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「これでいい」と思ったのに、まだ比較してしまう。

お店を選んでいるとき。

メニューもよさそう。
雰囲気もよさそう。
場所も悪くない。

「あ、ここいいじゃん」

そう思ったはずなのに、なぜかそこで決められない。

もう少しだけ見てみよう。
他にもいいお店があるかもしれない。
こっちより、もっとよさそうなところがあるかもしれない。

そう思って、また検索する。

商品を選ぶときも、同じことが起きる。

さんざん調べた。
レビューも読んだ。
比較もした。
値段も機能も、自分なりに納得した。

それなのに、いざ決めようとすると、

「本当にこれでいいのかな」
「もっといいものがあるんじゃないかな」
「あっちの方が正解だったかな」

と、また探しに行ってしまう。

困っているわけではない。
むしろ、けっこう満足している。

それなのに、
“もっといいもの”を探してしまう。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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今日は、「これでいい」と思ったのに、まだ比較してしまうことについて、少し考えてみます。

◆ 買い物だけの話ではなかった

これ、買い物だけの話ではないと思う。

仕事でも、似たようなことをしていた。

もう資料の方向性は見えているのに、さらに参考資料を探す。
もうメールは書けているのに、もっと失礼のない言い回しを探す。
もう今のやり方で回っているのに、もっと効率のいいツールを探す。
打ち合わせのお店も、候補としては十分よさそうなのに、「もっといいところがあるかも」と探し続ける。

最初は、ちゃんと選ぶためだった。

失敗したくない。
損したくない。
相手に迷惑をかけたくない。
あとから「もっと調べればよかった」と思いたくない。

だから、調べる。
比べる。
確認する。

それ自体は、悪いことではないと思う。

雑に決めるより、
自分なりに考えて選ぶ方がいい。

でも、あるところから、
「決めるための検討」が、
「決めないための検討」に変わってしまうことがある。

◆ 責められないために、検討を続けていた

仕事の場合は、そこにもう少し生々しい怖さも混ざる。

「これで出したら、突っ込まれるかもしれない」
「比較不足だと思われるかもしれない」
「もっと調べておけばよかった、と責められるかもしれない」

そんな不安があると、
決めるためではなく、
責められないために検討を続けてしまう。

本当はもう、
自分の中では反応している。

「ここ、よさそう」
「これ、好きかも」
「この方向でいけそう」
「たぶん、これで大丈夫」

そう感じている。

なのに、その感覚だけでは不安で、
外側に“もっと確かな正解”を探しに行ってしまう。

もっと評価が高いもの。
もっと効率がいいもの。
もっと損しないもの。
もっと間違いが少なそうなもの。

そういうものを探しているようで、
本当はたぶん、

「これでよかった」

と安心できる証拠を探している。

◆ 比較するほど、自分の「いい」が薄くなる

でも、全部を見ることはできない。

お店も、商品も、情報も、仕事のやり方も、
探そうと思えばいくらでも出てくる。

ひとつ見れば、また別の候補が出てくる。
こっちもよさそう。
あっちも悪くなさそう。
もう少し調べたら、もっといいものが見つかりそう。

そうやっているうちに、
最初にあったはずの感覚が、少しずつ薄くなっていく。

「あ、ここいいじゃん」

「これ、好きかも」

「この方向で大丈夫そう」

その感覚があったはずなのに、
比較を重ねるほど、
自分の中の“いい”が見えにくくなる。

もっといいものがあるかもしれない。

それは、たぶん本当だ。

もっと安いもの。
もっと便利なもの。
もっと評価の高いもの。
もっと整ったやり方。

きっと、どこかにはある。

でも、
もっといいものが存在することと、
今の自分が満足していることは、
別の話なのかもしれない。

誰かにとってのベストが、
今の自分にフィットするとは限らない。

評価が高いものが、
自分の負担を減らしてくれるとは限らない。

効率がいいと言われている方法が、
今の自分の仕事に合うとも限らない。

たくさん比較した先にある“正解”より、
最初に自分が感じた「これ、いいな」の方が、
案外、自分に近いこともある。

◆ 検討は、無料じゃない

そして、もうひとつ思う。

検討は、無料じゃない。

画面を見ているだけだから、
何も減っていないように見える。

でも実際には、
時間も、集中力も、判断する体力も、少しずつ減っている。

「損したくない」と思って探していたのに、
探し続けることで、
私はもう別のものを失っていたのかもしれない。

自分の時間。
自分の気力。
決める力。

そして何より、

「私はこれをいいと思った」

という感覚。

せっかく満足していたのに、
わざわざ比較し直して、
足りないところを探しに行く。

せっかく「これでいい」と思えたのに、
もう一度、不安のテーブルに戻してしまう。

それって、もしかしたら、
かなりもったいないことなのかもしれない。

◆ 「私は、何をいいと思ったんだっけ?」に戻る

もちろん、調べることは悪くない。

比較することで見えてくるものもある。
失敗を減らせることもある。
自分の好みがはっきりすることもある。

でも、満足しているのにまだ探してしまうときは、
少しだけ問いを変えてみてもいいのかもしれない。

「他にもっといいものはないかな」

ではなく、

「私は、これの何をいいと思ったんだっけ?」

に戻る。

この店の、少し落ち着いた雰囲気がよかった。
今日はにぎやかな場所より、静かなところに入りたかった。

この商品の、軽さがよかった。
毎日使うものだから、多機能さよりも負担の少なさを選びたかった。

この資料の流れがよさそうだと思った。
相手が迷わず読めそうだったから。

このメール文で大丈夫そうだと思った。
丁寧すぎず、でも必要なことは伝わっているから。

そうやって、
外の正解ではなく、
自分の中にあった「いい」に戻ってみる。

もっといいものがある可能性を、
完全に消すことはできない。

探せば、たぶん何かしら出てくる。
上を見れば、きりがない。

でも、
もっといいものがあるかもしれないからといって、
今の自分の満足まで、なかったことにしなくていい。

「私はこれをいいと思った」

その感覚を、
いったん採用してみる。

ベストかどうかは、わからない。

でも、今の自分にフィットしている。
今の自分が、ちゃんといいと思っている。

それなら、それで十分な日があっていい。

決めるために調べていたはずなのに、
いつの間にか、決められなくなるほど調べていた。

そのことに気づいたら、
いったん画面を閉じてもいい。

損しないために探し続けるより、
もう感じていた満足を、
自分で受け取る方へ戻ってもいい。

もっといいものを探す前に、
私はもう満足していたのかもしれない。

その満足を、
途中で置き去りにしないでいたい。


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▼合わせて読みたい

「結局、どれが正解?」――今の自分に合う答えの選び方

もっといいもの、もっと正しいものを探していると、
だんだん自分の感覚が見えにくくなることがあります。

誰かにとっての正解ではなく、
今の自分には何が合うのか。

今回の記事の「もっといいものがあることと、今の自分が満足していることは別」という話と、近いところにある記事です。

「どうしたらいい?」と聞く前に、私は自分の答えを手放していたのかもしれない。

外に答えを探しに行きたくなるとき、
本当はもう、自分の中に小さな答えの気配があるのかもしれません。

今回の記事では、
「私はこれをいいと思った」という感覚に戻ることを書きました。

こちらの記事では、
人に聞く前に、自分の中の「どうしたい」を置き去りにしていなかったかを考えています。

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記事をご紹介いただいたマガジンを、気づいたものから掲載しています。
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ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。


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