「最後まで読まなきゃ」と思っていた私は、捨てるのが怖かった。
本を読んでいて、手が止まることがある。
つまらない、とまでは言い切れない。
でも、正直に言うと、あまり入ってこない。
ページをめくる手が重い。
それなら閉じればいい。
途中で読むのをやめればいい。
たぶん、それだけのことなのに、私はなかなかそれができなかった。
もしかしたら、次の章から面白くなるかもしれない。
もしかしたら、どこかに必要な一文があるかもしれない。
ここまで読んだのに、途中でやめるのはもったいないかもしれない。
そんなふうに思って、気づけばあまり乗らないまま、最後まで読もうとしていた。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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最後まで読むことを、誠実さだと思っていた
私はたぶん、どこかで思っていた。
やり始めたことは、最後までやるべきだ。
読み始めた本は、最後まで読むべきだ。
途中でやめるのは、逃げることだ。
そんなふうに、かなり深いところで思い込んでいた気がする。
だから、合わないと感じても、すぐには閉じられない。
「まだわからない」
「もう少し読めば変わるかも」
「ここでやめるのは早いかも」
そうやって、見切りを先延ばしにしていた。
でも最近、ふと思った。
これは本当に誠実さだったのだろうか。
それとも私は、捨てるのが怖かっただけなのだろうか。
「全部知りたい」の奥にあったもの
私は、全部知りたい気持ちが強い。
最初から最後まで知りたい。
背景も知りたい。
理由も知りたい。
途中に何があるのかも知りたい。
それ自体は、悪いことではないと思う。
好奇心でもあるし、物事を丁寧に見ようとする力でもある。
でも、その中には少し違うものも混ざっていた。
捨てたあとに、必要だったと気づいたらどうしよう。
読まなかった場所に、大事なことが書いてあったらどうしよう。
自分の判断が間違っていたらどうしよう。
つまり、知りたいというより、
取りこぼしたくなかった。
もっと言えば、後悔したくなかった。
だから、面白くないと感じているものまで抱え続けていた。
今の自分には合わないと感じているものまで、「一応」と持ち続けていた。
グレーゾーンを全部持つと、自分がぼやける
好きでもない。
嫌いとも言い切れない。
必要かどうかも、まだわからない。
そういうグレーゾーンのものを、私はずいぶん抱えてきた気がする。
一応読む。
一応残す。
一応見る。
一応調べる。
一応最後までやる。
この「一応」は、一見ていねいに見える。
でも、増えすぎると重い。
自分の時間も、集中力も、感覚も、少しずつそこに吸われていく。
本当に読みたいものに向かう力。
本当に考えたいことに向かう力。
本当に書きたいことに向かう力。
そういうものが、薄く分散していく。
持っているつもりで、実は奪われている。
失わないために抱えていたはずなのに、自分の輪郭の方がぼやけていく。
それは、けっこう怖いことだと思った。
好き嫌いは、わがままではなく輪郭だった
捨てるには、好き嫌いを意識する必要があるのかもしれない。
これは好き。
これは今の自分には違う。
これは最後まで読まなくていい。
これは、ここまでで十分。
そうやって自分の感覚に線を引く。
でも私は、その線を引くことが苦手だったのだと思う。
好き嫌いをはっきりさせると、
わがままな気がした。
狭い人間になる気がした。
ちゃんと見ていない人になる気がした。
けれど、好き嫌いは誰かを否定するためのものではない。
今の自分が、どこに反応するのか。
どこに熱が通るのか。
どこで呼吸が浅くなるのか。
どこで、もう十分だと感じるのか。
それを知るための、輪郭なのだと思う。
「これは違う」と思うことは、雑に切り捨てることではない。
自分の感覚を、なかったことにしないということだ。
捨てることは、労力を戻すこと
捨てる、という言葉には少し冷たさがある。
でも今の私は、捨てることを少し違う意味で捉え始めている。
捨てることは、失うことではなく、
自分の注力先に労力を戻すことなのかもしれない。
読まない本を決める。
追わない情報を決める。
比較し続けないと決める。
「念のため」を増やしすぎないと決める。
仕事でも、これはきっとある。
全部の資料を読まないと不安。
すべての選択肢を比較しないと不安。
あらゆる可能性を残しておかないと不安。
そうやって抱え続けるほど、動けなくなることがある。
もちろん、丁寧に見ることが必要な場面もある。
簡単に切らない方がいいものもある。
でも、何でもかんでも最後まで持っていくことが、
いつも誠実とは限らない。
ときには、
「これは今の私には違う」
「ここまでで十分」
「この先は追わない」
そう決めることが、自分を進めるために必要なこともある。
捨てるには、少し責任がいる。
あとで必要になるかもしれない。
判断を間違えるかもしれない。
可能性を閉じてしまうかもしれない。
その怖さごと、自分で引き受ける必要がある。
でも、その責任を引き受けたとき、
自分の輪郭は少し戻ってくるのだと思う。
全部を拾わなくていい。
全部を知ろうとしなくていい。
全部を最後までやり遂げなくていい。
何を残すか。
何を手放すか。
どこに力を注ぐか。
それを自分で決めていい。
捨てることは、可能性を雑に切ることとは限らない。
自分が本当に注ぎたい場所へ、労力を戻すことでもある。
たぶん今の私は、何かを拾い集める時期から、
少しずつ、捨てて研ぎ澄ませる時期に入っている気がしている。
もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。
▼合わせて読みたい
・「これでいい」と思ったのに、まだ比較してしまう。
「もっといいものがあるかも」と思うほど、今ある納得が見えにくくなることがあります。
今回の記事では、
「最後まで読まなきゃ」
「何かあるかもしれない」
という気持ちの奥にある、捨てられなさについて書きました。
こちらの記事では、
一度「これでいい」と思ったあとも、まだ比較してしまう心の動きを見ています。
・「どうしよう」って、私は何を探しているんだろう。
捨てられないとき、
本当は「必要だから」ではなく、
安心したくて抱えていることがあるのかもしれません。
答えがほしい。
正解がほしい。
あとで困らない保証がほしい。
そんなふうに、外側に安心材料を探しに行く感覚に心当たりがある方には、こちらもつながると思います。
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