探そうとする。

どうしたらいいんだろう。
何が正しいんだろう。
どれを選べばいいんだろう。
何をすれば、間違えないんだろう。

そんなふうに、頭の中が一気に動き出す。

でも最近、少し引っかかった。

私は「答え」を探しているつもりだった。
けれど、その答えって、いったい何だったんだろう。

原因が知りたかったのか。
対策がほしかったのか。
次にやることを知りたかったのか。
誰かに「それでいい」と言ってほしかったのか。
失敗しない保証がほしかったのか。
それとも、自分が納得したかっただけなのか。

私はそれらを全部まとめて、「答えがほしい」と呼んでいたのかもしれない。

答えという言葉は、思ったより広すぎる

「答えがほしい」と言うと、なんとなく分かったような気になる。

でも、その言葉は少し広すぎる。

たとえば、原因が知りたいときがある。

なぜこうなったのか。
どこでずれたのか。
自分の何がいけなかったのか。

原因が分かると、少し落ち着く。
理由が見えると、不安に名前がつく。
「だからか」と思えるだけで、気持ちが少し整理されることがある。

でも、原因が分かっても、次に何をすればいいか分からないこともある。

そのとき欲しいのは、原因ではなく方法なのかもしれない。

まず何をするか。
誰に確認するか。
どこまで対応するか。
今日は何だけ決めればいいか。

一手が見えるだけで、立ち止まっていた体が少し戻ってくることがある。

それは答えというより、道筋に近い。

一方で、判断基準がほしいときもある。

これは断っていいのか。
ここで止めていいのか。
この違和感を信じていいのか。
まだ頑張るべきなのか、もう引いていいのか。

このとき私は、正解を探しているようで、本当は「選ぶためのものさし」を探している。

さらに奥には、許可がほしいときもある。

嫌だと思っていい。
分からないままでもいい。
すぐに決めなくていい。
誰かの期待に全部応えなくていい。

そんなふうに、自分の感覚を採用する許可を、外側に探していることがある。

でも、それを私は「答え」と呼んでいた。

本当は、安心材料を探していたのかもしれない

そう考えると、少し見えてくる。

私は答えを探していたんじゃない。
少なくとも、毎回きれいな正解を探していたわけではない。

本当は、安心材料を探していたのかもしれない。

原因が分かれば安心する。
方法が見えれば安心する。
判断基準があれば安心する。
誰かに「それでいい」と言ってもらえたら安心する。
今すぐ決めなくていいと分かれば安心する。
自分の中で納得できれば安心する。

「どうしよう」と思ったとき、私が本当に欲しかったのは、完璧な答えではなく、ぐらついた足場を少し戻してくれるものだったのかもしれない。

だから、答えを探せば探すほど苦しくなることがある。

欲しいものが分からないまま探しているから。

原因が欲しいのに、方法ばかり探している。
許可が欲しいのに、正解を探している。
保証が欲しいのに、誰かの体験談を読み続けている。
納得したいのに、外側の答えに自分を合わせようとしている。

それでは、どれだけ探しても落ち着かない。

探し方が間違っているというより、
自分が何を求めているのかを、まだ見ていなかったのだと思う。

「答えはどこ?」ではなく、「何があれば安心する?」

これからは、「どうしよう」と思ったとき、すぐに答えを探しに行く前に、いったん問いを変えてみたいと思った。

答えはどこにあるんだろう。

ではなく、

今の私は、何があれば少し安心するんだろう。

原因が知りたいのか。
次の一手がほしいのか。
判断基準がほしいのか。
誰かに聞いてもらいたいのか。
今すぐ決めなくていいと思いたいのか。
自分の気持ちを認める許可がほしいのか。

ここでいう安心材料は、特別なものではない。

「まず誰に確認するか」を決めることかもしれないし、
「今日はまだ決めなくていい」と分かることかもしれない。
「私は方法ではなく、許可がほしかったんだ」と気づくことかもしれない。

そこを分けるだけで、少しだけ楽になる気がする。


答えが見つからないことが苦しいのではなく、
何を探しているのか分からないまま、探し続けることが苦しかったのかもしれない。

もちろん、すぐに分かるとは限らない。

「何があれば安心する?」と聞いても、分からない日もある。
原因も方法も判断基準も、全部ほしい日だってある。

でも、それでもいいのだと思う。

少なくとも、
「私は今、答えを探しているようで、本当は安心したいのかもしれない」
と気づけるだけで、頭の中の渦は少しほどける。

答えが出る前に、安心材料をひとつ拾う

答えは、最初からどこかに置いてあるものではないのかもしれない。

あとから振り返って、
あのときの私は、あれを選ぶしかなかった。
あれも私なりの一手だった。
あれで少し進めた。

そんなふうに、自分で引き受けたものに、あとから名前をつけることもある。

だから、「どうしよう」と思ったとき。
すぐに正解を探しに行かなくてもいい。

まずは、自分に聞いてみる。

私は今、何を“答え”と呼んでいるんだろう。

そして、
何がひとつあれば、少し安心できるんだろう。

答えが出る前に、安心材料をひとつ拾う。

それだけでも、立ち止まった自分を責めずに、少しだけ進める自分へ戻れる気がしている。

よければ一言だけ。
いまのあなたにいちばん近かった一文、どれでしたか。
読むだけでももちろん大丈夫です。

▼合わせて読みたい

今回の記事では、
「どうしよう」と思ったとき、
私は何を“答え”と呼んでいるのか、ということを考えました。

答えがほしい。
正解がほしい。
そう思っていたけれど、本当は原因なのか、方法なのか、許可なのか、保証なのか。
その奥で、安心材料を探していたのかもしれない。

似たところで、
人に「どうしたらいい?」と聞きたくなるとき、
私はすでに、自分の答えを少し手放していたのかもしれない、という話を書いた記事です。

「どうしたらいい?」と聞く前に、私は自分の答えを手放していたのかもしれない。

もうひとつ、こちらも近いです。

答えが出ないこと。
すぐには解決しないこと。
早くすっきりしたいのに、心の中に残り続けるもの。

それを無理に片づけようとするのではなく、
解決しないまま持つことについて考えた記事です。

早くすっきりしたいのに、解決しないことばかり増えていく。

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◆ マガジン掲載お礼
記事をご紹介いただいたマガジンを、気づいたものから掲載しています。
見つけるたびに、嬉しく受け取っています。




ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。


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